ふくながいなりだいみょうじん
福永稲荷大明神大阪府 北新地駅
10:00〜16:30
駐車場 | - | ||
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御朱印 | - | ありません |
大阪駅前第1ビルにあるお稲荷様です。
お隣の第2ビルから、次は第1ビルです。
渡辺綱の9代後の子孫の方が祀り始めたのがスタートのお稲荷様です。
これ振りですw
日曜日の午前中だったので、誰も居なくてのんびりお参り出来ました!
全景
お社
案内板
大阪駅前第1ビルにある「福永稲荷大明神」
北新地駅から降りてすぐぐらいの、一番ボロいビルの屋上。
エレベーターがいろんなところにあるが、「屋上に行けるエレベーター」と「行けないエレベーター」があるのでご注意。行けるのは一箇所だけ。
屋上はビアガーデンになり、屋上の端にある。
朱色の鳥居が連なり、正面祠。左右にお稲荷さん。
左手に御手水、右手に「狐塚」
鳥居の横に由緒板もある。
屋上の端っこに追いやられてる〜と思いきや、けっこう綺麗です。
祠の創建でも南北朝時代と非常に古く、紆余曲折しながらもこんな梅田の一等地になっても残り続けるってのがすごいなと思う。しかもこんな小さな神社なのに!
久しぶりの晴れなので買い物ついでに寄り道参拝。
屋上いけるエレベーターわからず迷った。
鳥居
祠
祠からのビアガーデン
1階にある看板。丸の書いたところのエレベーターしか屋上に行けない。
当地には古くから小さな丘があり、野狐が栖としていたので、元禄時代には人々から狐塚と呼ばれていた。平安時代末期の保延年間に、源融公の十代目に当る渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが、南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎が稲荷の祠を祀り、一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビルの敷地を東西に貫いていた曽根崎商店街通を稲荷山通と称したのはこのためである。
明治初年には郷社露天神(当社の東方五百米。通称お初天神)の一座となったが、明治四十二年の大阪北の大火で付近一帯が焼失し、この祠だけが不思議にも焼け残ったので、当時の人々は焼けずの稲荷と呼んで畏敬した。更に三十七代目の渡辺義平の妻麻門は、渡辺家が代々崇敬してきた天満宮の祠をも建てて神域を整備したが、昭和二十年三月十四日の空襲により罹災した。
この由緒ある神祠の復興を思い立った当地の中谷栄五郎氏らは、とりあえず旧地に小祠を再建し今日までお祀りしてきたが大阪駅前市街地改造事業施行により、移転を余儀なくされたので地元有志が相集まり、旧地上に建築された大阪駅前第一ビルの屋上を新しい神域と定め末長く地区の繁栄と守護を祈願することとした。
住所 | 大阪府大阪市北区梅田1-3-1 大阪駅前第1ビル屋上 |
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行き方 | 大阪市営地下鉄御堂筋線「梅田駅」より徒歩約8分
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名称 | 福永稲荷大明神 |
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読み方 | ふくながいなりだいみょうじん |
参拝時間 | 10:00〜16:30 |
参拝にかかる時間 | 5分 |
参拝料 | 無料 |
トイレ | ビルのトイレを使用 |
御朱印 | なし |
ホームページ | https://www.1bld.com/history/daimyojin.html |
ご祭神 | 稲荷神 |
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創建時代 | 応安年間 |
創始者 | 渡辺十郎 |
ご由緒 | 当地には古くから小さな丘があり、野狐が栖としていたので、元禄時代には人々から狐塚と呼ばれていた。平安時代末期の保延年間に、源融公の十代目に当る渡辺伊豆三郎が当地を開拓して新邸を建てたが、南北朝時代の応安年間に十八代目の渡辺十郎が稲荷の祠を祀り、一家の守護神としたのが当社の創始である。当ビルの敷地を東西に貫いていた曽根崎商店街通を稲荷山通と称したのはこのためである。
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