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たかだちぎけいどう

高館義経堂のお参りの記録一覧
岩手県 平泉駅

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わかちこ
わかちこ
2025年10月16日(木)503投稿

毛越寺参拝後は義経堂へ。
小さいお堂ですが、源義経終焉のお堂であることを思うと歴史の重さを感じられます。

高館義経堂(岩手県)

お堂への入り口。
石段脇に御朱印などの授与所あります。

高館義経堂(岩手県)

紺地に源義経とお堂が金箔押しされた見開き御朱印。
通常ver.や片面書き置きver.もあり。

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sasaki3
sasaki3
2025年04月28日(月)2852投稿

高館義経堂 源義経最後の場所

高館義経堂(岩手県)

高館義経堂 源義経最後の場所

高館義経堂(岩手県)

高館義経堂 源義経最後の場所

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かおり
かおり
2023年07月27日(木)1801投稿

松尾芭蕉の有名な句の一つに
夏草や 兵どもが 夢の跡
がある。
この句を詠んだ場所が平泉の高館義経堂だ。

俳聖・松尾芭蕉が門人・曽良を伴い、平泉を訪れたのは元禄2年(1689)旧暦5月13日(6月29日)のこと。高館に立ち、眼下に広がる夏草が風に揺れ光る様を眺めた芭蕉は、100年にわたり平泉文化を築き上げた奥州藤原氏の栄華や、この地に散った義経公を思い、かの名句を詠みました。

三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す。先高館にのぼれば、北上川南部より流るゝ大河也。(中略)「国破れて山河あり、城春にして草青みたり」と笠打敷て時のうつるまで泪を落し待りぬ。

夏草や 兵共が 夢の跡
(毛越寺の説明より)

源義経という人物があまりにもカリスマ性があり、舞台やドラマなどでもイケメンが演じるものだから脇に置かれがちだが、ここで言われている兵どもの主役は寧ろ藤原家ではないかと思うのだ。奥州にて栄華を誇り、中尊寺、毛越寺などの素晴らしい寺の建立と。その藤原氏のあっけない滅亡。その後は平泉の地は芭蕉が詠んだような状態であったのだろう。

昭和61年、義経公主従最期の地であるこの高館に、藤原秀衡公、源義経公、武蔵坊弁慶八百年の御遠忌を期して、供養のために塔を造立しました。祖父、父の志を継ぎ、奥州藤原文化を築き上げた秀衡公、運命に翻弄され、この平泉で31歳という短い人生を終えた義経公、そして、義経公を信じ戦い抜いた弁慶。それぞれの生涯に思いを馳せ、心からの供養を行うのに、この高館はふさわしい場所だと思われます。(毛越寺の説明より)

本当に源義経という人間は運命に翻弄された人物であったと思う。源義経がいなければ源氏は天下を取れなかったという活躍をしたにも関わらずの兄頼朝の仕打ち。頼朝も人間不信になっていたのだろう。他にも弟・範頼をも謀反の疑いで殺している。

東北の夏に相応しい合歓の花の咲く中、源義経、藤原氏に想いを馳せるひと時であった。

高館義経堂の御朱印

毛越寺が管理している。御朱印は書置きで毛越寺の袋に入れて頂いた。

高館義経堂(岩手県)
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ノシ。
ノシ。
2023年05月08日(月)183投稿

『大人の修学旅行』Day3。
平泉ではGW期間中、
『春の藤原まつり』というお祭りが催されている。
https://hiraizumi.or.jp/event/haru_fuji.html
そのお祭りの一環として、
『源義経公追善法要』が高館義経堂で開催されるとのことで、
せっかくの機会だから参列してみることにした。
10時に高館義経堂へ向かった。

毛越寺の住職さんが10名ほど来られていただろうか。
読経しながらお堂の周りを歩いて散華した。
散華はお守りとして頂いて良いとのことで、
何枚か頂いて帰ってきた。

御朱印は書置きで頂いた。
昨年は期間限定の御朱印があったようだが、
今年は通常のもののみの模様。

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japan-welder-A-K
japan-welder-…
2023年08月21日(月)511投稿

岩手県西磐井郡平泉に在り世界遺産平泉中尊寺、毛越寺や道の駅平泉等程近い所に所在、行く際の注意は冬季休業在りで3月15日辺りまで休む様で毎年若干違うらしいです、拝観料は在ります、「夏草や 兵どもが 夢の跡」丘の上にあるこの場所は、悲運な最期を遂げた英雄・源義経を思ってか、松尾芭蕉がこの有名な句を詠んだ地です。
義経堂(ぎけいどう)は北上川を見下ろす「高館」(たかだち)と呼ばれる高台にある。
判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。
源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉に逃れた義経が、文治5年(1189年)、最期を遂げ た居館のあった場所とされている。
源義経像 義経は藤原氏4代・泰衡に襲われ、妻子とともに自害した。
義経の首は鎌倉へ送られ、遺体だけがこの地に埋められて、そこに小さな祠が建てられた 。
祠は年月とともに風化したので、天和3年(1683年)、仙台藩主第4代・伊達綱村(だてつなむら)が新たに義経堂を建立した。
現在の堂は1808年に再建されたもの。
宝暦年間(1751~1763年)の作とされる甲冑姿の義経像が本尊として祀られており入り口にて御朱印直書きにて頂けます、歴史的建造物、パワースポット、仏閣、神社巡り、絶景、景色撮影、松尾芭蕉の軌跡、世界遺産平泉観光、参拝、散策、道の駅、散歩、御朱印集め好きな方は是非訪れて見て下さい。

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惣一郎
惣一郎
2022年05月23日(月)1269投稿

【NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』~源義経ゆかりの名所①】
5月22日(日)放送分で源義経の最期が描かれていたため、そのゆかりの名所をご紹介します。

【陸奥国 名所巡り】

高館義経堂(たかだち・ぎけいどう)は、岩手県西磐井郡平泉町高館にあったとされる奥州藤原氏の居館。源義経の最期の場所として知られる。衣川館(ころもがわのたて)、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれる。現在は義経堂及び高館は毛通寺の飛地境内となっている。

平安時代末期1185年の壇ノ浦の戦いで平家を滅亡させた義経は、1187年に兄・頼朝に追われ少年期を過ごした平泉に再び落ち延び、藤原氏三代秀衡の庇護の下、当地高館に居館を与えられた。当時、義経は判官の位にあったことから「判官館」とも呼ばれた。その後1189年4月30日、頼朝の圧迫に耐えかねた秀衡の子・泰衡の急襲に遭い、当地で妻子とともに自害したと伝わる。
当地・高館の丘の頂上には江戸時代の1683年、第4代仙台藩主・伊達綱村が義経を偲んで義経堂を建立し、中に義経の木像を安置した。当地からの眺望は平泉随一と言われ、俳人・松尾芭蕉は1689年に平泉を訪れ「夏草や 兵共が 夢の跡」と詠んでいる。

当堂宇は、JR東北本線・平泉駅の北1kmの北上川東岸の丘の上にある。丘の西側を南北に走る県道110号線(三日町瀬原線)から東方向に坂を登ったところに拝観受付がある。拝観可能エリアは率直広くはない。最も高いところにある義経堂、その手前に宝物館があるが、それ以外には芭蕉句碑など石碑類のみで10分もあれば全て見て廻ることができる。芭蕉も眺めたとされる、東側の北上川、束稲山(東山)の眺望は非常に良い。

今回は、平泉の観光スポットであることから参拝することに。参拝時は休日の午後、参観エリアは混んではいなかったが、観光客は途切れることなく訪れていた。

高館義経堂のその他建物

小丘の上にある<参拝受付>。

高館義経堂(岩手県)

拝観券を購入する。御朱印もこちら。

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