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しかりわけじんじゃ

志賀理和氣神社
公式岩手県 紫波中央駅

24時間参拝可能
社務所 午前9時より午後5時まで

氏子以外の参拝
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惣一郎
2022年10月12日(水)
1269投稿

【陸奥國 式内社巡り】

志賀理和氣神社(しがりわけ/しかりわけ~)は、岩手県紫波郡紫波町桜町本町川原にある神社。式内社。旧社格は県社。祭神は経津主神、武甕槌神、大己貴神、少彦名神、保食神、猿田彦神、船霊神。別称は「赤石神社」、「浮島明神」。式内社で最北に位置することで知られる。

社伝によると、平安時代初期の804年に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)と武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まる。当時は志波城造営(803年)、斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでいた時期で、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のために創建されたと見られている。国史の初見は『日本文徳天皇実録』852年条に神階昇叙の記載があり、それ以前から神階を有する官社であったとされる。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「陸奥國 斯波郡 志賀理和氣神社小」に比定されている。それ以降は史料はないが相当荒廃していたようで、近世になり赤石を神体としたことに由来し「赤石大明神」と呼ばれていた。江戸時代中期には式内社の由緒を復活し、社殿も再建されるとともに、盛岡藩主の南部氏からも崇敬され、「南部一の宮」の号を献じられたという。明治に入り、近代社格制度のもと郷社に列し、のちに県社に昇格した。

当社は、JR東北本線・紫波中央駅の南東1.4kmの北上川西岸、平地の住宅街にある。元々は境内西端の公道沿いに鳥居と社号標があって、長い参道を進んだのち、左手に大きな境内が広がるという造り。ただ、参拝時は一時的に社殿等の移転工事中で、入口には鳥居も社号標も狛犬もなく、奥に入って行ってやっと真新しい大きな社殿と社務所に辿り着く状態になっている。宮司さんのお話だと、国有地との換地を行っている最中とのこと。このこともあり、日本最北の式内社ではあるが、古社らしい雰囲気は感じられなかった。

今回は、陸奥国の式内社、岩手県の旧県社であることから参拝することに。参拝時は休日の午後で、近所のご老人が小さいこと散歩をしていたが、自分以外には参拝者はいなかった。

志賀理和氣神社(岩手県)

境内西端入口の<看板>。ここから参道を奥(写真右上)に進んで行く。
元々はここに鳥居と狛犬、社号標があったことがGoogle Mapでも確認できる。

志賀理和氣神社の建物その他

参道をしばらく進むと、左手が開けて来て、大きく真新しい社務所と社殿が見えてくる。

志賀理和氣神社(岩手県)

ちなみに参道をまっすぐ行った場所はこんな感じ。宮司さんによると、以前はこの奥に社殿があったとのこと。

志賀理和氣神社(岩手県)

社務所前にある、真新しいが伝統的な様式の<手水舎>。

志賀理和氣神社の本殿

<社殿>遠景。非常に広い境内。

志賀理和氣神社(岩手県)

<拝殿>全景。見た目も真新しい。近づくと檜(かな?)の香りがする。

志賀理和氣神社(岩手県)

<拝殿>正面。「志賀理和氣神社」と書かれた扁額も真新しい。

志賀理和氣神社(岩手県)

社殿左側から、<社殿>全景。

志賀理和氣神社(岩手県)

社殿の左手にある境内社群。写真左手から順に見て廻る。

志賀理和氣神社の末社

こちらは<赤石天満宮>。鳥居の扁額には「学問の宮」とある。

志賀理和氣神社(岩手県)

赤石天満宮の左手にある<小野藤稲荷神社>。ただ、右側の社号標には「坂下稲荷神社」、左側の社号標には「藤稲荷神社」(?)と違う社名が刻まれている。

志賀理和氣神社(岩手県)

稲荷神社の左隣にある<薬師神社>。

志賀理和氣神社の末社

薬師神社の左隣にある<縁結神社>。

志賀理和氣神社(岩手県)

社殿の右手にある、新しく大きな社務所。社殿とは渡り廊下で繋がっている。御朱印はこちら。

志賀理和氣神社(岩手県)

最後に<社殿>全景。古社らしくはないが、真新しくて気持ちが良い。
写真右側に小さく映っている赤い岩が、当社の別称「赤石神社」の由来となっている。(^▽^)/

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歴史

延暦二十三年(804)坂上田村麻呂が東北開拓の守護神である香取、鹿島の二神を当地の鎮守として斯波加里の郷鳰が磯野(現在地)に勧請合祀したと伝えられている。爾来、東北六郡を領した藤原秀衡の族、樋爪氏を始め、高水寺城主斯波氏など当地を領した累代領主の厚い尊崇を受けた。
天正年間(1573-1592)南部氏がこの地を領すると殊のほか崇敬の誠を捧げ、第三十三代利視公は「御社はとまれかくまれ志賀理和気我が十郡の国のみをさき」の和歌を献じ、社殿を造営するなど深く敬仰した。
さらには近江商人、井筒屋など豪商も霊験あらたかな神として篤く信仰した。境内に方三尺余の赤石があるところから赤石神社の通称で親しまれる日本最北の延喜式内社である。

御由緒
一、桓武天皇、延暦の昔(約一、二〇〇年前) 坂上田村麻呂が香取、鹿島の大神を 勧請奉斎し陸奥開拓の守護神として 崇拝した古社である。
二、仁寿二年、文徳天皇は当社に正五位下 の神格を下賜された。
三、延喜年間、醍醐天皇の勅命を受け全国 神社三、一三二座が延喜式神明帳に登載 された、その日本最北に位置し、古来 より朝廷の尊崇する社として重んぜられた。
四、前九年の役以降は、この地方を領地せ る樋瓜氏、斯波氏、南部氏を始め豪族 豪商の崇敬ことの他篤く、明治に郷社 更に大正には県社に列し現在は県神 社庁指定の一級社である。
日詰桜町地区を氏子に県内外広く崇敬 をあつめ、霊験あらたかにして、広大無辺 の神恩あまねく照り輝く大社である。

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志賀理和氣神社の基本情報

住所岩手県紫波郡紫波町桜町字本町川原3番地1
行き方

バス 岩手県交通 「赤石神社前」 より徒歩1分
電車 JR東北本線 「紫波中央駅」より徒歩20分
「日詰駅」より徒歩15分

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名称志賀理和氣神社
読み方しかりわけじんじゃ
通称赤石神社・赤石さん
参拝時間

24時間参拝可能
社務所 午前9時より午後5時まで

参拝にかかる時間

10分

トイレ社務所内にあります。
御朱印あり

毎月御朱印の周りの飾り印が変わります。
また、切り絵御朱印も月替わりです。

飾り印、切り絵のデザインは神社の職員により奉製しております。

書き入れ、貼り付けも承ります。
また、事情によりご参拝の難しい方には郵送でもうけたまわっております。

限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり

■お書入れ
見開き、片面の月替わり御朱印

■切絵御朱印
そのままのお渡し、もしくはお貼り付けします。

御朱印の郵送対応あり

申し訳方法 お電話、メール、SNS、メッセンジャーなど

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御朱印帳あり
電話番号019-672-2767
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスshikariwake@outlook.jp
お守りあり
SNS

詳細情報

ご祭神《合》大己貴命,少彦名命,猿田彦命,保食神,船霊命,《主》経津主命,武甕槌命
創建時代延暦23(824)年
ご由緒

延暦二十三年(804)坂上田村麻呂が東北開拓の守護神である香取、鹿島の二神を当地の鎮守として斯波加里の郷鳰が磯野(現在地)に勧請合祀したと伝えられている。爾来、東北六郡を領した藤原秀衡の族、樋爪氏を始め、高水寺城主斯波氏など当地を領した累代領主の厚い尊崇を受けた。
天正年間(1573-1592)南部氏がこの地を領すると殊のほか崇敬の誠を捧げ、第三十三代利視公は「御社はとまれかくまれ志賀理和気我が十郡の国のみをさき」の和歌を献じ、社殿を造営するなど深く敬仰した。
さらには近江商人、井筒屋など豪商も霊験あらたかな神として篤く信仰した。境内に方三尺余の赤石があるところから赤石神社の通称で親しまれる日本最北の延喜式内社である。

御由緒
一、桓武天皇、延暦の昔(約一、二〇〇年前) 坂上田村麻呂が香取、鹿島の大神を 勧請奉斎し陸奥開拓の守護神として 崇拝した古社である。
二、仁寿二年、文徳天皇は当社に正五位下 の神格を下賜された。
三、延喜年間、醍醐天皇の勅命を受け全国 神社三、一三二座が延喜式神明帳に登載 された、その日本最北に位置し、古来 より朝廷の尊崇する社として重んぜられた。
四、前九年の役以降は、この地方を領地せ る樋瓜氏、斯波氏、南部氏を始め豪族 豪商の崇敬ことの他篤く、明治に郷社 更に大正には県社に列し現在は県神 社庁指定の一級社である。
日詰桜町地区を氏子に県内外広く崇敬 をあつめ、霊験あらたかにして、広大無辺 の神恩あまねく照り輝く大社である。

体験祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬七五三御朱印お守り祭り

Wikipediaからの引用

概要
志賀理和氣神社(しがりわけじんじゃ/しかりわけじんじゃ、志賀理和気神社)は、岩手県紫波郡紫波町桜町にある神社。式内社で、旧社格は県社。 別称として「赤石神社」「浮島明神」とも。式内社としては最も北に位置することで知られる。
歴史
歴史[編集] 創建[編集] 社伝では、延暦23年(804年)に坂上田村麻呂が、東北開拓守護神として経津主命(香取神)・武甕槌命(鹿島神)を勧請したことに始まるという[1]。 9世紀初頭において、一帯では志波城造営(803年)・斯波郡(紫波郡)建置・徳丹城造営(811年)などの開拓が進んでおり、当社も蝦夷平定の報謝と一帯の鎮護のため、その時期に創建されたと見られている[2][3]。奥羽の式内社では地主神を包摂しつつ中央神を勧請して創建される例が多いが、当社がその場合にあたるかは明らかでなく、神名「志賀理和気」の由来も定かではない[3]。 概史[編集] 国史での初見は、仁寿2年(852年...Wikipediaで続きを読む
行事
祭事[編集] どんと祭 (1月15日)[1] 節分祭 (2月3日) 祈年祭並火防祭(春祭) (4月29日) 夏越大祓式 (6月30日) 人形納謝祭 (6月30日) 例大祭(秋祭) (9月第1金土日) ^ 祭事の記載は神社由緒書による。
引用元情報志賀理和氣神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%90%86%E5%92%8C%E6%B0%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99318711

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