あこうじんじゃ
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移動中道端に見つける。石柱に「式内」の文字を見つけて参拝。失礼ながら、簡素なお社が並んでいるので「式内」に違和感を覚えて御由緒を読む。高貴な姫君が葬られていて、かつては広大な社地があったことなどがわかる。
大和国添上郡の式内社です。春日大社から南に鎮守の杜を抜けた住宅地にあります。東大寺二月堂で行われるお水取りにも「赤穂明神」の名前で神名が読み上げられるそうで、古くからかなりの崇敬を集めていた神社であったことが分かります。
《入口と社号碑》
境内はこじんまりとしており、木の戸には鍵がついていますが開けて入れます。
《由緒書き》
由緒書きによれば十市皇女、氷上ノ夫人という女性方を葬った場所が「赤穂」ということでこの場所が比定されているようです。
そこから女性守護として崇敬されるようになるとはなんとも意外なものです。
《拝殿前》
屋根の裏には崇敬者の方々の芳名帳になっていました。
《祭神一覧》
天神さんと弁天さんなので、神仏分離で廃寺になってこちらに遷座、という背景でしょうか。
《拝殿上部の旧地図》
👁チェックポイント‼️
この神社のある場所がもともと春日大社の神主さんの住居があった場所だったため、春日大社との関係も深く、それでいて土地の鎮守社として歴史もありました。こういった地区を「社家町」と呼び、各地の神社周辺に地名として残ってます。
しかし明治になって神主さんたちがこの場所から去ってしまったため、境内もこじんまりと縮小してしまったようです。
《本殿》🙏
右側が本社、左が末社です。
《周辺の住宅地》
もとから家々が連なっていた土地であるためか建物も綺麗に並んでいるいんしょうがあります。
歴史
飛鳥時代よりの藤原氏の氏神であり、平城遷都に伴いこの地に遷座したと伝わる。熟稲を神籬に懸け、「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより、赤穂の社と呼ばれるようになったという。
もとは数百坪程の社地があったといわれ、明井町(閼伽井町か)の通りに大鳥居があり、桜の名所である神領も所持していた。後年田になり、一帯が「桜田」とよばれた。
明治維新を機に荒廃し、200戸近い家々・禰宜の大半が離散し築地塀のみが虚しく残ったといい、堀辰雄らが哀惜の詩文を残したとされる。これを嘆いた地元の有志によって復興が進められ、天満宮と弁才天社を合祀して赤穂神社の左に配し、二社並存という形とした。
1930年(昭和5年)、この近所にある新薬師寺のそばの鏡神社の別社となり現在に至る。
名称 | 赤穂神社 |
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読み方 | あこうじんじゃ |
詳細情報
ご祭神 | 天児屋根命 |
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ご由緒 | 飛鳥時代よりの藤原氏の氏神であり、平城遷都に伴いこの地に遷座したと伝わる。熟稲を神籬に懸け、「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより、赤穂の社と呼ばれるようになったという。
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