あこうじんじゃ
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さらに西へ向かって歩いて行くと赤穂神社様が
鎮座されていました。
主祭神は
天児屋根命(アメノコヤネノミコト)
をお祀りされています。
配祀神として
天満大神(テンマンオオカミ)
弁才天(ベンザイテン)
をお祀りされています。
赤穂神社様の創建年は明確な資料がないそうです。
7世紀に飛鳥にて創建とされている説があります。
社伝によると平城遷都の710年に現在地へ遷座と
記されているそうです。
社号の由来は
「熟稲を神籬に懸け」「赤丹穂に聞食し給へ」
に由来するとされています。
意味は
「実った見事な稲穂を神様が宿る木に捧げて」
「美しく実った稲穂を神様お召し上がり下さい」
で 祈りの言葉だそうです。
東大寺様のお水取りの期間中に二月堂の中で
行われる過去帳読み上げという神聖な儀式では
赤穂神社様も読み上げられます。
これは東大寺様に関わりのある日本全国の神々や
歴史上の重要人物の名前を呼びお迎えして感謝や
祈りを捧げるための儀式とされています。
奈良時代のこの周辺は東大寺様などの大寺院を
支える人々や神職が住む重要な場所でした。
その地域の氏神であった赤穂神社様は自然と
東大寺の信仰圏や行事と深く結びついていて
お水取りで名前を呼ばれる特別な古社として
現代までその伝統が引き継がれているそうです。
一時期荒廃してしまった赤穂神社様は近隣の
お社様でお祀りされていた天満大神や弁財天を
合祀した上で1930年に南都鏡神社様の別社として
再スタートされました。
町角にある小さなお社様だったので ここまで
歴史の深いお社様とは思いもよりませんでした。
大きくない寺社を参拝していると
稀にこういう事があるので止められません(´▽`)

大和国添上郡の式内社です。春日大社から南に鎮守の杜を抜けた住宅地にあります。東大寺二月堂で行われるお水取りにも「赤穂明神」の名前で神名が読み上げられるそうで、古くからかなりの崇敬を集めていた神社であったことが分かります。

《入口と社号碑》
境内はこじんまりとしており、木の戸には鍵がついていますが開けて入れます。

《由緒書き》
由緒書きによれば十市皇女、氷上ノ夫人という女性方を葬った場所が「赤穂」ということでこの場所が比定されているようです。
そこから女性守護として崇敬されるようになるとはなんとも意外なものです。

境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|歴史
飛鳥時代よりの藤原氏の氏神であり、平城遷都に伴いこの地に遷座したと伝わる。熟稲を神籬に懸け、「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより、赤穂の社と呼ばれるようになったという。
もとは数百坪程の社地があったといわれ、明井町(閼伽井町か)の通りに大鳥居があり、桜の名所である神領も所持していた。後年田になり、一帯が「桜田」とよばれた。
明治維新を機に荒廃し、200戸近い家々・禰宜の大半が離散し築地塀のみが虚しく残ったといい、堀辰雄らが哀惜の詩文を残したとされる。これを嘆いた地元の有志によって復興が進められ、天満宮と弁才天社を合祀して赤穂神社の左に配し、二社並存という形とした。
1930年(昭和5年)、この近所にある新薬師寺のそばの鏡神社の別社となり現在に至る。
写真












赤穂神社の情報
| 住所 | 奈良県奈良市高畑町1320 |
|---|---|
| 行き方 |
赤穂神社の基本情報
| 名称 | 赤穂神社 |
|---|---|
| 読み方 | あこうじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 天児屋根命 |
|---|---|
| ご由緒 | 飛鳥時代よりの藤原氏の氏神であり、平城遷都に伴いこの地に遷座したと伝わる。熟稲を神籬に懸け、「赤丹穂に聞食し給へ」と申したことより、赤穂の社と呼ばれるようになったという。
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