たむけやまはちまんぐう
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楽しみ方手向山八幡宮のお参りの記録一覧
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手向山八幡宮は東大寺の東側 手向山の麓にある神社です。
こちらに参拝するのも10回以上になります。
東大寺界隈は何度訪れても飽きません。
手向山八幡宮は東大寺の鎮守社として創建された神社です。
大仏殿の拝観出口からすぐ左手(東側)から参道の坂道が続きます。
大鳥居も立派ですが 社号の石柱がなんともでかい。
もちろん狛犬さんもでかい。
参道は一直線で 境内の造営がいかに計画的だったかが分かります。
教科書で見たことのある校倉造の宝庫もありました。
境内には境内社がいくつもあります。
一部傷んでいる建物もあるのですが それが歴史を感じさせてくれます。
外国からのお客様がけっこういらっしゃって 親子で何やら説明されているようでした。
手向山八幡宮の由緒を説明されているとは思えないので おそらく社殿のことだろうと思うのですが それでも嬉しいことです。
日本の文化を外国の方が外国の方に説明して広めていってくださっているのですから。
社務所では 外国の方の行列の後ろに並びました。
「レッドインクスタンプ プリーズ」
へぇ 御朱印って「レッドインクスタンプ」って言うんか。
勉強になりました。
ネット情報です。
創建は天平勝宝元年(749年)
主祭神は応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇
別名は東大寺八幡宮
天平勝宝元年(749年) 東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請された。
当初は平城宮南の梨原宮に鎮座したという。
梨原宮の所在地は未詳だが 奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊宮跡庭園がその跡ともいわれる。
後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが 治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討で焼失する。
文治4年(1188年)に東大寺大勧進職の重源によって仮殿が建てられ 建久8年(1197年)に社殿が再建される。
その後 建長2年(1250年)に北条時頼によって境内地が東大寺千手院の跡地である現在地に移された。
江戸時代の元禄4年(1691年)に本殿が再建されている。
創建以来 東大寺に属しその鎮守社とされてきたが 1871年(明治4年)の神仏分離の際に東大寺から独立し 県社に列せられている。
また 東大寺塔頭の東南院(現・本坊)にあった東照宮は天皇殿とされ 東照宮の社殿と祭神は当社に移された。
手向山は紅葉の名所として知られ 古今和歌集では菅原道真が 「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。

この日は細君より神仏霊場の巡礼を進めよとの
勅命が下されました。さらに堺区の巡拝の最中に
公園で見かけた藤棚が見事に咲いていたので
春日大社様をお選びになられたのでした。
その選択理由として3年程前に万葉植物園で見た
満開の藤が見事で忘れられない゚+。:.゚(*゚Д゚*)゚.:。+゚
と熱っぽく宣われておられました。
と言うことで6時前に現地に到着し春日大社様が
開くまで近くを参拝して回りました。
最初に向かったのは手向山八幡宮様です。
御祭神は
応神天皇《中殿》(オウジンテンノウ)
比売大神《左殿》(ヒメノオオカミ)
仲哀天皇《右殿》(チュウアイテンノウ)
神功皇后《右殿》(ジングウコウゴウ)
をお祀りされています。
手向山八幡宮様は東大寺の大仏建立の際に
聖武天皇が宇佐八幡宮より鎮守として
勧請されたと伝わります。
早朝の割に参拝者をチラホラお見掛けしました。
静かな境内で手を合わせて周りました(-人-)






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