たむけやまはちまんぐう
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楽しみ方手向山八幡宮のお参りの記録一覧(2ページ目)

749年東大寺の大仏造営にあたり宇佐八幡宮より東大寺鎮守として勧請された。
創建時は大仏殿付近の鏡池の東側に鎮座していた。
1180年平重衡による南都焼き討ちで焼失したが、1197年社殿が再建された。
1250年北条時頼が現在地に遷座した。
明治の神仏分離で東大寺から独立している。
鎌倉時代建築の境内社住吉社本殿と奈良時代建築の宝庫が重文指定されている。

楼門

拝殿


本殿

本殿

本殿

若宮神社拝殿

若宮神社本殿

大黒殿


(左)明武神社・劔神社・八子神社・松童神社、(右)阪本神社・恵比寿神社

境内社住吉社本殿

境内社住吉社本殿

境内社住吉社本殿

東大寺東照宮

宝庫

宝庫


前回、東大寺を参拝したにも拘らずスルーしてしまった手向山八幡宮(たむけやまはちまんぐう)。 約3年半越しでのお詣りが叶いました。 東大寺・三月堂(法華堂)の近くに鎮座する手向山八幡宮は、天平勝宝元年(749年)に東大寺及び大仏を造立するにあたって、豊前国(大分県)の宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請した、とされる歴史ある神社です。 もとは大仏殿の南側、鏡池付近に鎮座していたようですが、治承4年(1180年)の平重衡(たいらのしげひら)による南都焼討で焼失してしまった為、建久8年(1197年)に社殿を再建、建長2年(1250年)に北条時頼(ほうじょうときより)によって現在地に移されたとのこと。 創建時から東大寺の鎮守社とされてきましたが、明治の神仏分離の際に東大寺から独立した神社となって、現在に至ります。 主祭神は応神天皇、姫大神、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇の五柱。 八幡さんの神使である鳩が、向かい合って間がハートになっている可愛らしい御紋が灯籠などに描かれていました。

手向山八幡宮・鳥居と神社名碑

手向山八幡宮・桜門

手向山八幡宮・石灯籠
鳩が描かれた可愛らしい御紋が入っています。

手向山八幡宮・由緒書

手向山八幡宮・拝殿

手向山八幡宮・本殿と拝殿

手向山八幡宮・手水舎

手向山八幡宮・本殿

手向山八幡宮・菅原道真公腰掛石

手向山八幡宮・摂社
若宮神社 拝殿

手向山八幡宮・摂社
若宮神社 本殿

手向山八幡宮・神楽所

手向山八幡宮・宝庫

御朱印

過去参拝記録 令和5年の初詣2日目
春日大社・水谷神社から若草山を経由して鹿とたわむれ
手向山八幡宮に参拝しました。
若草山の鹿の出没限界は鳥居を出たところまでのようでした。

手向山八幡宮

若草山の鹿

訴えてきます

手向山八幡宮の鳥居を出たところ

手向山八幡宮さまに参拝致しました。
手向山八幡宮さまは、奈良市街東部の手向山麓の、東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)があります。
「749年(天平勝宝元年)に
東大寺大仏殿建立の際その守護神として
宇佐神宮(全国の八幡宮の総本社)第一の
御分霊をお祀りした八幡古社です。
御祭神は御本殿に八幡大神・比咩大神・神功皇后・
仲哀天皇、若宮には仁徳天皇をお祀りしております
百人一首の「このたびは 幣もとりあえず手向山
紅葉のにしき 神のまにまに」という詩は、
菅原道真公がこの神社を詠んだものです。」
(御朱印当て紙 引用)
雨の中の参拝でしたが、他にも5〜6人の方がご参拝、御朱印を拝受されておられました。

社号標


狛犬さま右側

左側の狛犬さま

奈良らしく、参道のあちこちに鹿🦌さんがいます。

草食べてる😊

まだ子鹿です。小さいのに、鹿せんべい欲しさに、何度もお辞儀をしながら寄ってきてくれました。親鹿さんを見倣って覚えるのかな?
可愛らしいバンビ🦌💕

かつては我が家の庭にもたくさんいたのに、最近見なくなったカタツムリさん🐌
久しぶりに見た😳

入り口の鳥居⛩からしばらく参道が続きます。少し坂道なので、しんどいです😓

やっと楼門の屋根が見えてきました😅

楼門

綺麗な楼門です

立派ですね。

境内 奥に見えるは三月堂


境内のたくさんある灯籠に貼られているのは、社紋のむかい鳩🐦🕊
可愛らしい💕

門をくぐり

左手側の社務所にて御朱印を頂きます。

拝殿
手前から参拝致します。

拝殿奥の御本殿

拝殿右手奥

御本殿左側にいらっしゃる 狛犬さま
両方こちらを見ておられます。😅

手水舎

手水舎は龍🐲さまではなく、狛犬さまのようでした。

御本殿向かって左側にある大黒殿

大黒殿内部


たくさんの小さい鈴、優しい音色でした。

社務所にて、色鮮やかな絵馬や土鈴。綺麗でした。
雨が激しかったので、境内を全てゆっくり見ることができませんでしたが、荘厳で静かな神社さまでした。😊🙏🏻

現在は東大寺から独立した存在となっていますが、かつては東大寺の鎮守の神「東大寺八幡宮」として機能していた神社です。
その創建は古く、東大寺の大仏を建立するにあたり、天平勝宝元年(749年)に全国の「八幡さん」の総本社である大分の宇佐八幡宮より直々に東大寺の守護神として神様が迎えられたことがその創建の由来となっています。
なお、創建当初の神社は、平城宮南の「梨原宮」と呼ばれる場所に建立されたとされており、その確実な位置は不詳ですが、現在の「宮跡庭園」と呼ばれる遺跡周辺にあったとも推定されています。神社はその後東大寺大仏殿の南側(鏡池周辺)に移転された後、 治承4年(1180年)には平重衡らによる「南都焼討」の被害を受け焼失しましたが、その後再建されることになり、最終的には鎌倉時代の建長2年(1250年)、北条時頼の手で現在の位置にに再建されたと言われています。
その後は長らく神仏習合を体現する東大寺の守護神(鎮守神)としての役割を果たし続けていましたが、明治に入ると神仏分離の政策の中で東大寺から独立した神社となり、現在に至っています。
























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