たむけやまはちまんぐう
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楽しみ方手向山八幡宮のお参りの記録一覧
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手向山八幡宮さまに参拝致しました。
手向山八幡宮さまは、奈良市街東部の手向山麓の、東大寺大仏殿前の道を東に行った正面に位置し、すぐ北には東大寺法華堂(三月堂)があります。
「749年(天平勝宝元年)に
東大寺大仏殿建立の際その守護神として
宇佐神宮(全国の八幡宮の総本社)第一の
御分霊をお祀りした八幡古社です。
御祭神は御本殿に八幡大神・比咩大神・神功皇后・
仲哀天皇、若宮には仁徳天皇をお祀りしております
百人一首の「このたびは 幣もとりあえず手向山
紅葉のにしき 神のまにまに」という詩は、
菅原道真公がこの神社を詠んだものです。」
(御朱印当て紙 引用)
雨の中の参拝でしたが、他にも5〜6人の方がご参拝、御朱印を拝受されておられました。
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現在は東大寺から独立した存在となっていますが、かつては東大寺の鎮守の神「東大寺八幡宮」として機能していた神社です。
その創建は古く、東大寺の大仏を建立するにあたり、天平勝宝元年(749年)に全国の「八幡さん」の総本社である大分の宇佐八幡宮より直々に東大寺の守護神として神様が迎えられたことがその創建の由来となっています。
なお、創建当初の神社は、平城宮南の「梨原宮」と呼ばれる場所に建立されたとされており、その確実な位置は不詳ですが、現在の「宮跡庭園」と呼ばれる遺跡周辺にあったとも推定されています。神社はその後東大寺大仏殿の南側(鏡池周辺)に移転された後、 治承4年(1180年)には平重衡らによる「南都焼討」の被害を受け焼失しましたが、その後再建されることになり、最終的には鎌倉時代の建長2年(1250年)、北条時頼の手で現在の位置にに再建されたと言われています。
その後は長らく神仏習合を体現する東大寺の守護神(鎮守神)としての役割を果たし続けていましたが、明治に入ると神仏分離の政策の中で東大寺から独立した神社となり、現在に至っています。
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手向山八幡宮(たむけやま~)は、奈良県奈良市にある神社。旧社格は県社。主祭神は応神天皇ほか5柱。元東大寺の鎮守社。古今和歌集で菅原道真が当社の紅葉について詠んでいる。
創建は奈良時代の749年、東大寺および大仏を建立するにあたり、東大寺の守護神として九州の宇佐八幡宮を勧請。当初平城宮南の梨原宮に鎮座し、後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座。
平安時代前期の勅撰和歌集である古今集では、菅原道真が『このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに』と手向山の紅葉と当社について詠んでいる。平安末期、1180年の平重衡による南都焼討で焼失、鎌倉時代の1250年に北条時頼が現在地に再建した。
江戸時代の1691年に本殿が再建。明治時代の神仏分離で東大寺から独立した。なお、東大寺勧進所八幡殿にある木造僧形八幡神像(快慶作、国宝)は、もと手向山八幡宮にあり、明治の神仏分離の際に東大寺に移された。
当社は東大寺大仏殿前の道を東方向に入った正面にあり、東大寺法華堂(三月堂)の南側にある。境内は南北に広がりがあって、北にある法華堂(三月堂)と若草山山麓を結ぶ位置にある。
参拝時は週末の夕方で、雨が土砂降りだったこともあり、自分以外には一組二人しか参拝者はいなかった。16時以降であったが、社務所は開いていて、御朱印は拝受することができた。
※当社では、境内社について説明書きや社号札がないため、事前か事後にに調べないと名称すら分からない状態になる。
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