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たむけやまはちまんぐう

手向山八幡宮のお参りの記録(4回目)
奈良県近鉄奈良駅

投稿日:2026年05月10日(日) 23時43分24秒
参拝:2026年4月吉日
手向山八幡宮は東大寺の東側 手向山の麓にある神社です。
こちらに参拝するのも10回以上になります。
東大寺界隈は何度訪れても飽きません。
手向山八幡宮は東大寺の鎮守社として創建された神社です。
大仏殿の拝観出口からすぐ左手(東側)から参道の坂道が続きます。
大鳥居も立派ですが 社号の石柱がなんともでかい。
もちろん狛犬さんもでかい。
参道は一直線で 境内の造営がいかに計画的だったかが分かります。
教科書で見たことのある校倉造の宝庫もありました。
境内には境内社がいくつもあります。
一部傷んでいる建物もあるのですが それが歴史を感じさせてくれます。
外国からのお客様がけっこういらっしゃって 親子で何やら説明されているようでした。
手向山八幡宮の由緒を説明されているとは思えないので おそらく社殿のことだろうと思うのですが それでも嬉しいことです。
日本の文化を外国の方が外国の方に説明して広めていってくださっているのですから。
社務所では 外国の方の行列の後ろに並びました。
「レッドインクスタンプ プリーズ」
へぇ 御朱印って「レッドインクスタンプ」って言うんか。
勉強になりました。

ネット情報です。
創建は天平勝宝元年(749年)
主祭神は応神天皇・姫大神・仲哀天皇・神功皇后・仁徳天皇
別名は東大寺八幡宮
天平勝宝元年(749年) 東大寺及び大仏を建立するにあたって宇佐八幡宮より東大寺の鎮守神として勧請された。
当初は平城宮南の梨原宮に鎮座したという。
梨原宮の所在地は未詳だが 奈良市役所近くにある平城京左京三条二坊宮跡庭園がその跡ともいわれる。
後に東大寺大仏殿南方の鏡池付近に移座したが 治承4年(1180年)の平重衡による南都焼討で焼失する。
文治4年(1188年)に東大寺大勧進職の重源によって仮殿が建てられ 建久8年(1197年)に社殿が再建される。
その後 建長2年(1250年)に北条時頼によって境内地が東大寺千手院の跡地である現在地に移された。
江戸時代の元禄4年(1691年)に本殿が再建されている。
創建以来 東大寺に属しその鎮守社とされてきたが 1871年(明治4年)の神仏分離の際に東大寺から独立し 県社に列せられている。
また 東大寺塔頭の東南院(現・本坊)にあった東照宮は天皇殿とされ 東照宮の社殿と祭神は当社に移された。
手向山は紅葉の名所として知られ 古今和歌集では菅原道真が 「このたびは幣もとりあへず手向山 紅葉の錦神のまにまに」と詠んでいる。
手向山八幡宮(奈良県)
東大寺大仏殿の東側から参道が続きます
手向山八幡宮(奈良県)
でかいです
手向山八幡宮(奈良県)
手向山八幡宮(奈良県)
楼門
手向山八幡宮(奈良県)
拝殿前拝所
手向山八幡宮(奈良県)
拝殿
手向山八幡宮(奈良県)
本殿には上がれません
手向山八幡宮(奈良県)
狛犬は2対ずつ
手向山八幡宮(奈良県)
手向山八幡宮(奈良県)
由緒書
手向山八幡宮(奈良県)
井戸
手向山八幡宮(奈良県)
大黒殿
手向山八幡宮(奈良県)
北門
手向山八幡宮(奈良県)
北の鳥居
手向山八幡宮(奈良県)
社号の石柱
手向山八幡宮(奈良県)
かなり古いです
手向山八幡宮(奈良県)

すてき

御朱印

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