きしゅうとうしょうぐう
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御朱印 | 真ん中に大きく東照宮と書かれ、右上に紀州東照宮の印、真ん中に葵紋、紀州東照宮の印が押されています。 御祭神は徳川家康公と、家康公の十男であり初代紀州藩藩主の徳川頼宣公です。 | ||
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限定 | - | ||
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御朱印帳 | |||
駐車場 | あり |
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御祭神 東照大神 徳川家康公
南龍大神 徳川頼宣公
鳥居⛩️をくぐり、落ち着いた参道を過ぎると侍坂とよばれる108段の石段を登ります。
急な階段ですが、先がみえているので、安心です。その階段を登りきったところにある楼門もくぐり、振り返ると和歌浦の海、街並みが見えます
極彩色の社殿は、左甚五郎の彫刻や狩野派・土佐派の壁画で飾られた絢爛豪華な造りです。50年の式年ごとに根本修理を行い、10年20年の彩色修理等を行い、創建当時の姿を維持されています。「関西日光」の名の通りの佇まいです。(社殿は写真❌です)
帰りは傾斜の緩い階段を利用しました。
弁財天社
あがった日の2、3日前から雨が降り続いていたので、弁財天社の参道は水没してました。
稲荷大明神
木に囲まれたお稲荷さん
玉津島神社の駐車場から出る際 カーナビをいじっていたら 近くに東照宮があると出ました。
なにぃ それはお参りしないわけにはいくまい。
東照宮の駐車場まで 車で5分もかかりませんでした。
紀州はもともと徳川御三家の国 そりゃ東照宮もありますわ。
道に面して一の鳥居 駐車場から参道に入るところに二の鳥居があります。
そこまではあまり感じなかったのですが 参道を歩いていくうちに だんだんと山を感じるようになります。
すぐお隣は小学校でした。
稲荷社でお参りし 侍坂を上り ようやく楼門へ。
楼門をくぐると すぐ左手に社務所があり 御朱印を拝受するとともに 本殿の説明を聞かせていただきました。
とても丁寧にお話いただき ありがたかったです。
社殿には 左甚五郎作の彫刻や 狩野探幽作の癖がなどがあります。
残念ながら 拝所から先は写真撮影禁止です。
何とか記憶に残したく 絵葉書を購入しました。
さすが東照宮だけあり 社殿はとても見事でした。
御祭神は 江戸幕府初代将軍の徳川家康(東照大権現)と紀州藩初代藩主・徳川頼宣(南龍大神)です。
元和5年(1619年) 徳川家康の十男である徳川頼宣は紀州藩主になると 南海道の総鎮護として東照大権現を祀る東照社の建立を計画し 同年のうちに社殿が起工されると 元和7年(1621年)に完成した。
本殿には左甚五郎の作といわれている彫刻や 狩野探幽作の壁画があり豪華な造りである。
関西の日光とも称されました。
当社を含めて一帯が 国指定史跡・名勝の和歌浦となっています。
参道を帰る途中 弁財天社を見つけ そちらにもお参りしました。
そこで気づいたのですが 参道の石畳が実は石橋になっている所がありました。
弁財天社の池に注ぐ川があったからでした。
またここで気づきがありました。
すぐお隣のような場所に もうひとつ神社を見つけたのです。
となれば こちらへもお参りです。
駐車場にある石柱
境内案内図
正面石鳥居 二の鳥居です
参道がすでに風格あります
稲荷社
鳥居は4基ありました
日之出大神
吉光大神
稲荷社本殿
陶器のおいなりさん
本殿に続く石段 けっこうきつい
108段の侍坂
楼門
三葉葵の紋
神輿庫
楼門の向こうに海
拝殿前
拝殿と拝所
由縁
砲弾が奉納されたんですね
手水舎
弁財天社
由緒
本殿
七福神の祠
参道が実は石橋になっていました
権現不動堂
東照宮会館
一の鳥居
歴史
紀州藩初代藩主・徳川頼宣公が、江戸幕府を開いた父・徳川家康をまつる社として、元和7年(1621)に建立した。豪華に装飾された社殿は、日光東照宮になぞらえて「関西の日光」とよばれ、参道には紀州藩の家臣が奉納した石灯篭がならぶ。創建時から伝わる例大祭「和歌祭」は、江戸時代の芸能風俗を今に伝える時代絵巻である。
名称 | 紀州東照宮 |
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読み方 | きしゅうとうしょうぐう |
通称 | 権現さん,和歌山東照宮 |
御朱印 | あり 真ん中に大きく東照宮と書かれ、右上に紀州東照宮の印、真ん中に葵紋、紀州東照宮の印が押されています。
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限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 073-444-0808 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://kishutoshogu.org |
絵馬 | あり |
SNS |
巡礼の詳細情報
全国東照宮連合会 第41番 |
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詳細情報
ご祭神 | 《主》徳川家康,《配》徳川頼宣 |
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創建時代 | 1621年(元和7年) |
創始者 | 徳川頼宣 |
本殿 | 権現造 |
文化財 | 本殿・石の間・拝殿・瑞垣・唐門・回廊・楼門(重要文化財) |
ご由緒 | 紀州藩初代藩主・徳川頼宣公が、江戸幕府を開いた父・徳川家康をまつる社として、元和7年(1621)に建立した。豪華に装飾された社殿は、日光東照宮になぞらえて「関西の日光」とよばれ、参道には紀州藩の家臣が奉納した石灯篭がならぶ。創建時から伝わる例大祭「和歌祭」は、江戸時代の芸能風俗を今に伝える時代絵巻である。 |
体験 | 御朱印重要文化財 |
Wikipediaからの引用
概要 | 紀州東照宮(きしゅうとうしょうぐう)は、和歌山県和歌山市和歌浦西にある神社。旧社格は県社。江戸幕府初代将軍の徳川家康(東照大権現)と紀州藩初代藩主・徳川頼宣(南龍大神)を祀る。 東照宮は雑賀山に位置する。雑賀山は和歌浦湾の入り江を眼下に納め、右手には天橋立のような片男波の砂嘴が延び、左手には北岸をみるまさに「扇の要」の位置である。西には和歌浦天満宮が、東には玉津島神社が位置する。 |
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歴史 | 歴史[編集] 元和5年(1619年)、徳川家康の十男である徳川頼宣は紀州藩主になると、南海道の総鎮護として東照大権現を祀る東照社の建立を計画し、同年のうちに社殿が起工されると、元和7年(1621年)に完成した。 本殿には左甚五郎の作といわれている彫刻や、狩野探幽作の壁画があり豪華な造りである。関西の日光とも称された。『紀伊続風土記』によれば、境内は方八町で、宮山周囲50町余りであった。 別当寺として天台宗の天曜寺も建立され、天海大僧正が初代別当に就任している。 祭神は当初は東照大権現のみであったが、後に徳川頼宣も合祀されている。 明治時代になると神仏分離と廃仏毀釈により天曜寺は廃寺となっ...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 南海和歌山市駅、JR和歌山駅から和歌山バス新和歌浦方面行きに乗車し「権現前」下車、徒歩1分 |
行事 | 祭礼[編集] 5月第2日曜日 - 大祭(和歌祭) |
引用元情報 | 「紀州東照宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%B4%80%E5%B7%9E%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE&oldid=100252440 |
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