しばとうしょうぐう
芝東照宮東京都 芝公園駅
参拝:24時間
御朱印は書き置き500円。四東照宮(日光、上野、久能山、芝)の1つで、日光東照宮は当方学生時代お参りしたので、全て巡礼できました。増上寺や東京タワーに大勢の人がいる一方、こちらは参拝客がおらずじっくりお参りできました。
当宮は、当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正十八年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。
この増上寺境内の家康公を祀る廟は、安国殿と称された。これは家康公の法号「一品大相国安国院殿徳連社崇誉道和大居士」によるものである。安国殿のご神体は慶長六年(1601)正月、六十歳を迎えられた家康公が自ら命じて彫刻された等身大の寿像で、公は生前、駿府城において自らこの像の祭儀を行っていた。死に臨んで公は、折から駿府城に見舞いに参上した増上寺の僧侶に、「像は増上寺に鎮座させ、永世国家を守護なさん」と仰せになり、この像を同寺にに祭るよう遺言していたもので、安国殿の創建の時に造営奉行であった土井大炊助利勝(どいおおいのすけとしかつ)(のちの大老)の手により駿府から譲り贈られたのである。
安国殿は明治初期の神仏分離のため、増上寺から分かれて東照宮を称し、御神像を本殿に安置・奉斎した。明治六年(1873)には郷社に列し、社殿は寛永十八年(1633)の造替当時のものが維持されていたが、昭和二十年五月二十五日の戦火により、御神像の寿像と天然記念物の公孫樹を除いて社殿悉く焼失した。昭和三十八年(1963)には寿像が東京都重要文化財に指定され、昭和四十四年(1969)八月十七日、復興奉賛会により社殿の完成を見て今日に至っている。
住所 | 東京都港区芝公園4-8-10 |
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行き方 | 都営地下鉄三田線「芝公園駅」A4出口すぐ
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名称 | 芝東照宮 |
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読み方 | しばとうしょうぐう |
参拝時間 | 参拝:24時間 |
参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3431-9658 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.shibatoshogu.com/ |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
全国東照宮連合会 第22番 |
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ご祭神 | 徳川家康 |
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ご神体 | 徳川家康寿像 |
創建時代 | 元和3年(1617) |
本殿 | 権現造 |
文化財 | 神木の大イチョウ(東京都指定天然記念物)
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ご由緒 | 当宮は、当初、増上寺境内に勧請された。増上寺は天正十八年(1590)家康公の江戸入府の折、源誉存応が公の帰依を得て徳川家の菩提寺に定められた。当時は日比谷にあったが慶長三年(1598)江戸城拡張工事に伴い、現在地に移転した。以後、幕府の保護の下、関東浄土宗寺院の総本山となり、実質的に同宗第一の実力を持った。
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体験 | 祈祷おみくじお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ札所・七福神巡り |
概要 | 芝東照宮(しばとうしょうぐう)は、東京都港区にある東照宮。祭神は徳川家康。神体は徳川家康寿像。旧社格は郷社。日光東照宮、久能山東照宮、上野東照宮と並ぶ四大東照宮の一つとされる。 |
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アクセス | アクセス[編集] 都営地下鉄三田線 芝公園駅下車 A4出口すぐ 都営地下鉄三田線 御成門駅下車 A1出口より徒歩2分 都営地下鉄浅草線・大江戸線 大門駅下車 A6出口より徒歩5分 都営地下鉄大江戸線 赤羽橋駅下車 赤羽橋口より徒歩7分 JR山手線 浜松町駅下車 徒歩12分 |
引用元情報 | 「芝東照宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E8%8A%9D%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE&oldid=101962759 |
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