みつみねじんじゃ
三峯神社埼玉県 三峰口駅
9:00~16:00
御朱印(4種類)
三峯神社では、「三峯神社」3種類と、奥宮で1種類の御朱印がいただけます。
三峯神社の御朱印
中央に三峯神社の印。右上には、「奥秩父三峰」の印に重ねて、標高1100mの山中にあるので「登拝」の文字があります。
御朱印 | 三峯神社は山上に位置することから、右上には『登拝』の文字が書かれています。アヤメとオオカミが描かれたアートな御朱印も書き置きでいただけます。 | ||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 普通520円 |
旅の最後🌿奥秩父『三峯神社』参拝
とにかく神聖な雰囲気✨沢山の凛々しい狼も素敵♪
念願が叶って素晴らしい御朱印帳も拝受 ٩(ˊᗜˋ*)و
圧倒されるスケール、建造物も景色も美しく圧巻!
厳かな雰囲気の中、身も心も浄化された感じです。
関東最大級のパワースポットとも言われるそうですが~行って納得 (^-^)
名物の胡桃味噌団子と焼き椎茸も美味しかった🎵
かなりの山奥で車が交差できない道幅の場所もちょこちょこ、、
帰りに秩父神社に寄る予定でしたが、高速渋滞予測で断念しました(涙)
迫力の美しい隨神門
この先はぐっと霊験あらたかな感じ~😌
奥宮遥拝殿からの景色
神々しい✨✨絶景✨✨
憧れの御朱印帳
立体的で素敵なデザイン🎵
かなり特殊な決まりがあって、1~2項には伊勢神宮の御朱印を拝受。
3項目に三峯神社でいただいた御朱印はを貼らねばなりません💦
困りました😰
御朱印は書置きのみ!
御朱印帳をいただいても書いてはもらえません😢
早く伊勢神宮に行かなければ💦
さぁ参拝へ!
三ツ鳥居と対の狛狼(?)さん
狼を神のお使いとする御眷属信仰🙏
凛々しいお姿のオオカミさん🎵
狼さんが日本武尊の道案内もしたとか~😄
鳥居の先は別世界
大きな木々の間を進みます
隨神門が見えてくる😄
こちらにも狼!
大きな石燈籠がズラリ、、人が小さく見える!!
雪が神聖な雰囲気を更に演出しているみたいな参道❄
巨大杉の根元には小さな祠🙏
途中にも狼さん🎵
鳥居も小さく見えますが、木が大きいのです😆
美しい青銅鳥居には立派な扁額もありました
手水舎も凄く素敵!
四方のデザインが違うのでじっくり見ると感動😍
鮮やかな極彩色に美しい彫刻✨
細かくて見ていて飽きない素晴らしさ🎶
拝殿の前の御神木のは大迫力😄
重忠杉とも呼ばれる鎌倉時代の武将・畠山重忠が植樹した大杉!
順番に列んで参拝
前の方の頭越しに美しい彫刻✨
御祭神は、伊弉諾尊に伊弉册尊、そして日本武尊🙏
拝殿の床に浮かび上がる龍🙏
すごい🐲!!
敷石の上にはしっかり龍が見えます✴
気付いた方もすごいですね🙌
祖霊社
國常立神社
摂末社が続く
奥には神楽殿
人と比べると大きさがわかります☺
奥宮遥拝殿
奥宮に向かってお詣り🙏
絶景でした✨✨✨
一休みで発見した自動販売機にも狼がいた😄
日本武尊は小高い丘に~
ヤマトタケル巨大像
すごく大きいが、写真からは伝わらず、、😓
晴天に飛行機雲まで見られて最高🙌
1/6は一粒万倍日と天赦日と鬼宿日と天恩日の4つが
重なった神様からのフォーススーパーラッキーセール🌈
新年の抱負、日頃の感謝感謝をお伝えしたいと思い
風属性の私としては相性バッチリな
同じ属性の神社へ参拝したく、風属性の三峯神社へ⛩
つーことで、秩父五社巡りさせて頂きました🈵
御祭神は伊邪那岐命(イザナギノミコト)と
伊邪那美命(イザナミノミコト)になります☀️
日本国と日本の神々をお産みになったいわば日本民族の
オーマイゴッドファーザー&ゴッドマザーで
あらせられます🙇♂️
日本武尊が創建されたと伝わっておりますので
御神も奉っております☀️
⛩を潜ると聖域感バッチリ出てます🙆♂️ダダ漏れです
神様いるんでないかい感も満ち溢れております☀️
神聖な場所に踏み入れたなと思い
これも同じ属性の相性なのでしょうか?
当家にも是非お住まいになって頂きたく
大麻と御朱印と御神水と御守りをお受けしました⭕️
なんだか神様と仲良くなれそうです🤭
当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
尊は当地の山川が清く美しい様子をご覧になり、その昔伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉册尊(いざなみのみこと)が我が国をお生みになられたことをおしのびになって、当山にお宮を造営し二神をお祀りになり、この国が永遠に平和であることを祈られました。これが当社の創まりであります。
その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。
降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。
又、文武天皇の時、修験の祖役の小角(おづぬ)が伊豆から三峯山に往来して修行したと伝えられています。この頃から当山に修験道が始まったものと思われます。
天平17年(745)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じらました。更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。
こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のお社となり、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。
三峯山の信仰が広まった鎌倉期には、畠山重忠・新田義興等が、又、徳川期には将軍家・紀州家の崇敬もあり、殊に紀州家の献上品は今も社宝となっています。又、新田開発にカを尽した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、家臣の奉納した銅板絵馬は逸品といわれています。
東国武士を中心に篤い信仰をうけて隆盛を極めた当山も、後村上天皇の正平7年(1352)新田義興・義宗等が、足利氏を討つ兵を挙げ、戦い敗れて当山に身を潜めたことから、足利氏の怒りにふれて、社領を奪われ、山主も絶えて、衰えた時代が140年も続きました。
後柏原天皇の文亀二年(1503)にいたり、修験者月観道満は当山の荒廃を嘆き、実に27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。
後、天文2年(1533)山主は京に上り聖護院の宮に窺候し、当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。
更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇れました。
現在、社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。
やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、今日の繁栄の基礎が出来ました。「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。
以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られました。その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。
名称 | 三峯神社 |
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読み方 | みつみねじんじゃ |
参拝時間 | 9:00~16:00 |
トイレ | あり |
御朱印 | あり 三峯神社は山上に位置することから、右上には『登拝』の文字が書かれています。アヤメとオオカミが描かれたアートな御朱印も書き置きでいただけます。 |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0494-55-0241 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.mitsuminejinja.or.jp/index.htm |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
全国東照宮連合会 第15番 |
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ご祭神 | 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと)
伊弉册尊 (いざなみのみこと) |
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創建時代 | 111年(景行天皇41年) |
本殿 | 春日造 |
ご由緒 | 当社の由緒は古く、景行天皇が、国を平和になさろうと、皇子日本武尊を東国に遣わされた折、尊は甲斐国(山梨)から上野国(群馬)を経て、碓氷峠に向われる途中当山に登られました。
その後、天皇は日本武尊が巡ぐられた東国を巡幸された時、上総国(千葉)で、当山が三山高く美しく連らなることをお聴き遊ばされて「三峯山」と名付けられ、お社には「三峯宮」の称号をたまわりました。 降って聖武天皇の時、国中に悪病が流行しました。天皇は諸国の神社に病気の平癒を祈られ、三峯宮には勅使として葛城連好久公が遺わされ「大明神」の神号を奉られました。
天平17年(745)には、国司の奏上により月桂僧都が山主に任じらました。更に淳和天皇の時には、勅命により弘法大師が十一面観音の像を刻み、三峯宮の脇に本堂を建て、天下泰平・国家安穏を祈ってお宮の本地堂としました。 こうして徐々に佛教色を増し、神佛習合のお社となり、神前奉仕も僧侶によることが明治維新まで続きました。 三峯山の信仰が広まった鎌倉期には、畠山重忠・新田義興等が、又、徳川期には将軍家・紀州家の崇敬もあり、殊に紀州家の献上品は今も社宝となっています。又、新田開発にカを尽した関東郡代伊奈家の信仰は篤く、家臣の奉納した銅板絵馬は逸品といわれています。
後柏原天皇の文亀二年(1503)にいたり、修験者月観道満は当山の荒廃を嘆き、実に27年という長い年月をかけて全国を行脚し、復興資金を募り社殿・堂宇の再建を果たしました。 後、天文2年(1533)山主は京に上り聖護院の宮に窺候し、当山の様子を奏上のところ、宮家より後奈良天皇に上奏され「大権現」の称号をたまわって、坊門第一の霊山となりました。以来、天台修験の関東総本山となり観音院高雲寺と称しました。 更に、観音院第七世の山主が京都花山院宮家の養子となり、以後当山の山主は、十万石の格式をもって遇れました。 現在、社紋として用いている「菖蒲菱(あやめびし)」は花山院宮家の紋であります。 やがて、享保5年(1720)日光法印という僧によって、今日の繁栄の基礎が出来ました。「お犬様」と呼ばれる御眷属(ごけんぞく)信仰が遠い地方まで広まったのもこの時代であります。 以来隆盛を極め信者も全国に広まり、三峯講を組織し三峯山の名は全国に知られました。その後明治の神佛分離により寺院を廃して、三峯神社と号し現在に至っています。 |
体験 | おみくじ食事・カフェ御朱印宿坊お守り伝説 |
Youtube | |
概要 | 三峯神社(みつみねじんじゃ)は、埼玉県秩父市三峰にある神社。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。 秩父神社・宝登山神社とともに秩父三社の一社。拝殿の手前には珍しい三ツ鳥居がある。狼を守護神とし、狛犬の代わりに神社各所に狼の像が鎮座している。 |
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歴史 | 歴史[編集] 三峰神社付近略図。1938年 社伝によれば、景行天皇の時、日本武尊が東征中、碓氷峠に向かう途中に現在の三峯神社のある山に登って伊弉諾尊・伊弉册尊の国造りを偲んで創建したという[1]。景行天皇の東国巡行の際、天皇は社地を囲む白岩山・妙法ヶ岳・雲取山の三山を賞でて「三峯宮」の社号を授けたと伝える[2]。伊豆大島に流罪になった役小角が、三峰山で修業をし[1]、空海が観音像を安置したと縁起には伝えられる。 三峰の地名と熊野の地名の類似より、三峰の開山に熊野修験が深くかかわっていることがうかがえる。熊野には「大雲取・小雲取」があり、三峰山では中心の山を「雲取山」と呼んでいる。 淳和天...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | アクセス[編集] 所在地 埼玉県秩父市三峰298-1 登竜橋の入り口にある三峯神社の一の鳥居 路線バス 西武観光バス(急行バス) - 山頂駐車場まで、毎日5往復運行 西武秩父駅(西武秩父線)始発、三峰口駅(秩父鉄道秩父本線)経由 2012年(平成24年)7月から毎月1日に行われていた、御神木の木片を内符に入れたお守り(氣守)のうち白色の限定品「白い氣守」の頒布日には、駐車場への入庫待ちの渋滞(最長26km)により、最大7時間30分の遅れや多くの便の運休を要するなど運行への支障が発生した[1]。 道路渋滞による路線バスの大幅遅延・運行打ち切りなど、周辺の生活環境にも甚大な影響を与えているこ...Wikipediaで続きを読む |
行事 | 祭事[編集] 年間祭事[編集] 三峯神社 年間祭事一覧 1月 歳旦祭 (1月1日) 元旦祈願祭 (1月1日) 豆入り神事 (1月第3・第4日曜日) 2月 節分追儺祭 (ごもっともさま、2月3日) 4月 大祭 (4月8日) - 太々神楽 5月 奥宮山開祭 (5月3日) 6月 大祓 (6月30日) 7月 大日祭 (土用の丑の日) 8月 諏訪神社祭 (8月26日) - 獅子舞 月読祭 (十五夜、旧暦8月15日) 9月 月読祭 (十五夜、旧暦9月13日) 10月 奥宮山閉祭 (10月9日) 12月 大歳のまつり (12月31日) 筒粥神事[編集] 筒粥神事は各地に残る年占の1つであ...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「三峯神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E5%B3%AF%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101958309 |
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