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とうだいじ|華厳宗大本山

東大寺のお参りの記録一覧
奈良県 近鉄奈良駅

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2026年05月10日(日)3515投稿

全国区で有名な東大寺。
半年ぶりに奈良公園に行きましたので参拝しました。
妻と一緒に参拝するのは初めてで 妻はずいぶん昔に参拝したとのことで懐かしがっていました。
GW前ということもあるのでしょうが めちゃくちゃ混雑しているとは思えませんでした。
気のせいかも知れませんが 中国語がほとんど聞こえてこない。
修学旅行生がいない。
とりあえず自分のペースで歩ける。
ありがたかったです。

小学校の遠足で初めて参拝してから もう20回以上は来させていただいています。
でもいつ来ても東大寺界隈は楽しいです。
昭和大修理の時の記憶は まだ小さかったので「あっ工事してる~」だけ。
南門の金剛力士像解体修理の記憶は 「ない!」だけ。
あと何の修理だったのかわからないですが 大仏殿の前の参道が通行止めになってう回路が作られたことがありました。
ウィキで調べても出てこない。
さらに拝観受付の場所が移動する工事。
今も境内で復元調査や整備事業をやってます。
わずか50年ほどの間でもこれだけ変化しているわけですよね。
昔の人が見ていた東大寺ってどんなんだったんだろうなーと思います。
この日は東大寺東側の伽藍を巡りました。

ネット情報です。(多すぎるので一部のみ)
山号はなし
宗派は華厳宗
寺格は大本山
ご本尊は盧舎那仏(奈良大仏 国宝)
創建年は8世紀前半
開山は良弁
開基は聖武天皇
別称は金光明四天王護国之寺
札所は法然上人二十五霊跡第11番(指図堂)・大和北部八十八ヶ所霊場第12番(真言院)・南都七大寺第1番・神仏霊場巡拝の道第14番(奈良第1番)
東大寺は正式には金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)ともいい 奈良時代(8世紀)に聖武天皇が国力を尽くして建立した寺である。
奈良時代には中心堂宇の大仏殿(金堂)のほか 東西2つの七重塔(推定高さ約70メートル以上)を含む大伽藍が整備されたが 中世以降 2度の兵火で多くの建物を焼失した。
現存する大仏は 度々修復を受けており 台座(蓮華座)などの一部に当初の部分を残すのみであり また現存する大仏殿は江戸時代中期の宝永6年(1709年)に規模を縮小して再建されたものである。
「大仏さん」の寺として 古代から現代に至るまで広い信仰を集め 日本の文化に多大な影響を与えてきた寺院であり 聖武天皇が当時の日本の60余か国に建立させた国分寺の中心をなす「総国分寺」と位置付けされた。
8世紀前半には大仏殿の東方 若草山麓に前身寺院が建てられていたことが分かっている。
東大寺の記録である『東大寺要録』によれば 天平5年(733年) 若草山麓に創建された金鐘寺(または金鍾寺(こんしゅじ))が東大寺の起源であるとされる。
一方 正史『続日本紀』によれば 神亀5年(728年) 聖武天皇と光明皇后が幼くして亡くなった皇子・基王の菩提を弔うため 若草山の麓に「山房」を設け、9人の僧を住まわせたことが知られる これが金鐘寺の前身と見られる。
金鐘寺には 8世紀半ばには羂索堂 千手堂が存在したことが記録から知られ このうち羂索堂は現在の法華堂(=三月堂 本尊は不空羂索観音)を指すと見られる。
天平13年(741年)には国分寺建立の詔が発せられ これを受けて翌天平14年(742年) 金鐘寺は大和国(現在の奈良県)の国分寺兼総国分寺と定められ 寺名は金光明寺と改められた。

東大寺(奈良県)

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東大寺(奈良県)

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