ぜんかじんじゃ
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秈荷神社について
参道が細いので車両のすれ違いが大変ですので、接触事故にお気をつけ下さい。
写真撮影は一言社務所にて許可を頂くのがマナーです。
御朱印はお一人様一枚ずつ二種までの授与、転売禁止 宮司様より。
授与品
授与品をもっと見る|境内・文化財
境内・文化財をもっと見る|| 名称 | 秈荷神社 |
|---|---|
| 読み方 | ぜんかじんじゃ |
| 通称 | おぜんかさん |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0220-42-2016 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | https://ぜんか神社.jp/ |
| SNS |
詳細情報
| ご祭神 | 主祭神
倉稲魂命、経津主命、武甕槌命 配祭神 建御名方命 五十猛命 面足命 伊弉諾命 伊弉冉命 応神天皇 境内社 鹿島神社(鹿島殿) 境内摂社・末社 摂社 明神 末社 葉神社 佐々木大明神 山の神 出羽三山石宮 三宝荒神社 龍神 兼務社 鳥海神社 鎮座地 宮城県登米市東和町米谷字宮の沢一 |
|---|---|
| 創始者 | 葛西佐馬尉重直 亀卦川胤明 |
| ご由緒 | 東和町米谷秈荷山にあり、永仁元年(1293)葛西佐馬尉重直の建立と伝えられ、代々の地頭たちの崇敬するところであった。往時この地方は葛西氏の勢力範囲であり、亀卦川氏系譜によれば、建治2年8月(1276)亀卦川胤氏が葛西清信に従い、奥州に下向し采地五百余町を賜り米谷城を築城し、以来、天正18年(1590)葛西氏没落に至るまで米谷城主となる。建武3年(延元元年1336)奥州勢をひきて長躯上洛し、足利尊氏直義の軍を破った時、葛西軍は数々の戦功をあげましたが、葛西清宗は神楽岡の戦で、新田義貞の身替わりとして戦死し、この戦の後、葛西清宗の家来亀卦川胤明(葛西氏の重臣)が、主君清宗の冥福を祈って伏見稲荷神社に参籠し、帰途に際し守護神として居館(米谷館)の地に社殿を建立し、祭祀して稲荷大明神(銭金大明神・善賀大明神の別名有り)と称する。亀卦川氏没落後も村人の信仰の厚い社として栄えてまいりましたが、伊達政宗の時代(天正年間)に切支丹の蜂起により社殿が焼失(古記録が無いので詳細は不明)となりましたが、宝永2年(1705)領主高泉長門守の再建と伝えられ、秈荷神社として今日に至る。明治39年に鹿島神社と諏訪神社が秈荷神社に合祀されたとき、鹿島神社の社掌が退職し、諏訪神社の社掌髙橋譓之進が秈荷神社の社掌に専任され以来今日まで世襲されている。境内に「うみゆり」の化石があり、その紋様が銭型であるため「銭金石」と称され、秈荷の地名の由来となったと伝えられる。そこから銭金大明神と称され三年五年と続けて参拝することで小金(銭)が貯まるとも伝えられている。また、境内には宝暦5年(1755)米谷住、大肝入亀卦川軍左衛門(俳名・左笠)が秈荷神社境内に芭蕉の句碑を建立。「木の下は汁も膾も桜哉」 |
| ご利益 | 学問の神様・合格祈願金運商売繁盛健康長寿病気平癒厄除け交通安全家内安全勝負運五穀豊穣 |
| 体験 | 祈祷おみくじお祓い絵馬御朱印お守り祭り |
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