慈恩宗
慈恩寺のお参りの記録一覧
三寺参り、続いて慈恩寺山へ。
駐車場から急な坂を上り、歩いて参拝しました。三寺参りの御朱印帳が拝観料も込みだったため、本堂内部なども拝見させていただきました。
寒河江三社巡り。慈恩寺さんの本堂は工事のためなんも見えません。
本来なら茅葺き屋根の本堂が見えたのかも。
今回は御朱印と周辺ー散策したのみで、終わりにしました。御本尊、弥勒如来様の御朱印いただきました。他にも薬師如来様など多数ありますよ。
三重の塔
第一駐車場
ここが一番近いと。第二はけっこう歩くはずですが、慈恩寺テラスという魅力ある施設があります。
山門が先ずはお出迎え。迫力あります。
山門アップ①
山門アップ②ななめから。こちら内側ですね。
山門の仁王像①
仁王像②
寒河江市 慈恩寺のゆかりの大江氏の説明書き。山門前にあります。
山門くぐり手水があります。
梵鐘は左手に。
三重の塔ななめから。
慈恩寺へ車で向かうと、なんと坂の登り口が車両通行止です。よく見たら皆さん慈恩寺テラスに車を停めてゾロゾロと徒歩で向かってらっしゃる…え、今日お祭りなの?全然知らないまま来ちゃった。
年一回の法会「一切経会(いっさいきょうえ)」だそうです。歴史ある舞楽が奉奏されてました。境内は大勢の人でぎゅうぎゅう詰めで屋台も出てた。これは大変な時に来てしまった…と思いました。
本堂は、茅葺き屋根の工事だそうで、約70年ぶりの工事で、足場で覆われていて見られず。2024年11月頃までこうなんだそうです。
本当になんというタイミングで来てしまったのか…
でもせっかくなので人をかき分け本堂へコソコソお参りして、授与品のところを覗いていたら、気付いた方が声をかけてくださり、御朱印も「今ちょうど大丈夫だから良いよ」と快く引き受けてくださいました。待つ間ご親切に椅子までお貸しくださり、ご住職様達や地元の方、関係者の方に紛れ込んで法会にも参加させていただきました。なんというラッキー。
一つ心残りなのが、鋳鉄仏餉鉢は遠くから観る事は出来たけど近寄れず。これはまた次回です。
素晴らしい仏像を間近で見ることができました。
境内にある「慈恩寺テラス」ではシアターや展示があり、慈恩寺について学ぶ事ができます。
カフェもありました。
三重の塔
とても趣きのある山門
慈恩寺テラスのシアター
慈恩寺テラス前にある仏像の顔出しパネル
普段はもっと雪深いらしいです。
山形のガイドブックに載っていたので行ってみました。慈恩寺テラスの駐車場から急な坂道を歩きましたが、暑い日で大変でした。大変立派で、見所も多かったです。帰りは慈恩寺テラスで休憩がおすすめです。
本堂
山門
彼岸花が咲き始めてました。
仁王坂展望台からの景色です。
若松寺から車で30分ほど。
一昨日に大暴れした最上川を渡り、慈恩寺へ。
ナビの言うとおりに進むが「ホントにこの道でいいの?」とやや不安になるが、
突然「三重の塔」が現れ、暫く進むと広い駐車場もありました。
金曜日のため、参拝者は疎らです。
お寺の全容図を見ると、山全体がお寺のよう…
道路に沿った横に長いお寺です。
一巡りし本堂で御朱印を頂きました。
お寺の全容です。
華蔵院【けぞういん と読むみたい】
華蔵院の山門
華蔵院のお堂
まだポツポツと紫陽花が咲いてます
宝蔵院の入り口
阿弥陀堂です
山門から山の裾の方面
改めて、山門です。
山門からの本堂
本堂の脇の階段で、宝蔵院に続きます。
慈恩寺の由緒書き
手水処。蓮の花で飾ってます。
梵鐘です。
三重の塔
本堂 茅葺き屋根です。
三重塔。入り口の工事中です。
御朱印です
【こちらのお寺は5種の御朱印がありますが、ご本尊さまを頂きました】
おまけ01 麓に「慈恩寺テラス」という施設があり、慈恩寺の歴史が判ります。
【ここは、天台宗と真言宗が同居したお寺だとか…】
おまけ02 慈恩寺テラスのレストランの「冷やし鳥蕎麦」
ウマい。ヤスい。ボリューム満点!!でした。
746年聖武天皇の勅命でインド僧・婆羅門僧正が開山したと伝わる。
平安時代に鳥羽天皇の祈願所となり、鎌倉時代には寒河江荘の地頭・大江氏(大江広元の一族)に保護された。
現在の本堂は、1618年に山形城主の最上氏により再建されたもので重文指定されている。
慈恩寺の御堂如来展が開催されていて、今回の目的はこれに行くというのもあった。
重文16駆を含む28駆を一挙公開という触れ込みで、本堂の宝殿内の本尊とかが公開されるのかと期待していたが、本堂の重文は聖徳太子像のみで、宝殿内の重文は非公開。(写真展示)
他は常時公開の薬師堂の薬師如来と脇侍の日光、月光菩薩、眷属の十二神将で15駆。1セットで数えるやつをバラでカウントしている。嘘では無いが釈然としない。
凄くがっかりした。
実際は阿弥陀堂と三重塔が追加公開されているだけである。
本堂
本堂
本堂
鐘楼
天台大師堂
釈迦堂
不動堂
不動堂
薬師堂
阿弥陀堂
仁王門
仁王門
仁王門
仁王門
三重塔
三重塔
三重塔
天平18年(746)、聖武天皇の勅命によるインド僧婆羅門僧正が開山したと伝えられる古刹です。
通常拝観の本堂、薬師堂、さらに阿弥陀堂と三重塔も一挙大公開!のパンフを道の駅でいただきまして、これは見逃せないと早速お参りしました。
東北随一の巨刹、本山慈恩寺は、秘仏、建物ともに素晴らしく、約1000年の歴史を目の当たりにする事ができました。
慈恩寺テラスに車を停め、慈恩寺の歴史など見どころを予習してから行きます!
カフェも、お土産も売ってました。ここを見てから慈恩寺に行くと、すごくわかりやすい!
さて、慈恩寺まで坂道、、(^_^;)だね。
建物が見えてホッとしました(^^)
仁王門
息をきらして坂道を歩いてきた甲斐があった!
仁王様
天井はこんな感じ。市松模様が綺麗。
鐘楼
心を込めて付きます。
本堂 国の重文。
中に入れてお参りできます。
ガイドさんが説明してくれます。
中は十二神将が囲むように配置されていて迫力満点です。十二神将も国の重文。
三重塔
こちはら県の指定文化財
慈恩寺テラスで御朱印帳を購入しました。
表紙の後ろは開山1300年の印
【出羽國 古刹巡り】(過去の参拝記録)
慈恩寺(じおんじ)は、山形県寒河江市にある慈恩宗の本山の寺院。山号は瑞宝山。本尊は弥勒菩薩。本堂、木造弥勒菩薩像、木造釈迦如来像、木造薬師如来像、木造聖徳太子立像、木造十二神将立像などが国指定の重要文化財。境内は国の史跡。東北三十六不動尊霊場1番。
寺伝によると、奈良時代の724年、聖武天皇の勅命により行基が開いたとされる。平安時代には鳥羽天皇の勅により再建され、後白河法皇と源頼朝によって山号を与えられた。鎌倉時代から室町時代にかけては、地頭の寒河江大江氏の庇護を受け、大江氏滅亡後は最上氏や江戸幕府により寺領を認められた。江戸時代の朱印地は東北随一の2,812石、3カ院48坊を数えた。
当寺は、JR左沢線・羽前高松駅の北方2kmの寒河江川の北岸、葉山(標高1,462m)の南裾にある。境内はかなり広く、伽藍は東西700m、南北に200mと横に長いエリアに収まっている。見どころとしては国重文となっている巨大な本堂と、少し離れたところに建っている五重塔。山に抱かれた、自然一杯の環境の中で、いかにも巨刹らしい雰囲気を存分に味わえる。
今回は、本堂や本尊等仏像群が国重文であることから参拝することに。参拝時は休日の午後、観光地としても知られているようで、多くの参拝者が訪れていた。
境内南端中央にある<仁王門>。扁額には「瑞宝山」とある。
仁王門左側の<吽形仁王像>。
仁王門右側の<阿形仁王像>。
仁王門をくぐると、境内は一段高くなる。
<本堂>全景。江戸時代初期1618年建立。桁行7間、梁間5間、一重、入母屋造、向拝1間、茅葺。国指定の重要文化財。
木造弥勒菩薩像、木造釈迦如来像、木造薬師如来像、木造聖徳太子立像、木造十二神将立像などの国指定の重要文化財となっている仏像などを安置している。
本堂前にある<手水盤>。
<本堂>前面中央部。
<本堂>正面。達筆でビビッドな青色が美しい「慈恩寺」と書かれた扁額。
本堂に向かって右手にある<薬師堂>。1691年建立。方三間、宝造形。
薬師堂の右隣にある<阿弥陀堂>。1694年建立。方三間、宝造形。
あらためて<本堂>全景。堂々たるサイズ。
仁王門の南側の景色。
仁王門をくぐって左側(西方)すぐの場所にある<鐘楼>。
本堂の左手にある<天台大師堂>。1746年建立。方三間、宝造形。
天台大師堂の左手にある<釈迦堂>。1694年建立。方三間、宝造形。
境内の最も西端にある<三重塔>。1608年造営、1823年焼失、1830年再建。
なかなか美しい造形~♪ (^▽^)/
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