こうやさんこんごうぶじ|高野山真言宗
高野山金剛峯寺のお参りの記録一覧(5ページ目)
縁があって和歌山へ
和歌山といえば高野山、熊野...寺社が多いですね。
高野山へお参り
和歌山市からでも高野山は遠く
時間の関係で奥の院のみのお参り
高野山の入り口 大門の大きさにも圧倒されました。
大門
空海さまの世界にひたる。天才って三次元、四次元で
考えることができるんだな…書も普通の曼荼羅も素敵ですが立体曼荼羅って❣️宇宙だわ🌏平成27年の開創1200年の年は宗派、宗教関係なくお参りの人で賑わってました。
金堂。
天水桶。
根本大塔。
六角経蔵。
御影堂。
散華を撒いているのを拾うって言うのを初めて体験。
こうやくんのピンバッジ。
1200年セットの一部。
娘が日帰り研修旅行で高野山へ行ってきたようです。
只今、ケーブルは運休してますが4月から一応復旧するのだそうです。そんで10月から新しいのになるとの事。なんだかスイス製のケーブルなんですって。
今回はそんな事で会社から車二台で高野山へ。仕事の関係上「つて」を使って知り合いのお坊様の説明付き(笑)
予約をすれば説明は受けられるのだそうですが、お坊様が付き添う事はないそうで、これはほんと、「つて」
正確には知り合いの同級生のお坊様。なのでお若い。若干25歳だそうです。
ちょっと面白い話を色々きいてきたようなので2回に分けます。(それでも長くなりそう)写真は出来るだけ他の方と重複しないようにいたしました。
【中門】ここの仁王様は外側に面しているのが古い仁王様で内側が新しい仁王様。
新しい仁王様の胸には蝉とトンボが施されています。蝉は声が響き渡るので「仏教の教えが広く響き渡る」意味を込め、トンボは「後退しないので前進してゆく」意味が込められているとの事。
【金堂】はコンクリート製なんだそうです。とにかく「ブラタモリ」でも紹介されていましたが雷被害が酷いのでほとんどのお堂が焼失しているのだそうです。ですので今回ここはコンクリートで作られたんだそうです。なんとここには謎の地下室があるそうで、それが何処なのかは明らかにされていないのだそうです。根本大塔(今回は写真を省きました)にも地下室はありますが、ここは所在が明らかとか。
ここには開かずの厨子があったようで、ここに高村光雲の薬師如来が入っていたとわかったのはなんと3年前。おかげで彫りたての如く美しい薬師様が入っていらっしゃったとか。
高野山のお堂の屋根は古いものは檜皮葺。瓦だと温度差ですぐに割れてしまうのだそうでこれになっているのだそうですが、これだと燃えやすいんですよね~と・・・。どっちもどっちだなぁ。現在では瓦か銅板になってるとの事。技術の進歩が伺えます。瓦屋根は平成に再建されたものって事ですね。
【六角経堂】お坊様の子供の頃は大の大人が数人かかってでないと回せない程重かったそうですが、最近ベアリングを入れて軽くしたとか。でも軽すぎて重厚さが無くなったので少し重くしているそうです(笑)
【御社】800年前に夢枕で丹生都比売(にうつひめ)が現れ、「さぼってんじゃねーぞお前ら!ちゃんと修業しないんだったら山は返してもらうぞ!」と怒られたそうで(笑)当時100以上あった塔頭から1人ずつエリートを選び勉強会なるものを開いたそうです。その名残が現在も残っており年に一回あるんだそうです。こっそり娘が「こういう事があったから某寺院のように焼き討ちに合わんかったんかなぁ」と(苦笑)
【准胝堂】こちらの准胝観音菩薩は正座から立ち上がるお姿をされており、前かがみのかたちなんだそうです。信者相手なら「今から助けに行くよ」になりそうですが、お坊様が相手だと「今から教義にいくから覚悟しろよ」という事になるとか(笑)
【御影堂】「ブラタモリ」でも紹介があった味噌を塗られて火事を免れた御影堂です。塗られた欄干がツルツルに。
【三鈷の松】唐から空海がぶん投げた三鈷杵が突き刺さったという松ですが、どんだけ剛腕なんだと思っていたら、もう一つの説があって「雲に乗って高野山まで飛んできた」と言う説を高野山ではお話しなさっているとか。流石に剛腕説は無理があったか(笑)
御影堂の空海の像がいつもこの松を見ているので、お坊様はその間を通過することは許されていないんですって。
今回はここまで。
最後に、お坊様になろうとして修業を積むことはここでも出来るそうですが、1年間お山を下りることが出来ないので、修業が明けた時はみんな山を下りてまず肉を食べるとか(苦笑)
「自然と涙が出て、みんな泣きながら食べます」との事。
まぁ、現代っ子ですからね(笑)
中門
古い仁王様
新しい仁王様
金堂
六角経堂
山王院
御社(丹生明神・高野明神・十二王子百二十伴神)と、説明して下さったお坊様の後頭部(笑)
西塔
孔雀堂
准胝堂
御影堂
御影堂の欄干
三鈷の松
後半です。
【愛染堂】現在の堂は1816年(文化13年)に再建されたものですが、燃えた時にご本尊だけでもお救いせねばと持ち出したものの、実はそのご本尊が見つからなかったんだそうです。それが最近になって見つかったようで現在は鎮座されているとの事。発見された当初「見知らぬ仏様が見つかったんだけど、これは何?」とかなってたとか(苦笑)
【不動堂】国宝です。ここだけ燃えていないんだそうです。非公開なので見れないんですが、ここのお不動様は本来後背が火焔なんですが、その火焔部分が龍の形をしているとの事。燃えなかったのはその所為なんでしょうかね。
【大会堂】朝、ここでお坊様が一堂に会し読経した後でそれぞれの業務につくんだそうです。
【六時の鐘】戦国武将・福島正紀が両親の菩提を弔う為に寄進した鐘楼だそうで、1日に6回、一回につき18回突くんだそうで、なんと自動!鐘楼も定時に突かれますがこれと合わせて1日に108回鐘を突くんだそうです。こちらは手動(笑)つき終わるごとに小石を並べてるんですって。
【金剛峯寺の入堂口】ここにも決まりがあって、この大きな入堂口は位の高いお坊様しか入れないのだそうです。年齢でいえば80歳くらいとご説明(笑)写真の右端の障子は中堅どころのお坊様が入堂される入り口。だいたい40歳以上ですって。その他のお坊様は裏からでしか入堂できないしきたりがあるそうです。(拝観口ではない)
【非公開の石庭1】金剛峯寺には上壇の間という金ぴかの部屋がありますが、その奥に更に上々壇の間と言うのがあります。天井のマス目が上壇になればなるほど細かくなるとの事。実はその更に奥に非公開のお部屋があります。昭和天皇がご滞在された折に使われたお部屋だそうで、ここは非公開。今回特別に案内されたとの事。繊細な細い木で細工された菊のご紋の欄干がはまった孔雀の襖絵があるお部屋です。「1」の写真はそのお部屋から写した石庭(許可あり)「2」の写真はその反対側から。奥の建物が昭和天皇が滞在されたお部屋です。
そんなこんなで日帰りで戻って来ました。高野山の桜はまだまだこれから。ですのでこれからが見ごろですから行かれてみれば良いかと思われます。
愛染堂
不動堂
大会堂
東塔
六時の鐘
鐘楼
金剛峯寺の入堂口
金剛峯寺の堂内
この鐘楼は金剛峯寺以前にあったお寺の鐘楼だそうで、合併した時に残ったんだそうです。
非公開の石庭1
非公開の石庭2
寺紋の説明
台所
友達と行ってきました。
襖絵やお庭がとても素敵でした。
※2017年11月26日現在、前の台風の影響により、迂回ルートで行かなきゃならないので、かなり時間がかかります(^_^;)
入り口。
…大きい!
11月下旬でしたが、まだ紅葉綺麗でした。
和歌山県のおすすめ❄️
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
9
0