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ねごろじ|新義真言宗一乗山

根来寺のお参りの記録一覧
和歌山県 下井阪駅

ハル
2023年11月12日(日)
314投稿

新義真言宗の総本山。桜の季節は、大門はじめ綺麗です。紅葉の季節も、いいですよ。

根来寺(和歌山県)

秀吉との対立の時の鉄砲の玉のあと

根来寺(和歌山県)

大伝法堂

根来寺(和歌山県)

大塔

根来寺(和歌山県)

奥の院

根来寺(和歌山県)

光明殿

根来寺(和歌山県)

鐘楼門

根来寺(和歌山県)

石柱

根来寺(和歌山県)

大門

根来寺(和歌山県)

仁王様

根来寺(和歌山県)

仁王様

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穏暖
2022年10月30日(日)
518投稿

和歌山紀の川の旅、最後は根来寺。大伝法院は高野山からここへ移られたということなので、そのせいか高野山と似た雰囲気を感じます。ある意味もっと自然に近い感じ。伝法堂と大塔はまわりになにもなくて自然と一体化していますし、奥之院は杉林に囲まれていて、高野山に通じるものはあるが、ちょっと他にない感じがしました。
帰ってから気づいたのですが大門に行ってません。痛恨。これにて再訪決定。

根来寺の御朱印

御朱印いただきました。

根来寺の御朱印

不動堂の身代わり不動御朱印

根来寺の建物その他

広大な駐車場から受付を通って参拝開始。

根来寺(和歌山県)

石段を上がるとまず目に入るのは大伝法堂。中には巨大な大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂、三体の仏像が安置されています。(写真不可)

根来寺(和歌山県)

横には大塔。木造大塔として日本最大。

根来寺(和歌山県)

大塔を下から。ここも中は写真不可。

根来寺(和歌山県)

大師堂。後ろに大塔。

根来寺(和歌山県)

さらに進むと、奥之院への参道。

根来寺(和歌山県)

興教大師さま御廟

根来寺の建物その他

奥へ。空気がヒンヤリしてます。

根来寺(和歌山県)

御廟前。

根来寺の建物その他

さて、さらに進んで本坊へ。中と庭園の拝観ができます。

根来寺(和歌山県)

光明殿。

根来寺(和歌山県)

鐘楼門。

根来寺の建物その他

入り口近くに戻って不動堂へ。

根来寺(和歌山県)

ここで参拝。

根来寺の建物その他

ちょっと見にくいですが、八角堂の構造。

根来寺(和歌山県)
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寅ちゃん
2021年11月12日(金)
302投稿

近畿三十六不動尊巡り。
第三十四番根来寺にお参り。

根来寺の建物その他
根来寺(和歌山県)

常光明真言殿

根来寺の建物その他

大塔

根来寺の建物その他

大伝法堂

根来寺の御朱印

近畿三十六不動尊御朱印

根来寺(和歌山県)
根来寺の建物その他
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nomuten
2021年05月24日(月)
808投稿

和歌山県寺巡りの2寺目は、先の粉河寺の在る紀の川市の西隣の岩出市に在る一乗山 大伝法院 根來寺です。新義真言宗総本山で、本尊は大日如来。

興教大師 覚鑁(かくばん)上人が1132年に高野山に大伝法院を建立した事を始まりとする。高野山金剛峯寺の座主に就任し名声が上がると高野山衆徒と対立し、山を降りて根来にある末寺の豊福寺へ移り、根来寺が形成された。その後、寺領を拡大し、根来衆と呼ばれる僧兵も擁するようになったが、1585年に秀吉の紀州征伐により大師堂、大塔以外の全山焼失。江戸時代に紀州徳川家の庇護により復興され現在に至ります。(院号は大伝法院、御朱印は興教大師である)

駐車場に停めて奥(北)へ向かうと橋のたもとに入山受付がありますが、先ずは右手の不動堂を参拝します。礼拝所と本堂である八角円堂が合体した造りで建物は重文指定です。参拝してから入山受付にて入山料をお支払し、橋を渡り石段を上がると正面に大伝法堂(一般的には本堂、1826年再建)。堂内には1400年前後に作られた高さ3m超えの本尊の大日如来、右手には金剛薩垂、左手には尊勝仏頂の三尊が祀られています。仏像も建物も重文指定です。
大伝法堂の左には国宝の大塔。高さ40mで国内最大の多宝塔、流石にデカい。1547年建立で紀州征伐の兵火を免れました。円形の内陣には入れませんが、堂内に入って1周出来ます。本尊は大日如来、その他仏像が祀られています。
大塔の左には大師堂。本尊は弘法大師。1391年建立のこの寺院の中で最も古い建物で、重文指定。
以上の3つの建物が並んでいるのは圧巻です。
少し下って橋を渡る手前を右手に上ると奥の院。覚鑁上人の御廟です。高野山の奥の院と同じで、御廟の前まで両側にお墓が並んでいます。
戻って橋を渡ると本坊、寺務所があります。寺務所にて御朱印をお願いしてから、光明殿、名勝庭園等を拝観します。寺院の庭園は観ていると落ち着きます。
尚、山門(大門)は少し離れた所にあります。如何広大な寺領だったかがわかります。二重門で両脇には仁王像、上層階には釈迦如来と十六羅漢が祀られていますが、上層階の拝観は残念ながら出来ません。寺務所から離れていますし、手間が掛かるので仕方無いですね。

根来寺の御朱印

御朱印

根来寺の山門

大門

根来寺の像
根来寺の像
根来寺(和歌山県)

不動堂

根来寺の建物その他

鐘楼

根来寺の建物その他

春日堂

根来寺の建物その他
根来寺の本殿

大伝法堂(本堂)

根来寺の建物その他

大塔

根来寺の建物その他
根来寺の建物その他
根来寺の建物その他

大師堂

根来寺の建物その他

奥の院

根来寺の建物その他

御廟

根来寺の本殿

本坊

根来寺の本殿

光明殿

根来寺の山門

鐘楼門

根来寺の手水

手水

根来寺の建物その他
根来寺の庭園

名勝庭園

根来寺(和歌山県)
根来寺の庭園
根来寺の建物その他

行者堂

根来寺(和歌山県)

聖天堂

根来寺の庭園

弁天池

根来寺の動物

蛇を咥えた鷺

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湯守りと妖怪
2020年12月22日(火)
41投稿

空海入定後300年、空海以来の学僧と言われた覚鑁が高野山内に伝法院を建てたことに始まる。
覚鑁は金剛峯寺座主に就任し山内全体を統轄する勢力を持つが、当時堕落していた高野山を立て直そうとするが反対派と対立、焼き討ちにあう。
一門は高野山を下りて豊福寺に拠点を移し円明寺を建て、一山総称して根来寺が形成される。
没後一世紀以上後に大伝法院の学頭であった頼瑜は大伝法院の寺籍を根来寺に移した。
室町末期の最盛期には一大宗教都市を形成、根来衆と呼ばれる大軍事集団を形成、その後秀吉の雑賀攻めを招き、太子堂・大塔など数棟を残し焼け落ちた。
大伝法院は解体して持ち去られたが、部材は大阪中津川沿いに放置された。現在も大阪市此花区に伝法の地名が残る。
関ケ原の戦い後、京都豊国神社の土地建物を根来寺の僧で焼き討ちされた塔頭智積院の住職玄宥に与えられた。
現在、京都東山智積院に至ります。

根来寺の自然

紅葉台公園 美しい季節を過ぎ残り紅葉

根来寺の塔

大塔 日本で最も大きな木造多宝塔、真言宗の大塔の形式を伝える大規模な多宝塔

根来寺の本殿

大伝法院 本堂 本尊は大日如来 左脇に金剛薩埵 右脇に尊勝仏頂

根来寺の庭園

名称庭園 本坊の庭園

根来寺の山門

鐘楼門

根来寺の建物その他

常光明真言殿

根来寺の庭園

聖天池

根来寺の山門

大門 本堂までかなり離れていますので随分大寺だったことがうかがえます。

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