まつしまじんじゃ
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ビルの1F部分に取り込まれる形となっている神社です。
「人形町のおとりさま」と呼ばれ親しまれているということですが、なぜおとりさま?
14柱の神様が祀られているのですが、そのうちの1柱が天日鷲神(大鳥大神)。
酉の市が古くから行われていたことから「おとりさま」と呼ばれるようになったとか。
御朱印は書き手の方がいらっしゃらなかったからか、「ただいま書置きのみになります」とのことでした。
<御祭神>
稲荷大神 伊邪那岐神 伊邪那美神 日前大神(天照大神)
北野大神(菅原道真公) 天日鷲神(大鳥大神) 大国主神
大宮売神 手置帆負神 彦狭知神 淡島大神 八幡大神
猿田彦神 琴平大神
<御由緒>~東京都神社庁より~
鎌倉時代の元亨以前にこの辺りが入り海であった頃、松の木が鬱蒼と生えた小島に柴田家の邸内社として祭られてあったが、天正十三年(1585年)松島稲荷大明神として一般に公開参拝の自由が許され、大正五年六月十日松島神社と改称される。




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江戸時代の国学者賀茂馬淵翁が元文2年(1737)11月14日より松島稲荷社に寄宿され、当社に於いて神の道を説かれたと「賀茂馬淵翁伝新資料91頁」に記されているが、社記類は大震災と戦災によってすべて灰塵に帰してしまっているので、創立年月日は詳らかでないが、口伝によると鎌倉時代の元享(1321)以前と推測される。
昔この辺りが入り海であった頃小島があり、柴田家の祖先が下総の国からこの小島に移り住み、邸内に諸神を勧請し、夜毎揚げる燈火を目標に舟人が航海の安産を得たと伝えられる。
正中元年(1324)3月2日夜刻三男柴田権太に百難救助すべしとの神示があり、霊験自在円満の感応あり其の奇得を遠近の諸人が信仰し、これにより正一位稲荷大明神の位記を奉らる。
天正13年(1585)2月13日住民の希望に従い、邸宅を公開し参拝の自由を許容せり。島内松樹鬱蒼たるにより人々松島稲荷大明神と唱え、又、権太の木像を安置し権太大明神とも俗称された。
(神社本庁明細)
正徳3年(1713)新町が開設される時に社号に因んで町名を松島町と称した。当時近辺を埋め立て武家屋敷を造営するために、日本各地から技をもつ人々が集められてそのまま住まいを構え、町の中心に位置した松島稲荷に、それぞれの故郷の神々の合祀を頼んだために他社に比べ御祭神が14柱と多い。
明治7年4月2日松島稲荷神社の名称を以って村社に列格される。
大正5年6月10日松島神社と改称。
昭和8年2月1日都市計画法の実施に伴い蛎殻町4丁目に改称せられ、その為松島町は消滅する。(松島神社由緒書より)
| 名称 | 松島神社 |
|---|---|
| 読み方 | まつしまじんじゃ |
| 参拝にかかる時間 | 10分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | なし |
| おみくじ | あり |
巡礼の詳細情報
| 日本橋七福神 第6番 | 仏さま:大国神 |
|---|
詳細情報
| ご祭神 | 稲荷大神、伊邪那岐大神、日前大神(天照大神)、北野大神(菅原道真公)、手置帆負神、彦狭知神、淡島大神、八幡大神、猿田彦神、琴平大神、天日鷲神(大鳥大神)、大宮能売神(おかめさま)、大国主神(だいこくさま) |
|---|---|
| ご由緒 | 江戸時代の国学者賀茂馬淵翁が元文2年(1737)11月14日より松島稲荷社に寄宿され、当社に於いて神の道を説かれたと「賀茂馬淵翁伝新資料91頁」に記されているが、社記類は大震災と戦災によってすべて灰塵に帰してしまっているので、創立年月日は詳らかでないが、口伝によると鎌倉時代の元享(1321)以前と推測される。
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| 体験 | 札所・七福神巡り |
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