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鐵砲洲稲荷神社ではいただけません
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てっぽうずいなりじんじゃ

鐵砲洲稲荷神社
東京都 八丁堀駅

9:00~12:00 13:00~17:00

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

例祭・神事

1月1日    歳旦祭
2月3日    節分祭追儺式
2月17日   豊年祈願祭
5月2日~5日 例大祭 - 3年毎に本祭りとなり、神輿渡御を行う。
6月30日   夏越の大祓
7月1日    富士浅間神社例祭
8月14日   八幡神社例祭
11月15日   七五三祝祭
11月23日   生産感謝祭
冬至     冬至開運祈願祭 - 「金銀富貴」の神礼を配る。
12月31日   師走の大祓・除夜祭

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歴史

鐵砲洲稲荷神社の「生成太神(いなりのおおかみ)」は、1554年に始まる足利義輝の治世に形成された京橋地区一帯の土地生成の産土神(うぶすなのかみ)です。
 それよりさかのぼる841年、平安時代初期にこの地の住民がうち続く凶作に教えられるところがあって、自らの産土の国魂神を祀り、万有の命を生かし成したまえる大御親神生成の大神として感謝し、日々の御守護を祈願したものです。
 その後、埋立てが進み現在の京橋あたりに御遷座になり、さらに1520年代末に氏子崇敬者の願いによって、新しい海岸であった今の新京橋へ遷座し八町堀稲荷神社と称しました。室町時代の末期のことであります。
 徳川幕府が開かれいよいよ埋立てが進み、寛永元年(1624)、これまた氏子崇敬者の願いによってこの鐵砲洲に生成太神を御遷座申し上げ、それまであった八幡神社を摂社として今日の鐵砲洲稲荷神社の基礎を築きました。たび重なる海側への御遷座は、そもそも御鎮座の地に湊があったからです。
 江戸時代に至っては、米・塩・酒・薪・炭を初めほとんどの消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきたため、鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護の神として全国に広まり、今なお『冬至開運祈願祭』に授与する「金銀富貴」の神礼は日本中の人々から拝戴されています。

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鐵砲洲稲荷神社の基本情報

住所東京都中央区湊1-6-7
行き方

・京葉線·東京メトロ日比谷線「八丁堀」駅下車 徒歩5分
・東京メトロ有楽町線「新富町」駅下車 徒歩10分
・都営バス東15(東京駅八重洲口~深川車庫)「鉄砲洲」下車すぐ
・中央区コミュニティバス江戸バス(南循環)「⑧鉄砲洲」下車すぐ

アクセスを詳しく見る
名称鐵砲洲稲荷神社
読み方てっぽうずいなりじんじゃ
通称海上鎮護の湊いなり
参拝時間

9:00~12:00 13:00~17:00

参拝料

なし

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号03-3551-2647
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.teppozujinja.or.jp/

詳細情報

ご祭神《主》豊受比売太神,宇迦之御魂太神,稚産霊太神,生成太神
創建時代承和八年(841)
ご由緒

鐵砲洲稲荷神社の「生成太神(いなりのおおかみ)」は、1554年に始まる足利義輝の治世に形成された京橋地区一帯の土地生成の産土神(うぶすなのかみ)です。
 それよりさかのぼる841年、平安時代初期にこの地の住民がうち続く凶作に教えられるところがあって、自らの産土の国魂神を祀り、万有の命を生かし成したまえる大御親神生成の大神として感謝し、日々の御守護を祈願したものです。
 その後、埋立てが進み現在の京橋あたりに御遷座になり、さらに1520年代末に氏子崇敬者の願いによって、新しい海岸であった今の新京橋へ遷座し八町堀稲荷神社と称しました。室町時代の末期のことであります。
 徳川幕府が開かれいよいよ埋立てが進み、寛永元年(1624)、これまた氏子崇敬者の願いによってこの鐵砲洲に生成太神を御遷座申し上げ、それまであった八幡神社を摂社として今日の鐵砲洲稲荷神社の基礎を築きました。たび重なる海側への御遷座は、そもそも御鎮座の地に湊があったからです。
 江戸時代に至っては、米・塩・酒・薪・炭を初めほとんどの消費物資は鐵砲洲の湊へ入ってきたため、鐵砲洲生成太神の名は船乗人の海上守護の神として全国に広まり、今なお『冬至開運祈願祭』に授与する「金銀富貴」の神礼は日本中の人々から拝戴されています。

体験祈祷お宮参り結婚式七五三

Wikipediaからの引用

概要
鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)は東京都中央区湊にある稲荷神社。平安時代創建の古社で、京橋地域の産土神である。
歴史
歴史[編集] 平安時代の承和8年(841年)4月15日(ユリウス暦841年5月9日)、凶作に悩む荏原郡桜田郷の住民が産土神を生成太神(いなりのおおかみ)として祀ったことに始まる。 入江埋立に伴い京橋に遷座し、更に室町時代末期の大永年間に後の新京橋(現・銀座一丁目付近)へ遷座し、八丁堀稲荷神社と称した。 江戸時代初期の寛永元年(1624年)、桜川が亀島川に合流する地点、稲荷橋南東詰(現・湊一丁目8番地付近)に遷座し、もとあった八幡神社を摂社とした。 一方、18世紀中期の『事跡合考』によれば、昔八丁堀一丁目南岸にあったが、家屋が過密になり、八丁目に移転したという。 江戸の水路網の入り口に位置...Wikipediaで続きを読む
アクセス
交通[編集] JR京葉線・東京メトロ日比谷線八丁堀駅より徒歩約6分(経路案内) 東京メトロ有楽町線新富町駅より徒歩約8分(経路案内) 都営バス東15系統・中央区コミュニティバス南循環鉄砲洲停留所前より徒歩約1分(経路案内)
引用元情報鐵砲洲稲荷神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%90%B5%E7%A0%B2%E6%B4%B2%E7%A8%B2%E8%8D%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98316625

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