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福徳神社(芽吹稲荷)のお参りの記録一覧
東京都 三越前駅

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malice
malice
2024年03月23日(土)773投稿

駒込妙義神社様から日本橋へ用事を済ませてマップを見るとすぐ近くに神社のマークが載っていたのでお参りに行ってきました。
御朱印は15時迄だそうで拝受できませんでした😢

【福徳神社】

当社の創祀された時は明らかではありませんが、古くからの言い伝えによると貞観年間(清和天皇859年~876年)には既に鎮座していたと云われています。

 鎮座地の日本橋室町二丁目付近は、往古は武蔵国豊島郡福徳村(あるいは豊島郡野口村福徳)と伝えられ、農漁家の点在する片田舎だったそうです。
 古くは稲荷の祠と呼ばれていましたが、後にその村名をとって「福徳稲荷」と呼ばれました。

 江戸時代の社家であった森村氏の言い伝えによると、源義家公、太田道灌公など武将の崇敬も厚く、後に道灌公は相殿に合祀されました。

 徳川家康公は天正18年(1590年)8月に初めて当社に参詣され、その後参詣は数度に及んだといいます。
 後に、本田忠勝が関ヶ原の戦いの功績により家康公より賜った紙入れを当社に奉納した際、これを東照宮の神霊として祀るように命じ、以来相殿に奉斎されています。

 さらに、二代将軍秀忠公は慶長19年(1614年)正月28日に参詣し、「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛されました。この時、当社古例の椚(くぬぎ)の皮付き鳥居に、春の若芽の萌え出でたのをご覧になり、当社の別名を「芽吹稲荷」と名付けられました。
 明治7年(1847年)8月9日、政府により当地の由緒•信仰を認められ「村社」の社格を定められ、社号が福徳稲荷から福徳神社へと変わりました。

 関東大震災後の区画整理により日本橋区室町2丁目4番地に遷座、戦災に遭いながらも、昭和48年(1973年)年1月に中央区日本橋室町2丁目4番14号に遷座し平成を迎えました。
 平成18年(2006年)日本橋室町の再開発による建て替えに伴い、4度の遷座。平成26年(2014年)に現在の新社殿が竣工し、江戸時代より続く「日本橋のお稲荷様」として日本橋に行き交う多くの人々の崇敬を集めています。
ー福徳神社HPよりー

福徳神社(芽吹稲荷)の周辺

日本橋三越の通りから浮世小路へ曲がるとタイムスリップしたような感じがしました😊

福徳神社(芽吹稲荷)の鳥居

ビルに囲まれた中にあります。

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ぱん吉🍀
ぱん吉🍀
2023年12月18日(月)1144投稿

🎯億の細道からの参拝①
徳川家とも縁が深い『福徳神社 (芽吹稲荷) 』🙏
良くも悪くも色々あった当たり年。久々に年末ジャンボを買いたくなり、西銀座チャンスセンター1番窓口✨通称《億の細道》に列びました (*´罒`*)
購入後は歩いて福徳稲荷神社へ向かい、神楽鈴で当選祈願🎵
御朱印の対応は10時から…15分待つ余裕がなく御朱印は諦めて御守を拝受。

月曜(有休)は昼のフライトまでゆっくりする予定でしたが、(土日は日が悪く)先勝のこの日に宝くじを購入することにしたので、朝のギューギュー満員電車で目的地の有楽町へ。平日にもかかわらず、1番窓口には長い列、、30分くらい待ちましたが無事にゲット♪

ここまできたら、パワースポット『小網神社』への参拝も決行!搭乗時間に間に合うかヒヤヒヤしながら急ぎ足で向かいました (ill゚д゚)

福徳神社(芽吹稲荷)の鳥居

ビルの谷間に真っ赤な鳥居!
江戸時代には富くじが売られ、徳川家康公も度々参指されたそうです♪
本田忠勝の命により、家康公(東照大権現)も御祭神として合祀✴ 

福徳神社(芽吹稲荷)(東京都)

二代将軍秀忠公が「福徳とはまことにめでたい神号である」と称賛、当時の鳥居に若芽の萌え出でたのをご覧になり、別名「芽吹稲荷」と名付けたとのこと🎵

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