ひびやじんじゃ
日比谷神社東京都 汐留駅
午前9時〜午後5時
※水曜日は休務日
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楽しみ方
芝大神宮から徒歩で日比谷神社へ。
徒歩約10分ちょっとで到着。
都会のど真ん中にある小さな境内の神社です。
御祭神は、豊受大神、祓戸四柱大神(瀬織津比賣大神・速開都比賣大神・気吹戸主大神・速佐須良比賣大神)
もともとは旧麹町区日比谷公園の大塚山に鎮座されていたそうですが、その後江戸城築城による移動などがあったそうです。
平成21年に現在地に移されたとのこと。
御朱印は書置きですが、鯖の絵が描かれています。
なぜ鯖なのかは、日比谷神社のHPに記載がありました。
『日比谷神社が日比谷公園の中にあった頃、全国の苦しんでいる旅人たちに日比谷神社の社務所を開放し、無病息災の祈願を受けさせたところ、霊験が殊更に著しくあらわれ、旅人や周囲の人々は「旅泊(さば)稲荷」と唱えました。
新橋に遷った後に魚の鯖に変わるようになり、鯖稲荷と称してまいりました。
特に昔、虫歯虫封じに苦しむ人が御祈祷をうけると霊験があるとされ、鯖を食べることを断ち祈誓をかけると治ったそうです。それ以降、治った人々は日比谷神社に鯖を奉納するといわれてきました。』
拝殿
稲荷神社

東京都港区東新橋に鎮座する神社で、現在の新橋・東新橋・汐留の鎮守。
古くは現在の日比谷公園あたりに鎮座していたお稲荷様で、当時は日比谷地区の鎮守であり、現在は社号に「日比谷」の名を残す。
江戸城増築にあたり遷座し、別名「鯖稲荷」として信仰された。もともとは大塚山に在った頃、苦しむ旅人達に社務所を開放して無病息災を祈願を受けさせたところ霊験があったことから、「旅泊(さば)稲荷明神」と呼ばれていた。
新橋移転以降は「鯖」の字を当てた鯖稲荷となり、虫歯に苦しむ人が鯖を断って当社に祈願すると霊験があるとされ、成就すると鯖を奉納する習わしであった。
明治以降は戦前と戦後に遷座を行っており、平成21年(2009)に現在地に遷座。
第一京浜と環状2号線(新虎通り)が交わる交通の要衝に鎮座する神社となっている。
当日比谷神社は、古くから旧麹町区日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神旅(さ)泊(ば)稲荷明神と称しておりました。慶長11(1606)年、江戸城築城に際し日比谷御門を造営することとなり、氏子と共に芝口に移動となりますが、町名は従来のまま、日比谷となっておりました。
しかし、寛永7(1630)年、新橋に新しく芝口御門を造営することになり、町名も日比谷町から芝口町へと改称することになりましたが、神社の社号は変えることなく現在に到ります。
芝口の地に御鎮座して四百有余年となる古社であります。
御霊験著しいことから崇敬者も多く、江戸幕府の時代には毎年1月6日に神札を捧持して登城する慣例があったといわれ、それ以外にも伊達、脇坂、中川、肥後、本堂、毛利、井上、片岡家の諸公から篤い崇敬を集めていたといわれます。
明治5(1872)年に村社に列せられ、その後、関東大震災(大正12年)の影響で昭和三年の都市計画区割整理の対象となり、愛宕下町二丁目に換地されて、現在の新橋四丁目に日比谷神社の御社殿が造営されました。
以降、新橋の鎮守様として広く崇敬を集め幾多の災厄に遭うも、その都度氏子崇敬者の方々の御厚意をもって再建して参りました。
平成21年に、都市道路計画(環状2号線)の建設により、御社殿を東新橋二丁目に建造されました。現在では新橋四丁目町会・新橋五丁目町会・汐留町会・新橋二丁目町会・新橋駅前ビル自治会・東新橋一丁目町会及び汐留シオサイト地区の氏神様として変わらぬ崇敬を集めております。
| 住所 | 東京都港区東新橋2-1-1 |
|---|---|
| 行き方 | ゆりかもめ線・都営大江戸線 汐留駅 徒歩3分
|
| 名称 | 日比谷神社 |
|---|---|
| 読み方 | ひびやじんじゃ |
| 通称 | 鯖稲荷 |
| 参拝時間 | 午前9時〜午後5時
|
| 参拝にかかる時間 | 約10分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 電話番号 | 03-3433-2034 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.hibiyajinja.net |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| ご祭神 | 豊受大神 (とようけのおおかみ) 祓戸四柱大神(はらいどのよつばしらのおおかみ) |
|---|---|
| ご神体 | 不詳 |
| 創建時代 | 不詳 |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 三間社流造 |
| ご由緒 | 当日比谷神社は、古くから旧麹町区日比谷公園の大塚山という所に鎮座し、日比谷稲荷明神旅(さ)泊(ば)稲荷明神と称しておりました。慶長11(1606)年、江戸城築城に際し日比谷御門を造営することとなり、氏子と共に芝口に移動となりますが、町名は従来のまま、日比谷となっておりました。
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| 体験 | 祈祷おみくじ七五三御朱印お守り祭り |
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