やすくにじんじゃ
靖國神社のお参りの記録一覧(18ページ目)
靖國神社は、千代田区九段下にある神社。旧社格は別格官幣社、勅祭社。
明治天皇の意向で1869年に建てられた東京招魂社が起源。1879年に靖國神社と改称。明治維新に貢献した幕末の志士から、大東亜戦争で亡くなった人々まで、「祖国を守るという公務に起因して亡くなった方々の神霊」という基準で、日本国家のために殉難した246万6千余柱の英霊を祀る。
当社は、皇居の北西すぐの場所にあり、地下鉄九段下駅から0.6km、JR地下鉄・市ヶ谷駅から0.8kmの靖国通り沿いにある。
参拝時は平日の午後であったが、平日の割には多くの人が参拝に来ていた。
九段下から境内に入ると、最初に現れるのが<第一鳥居(大鳥居)>。
狛犬(左)。台座は高くサイズは大きい。
狛犬(右)。威厳がある感じ。
大鳥居をくぐって右手には、様々な慰霊碑とともに47個の<さくら陶板>が並んでいる。これは2019年に創建150年を記念して、御祭神(全国の英霊)の故郷の土を使って、各都道府県の陶工が制作・奉納したもの。写真は左から神奈川県、東京都、千葉県のさくら陶板。
しばらく歩くと高くそびえる<大村益次郎像>。近代日本陸軍の創設者で靖国神社の創建に尽力した人物。1893年に日本初の西洋式銅像として建てられた。
境内に1本だけ車道が通っていて、タクシーなどクルマが行き交う。写真の右手では大木の手入れに大型重機が入っていた。
1887年建立の<第二鳥居>。青銅製の鳥居としては日本一の大きさ。大阪砲兵工廠にて制作。
第二鳥居をくぐって左手にある巨大な<大手水舎>。1940年に在米日本人から奉納されたもの。花崗岩製で、重量は18トン以上。
神域の入口にある<神門>。1934年建立。
神門をくぐる。中央扉の菊花紋章は直径が1.5mある。
まず先に社殿に向かう。社殿の前に<中門鳥居>。2006年に埼玉県産檜材を使用し建替え。かつては門扉があったとのこと。
美しい拝殿。1901年建立。
拝殿正面。白地に菊花の紋章の神社幕。
社殿の右側にある<参集殿>。1階の左手が<朱印所>。御朱印はこちら。
朱印所から社殿を望む。拝殿の裏に本殿の屋根が見える。
中門鳥居を出ると、左手には<斎館・社務所>。
神門近くにある<能楽堂>。もともと1881年に東京・芝公園に建てられたものを1903年に奉納・移築。
気象庁が定める東京地方の桜の開花の標準木となっている桜の木。能楽堂、神門の近くに立っている。
1882年竣工開館の<遊就館>。靖國神社に鎮まる英霊の遺書や遺品などを収蔵・展示。
境内の最奥角には<相撲場>があり、その隣にある<啓照館>。もともとは1938年造営の、相撲場脇の力士控室である支度部屋。2010年に改築され、支度部屋兼多目的施設。
境内の最奥にある<神池庭園>。明治の初めに造られた回遊式庭園。
奥に見える平屋の建物は、茶室<靖泉亭>。
第二鳥居付近にある<さざれ石>。
境内中央部にある<外苑休憩所>。食事もできる。当日のランチはここ。
境内中央部、駐車場付近にある<ザ・昭和の売店>。
第一鳥居(大鳥居)側入口の、靖国通りを挟んで反対側に建つ<高燈籠(常燈明台)>。1871年竣工で、かつては品川沖の船舶にとって航海の目印となっていた。九段坂の改修工事で現在位置に移転。
全国の招魂社が戦後創立、大村益次郎氏が東京に創立を散策し現在地へ尽力。
英霊246万6千余柱を祀り、今も特殊な存在であります。
境内にある就遊館(博物館)にて、日本国の戦争の歴史を学ぶことができ、平和の大切さを改めて感じれました。
御朱印は社務所にていただきました。
中門鳥居と社殿
日本一の大鳥居
青銅の第二鳥居と神門
能楽堂
神池庭園
表参道の大村益次郎の銅像
東京都千代田区にある神社。旧社格は別格官幣社で勅祭社。明治維新以降の国家のために殉職した軍人246万柱を祀っています。また、桜の名所としても有名で、春はお花見客で、境内は溢れかえっていました。
拝殿と中門鳥居:拝殿は1901年建立
第二鳥居:1887年建立。大阪砲兵工廠で製作され、青銅製の鳥居としては日本一の大きさ
神門:1934年建立
第一鳥居:1974年再建
大村益次郎銅像
石鳥居:1933年建立
南門:狛犬は青銅製
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