御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
慈眼寺めめ大バナー※王子神社ではいただけません

おうじじんじゃ

王子神社

東京都 王子駅

投稿する
03-3907-7808

※お問い合わせの際は「ホトカミを見た」と
お伝えいただければ幸いです。

御朱印・御朱印帳

御朱印 (1種類)

王子神社の御朱印は1種類です。

王子神社の御朱印

300円

右上に「奉拝」の印、右下に「元准勅祭 十社之内」印、真ん中に神社印、左下に「災禍消滅」印が押されています。
真ん中の神社印に重ねて「王子神社」と墨書きされています。

授与場所・時間

御朱印は本殿右手にある社務所でいただけます。
受付時間は9時半~16時半。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

御朱印をもっと見る|
159
御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

20台あり

おすすめの投稿

Gclef
2020年09月14日(月)
128投稿

東京十社自転車めぐり~①王子神社~
今回は運動もかねてサイクリングで十社巡りをおこないました。

東京十社は皇居を囲むように位置しており、
周回ルートで約40kmほどの道のりになります。
そのため電車や自転車を駆使することで、
頑張れば一日で巡ることができます。
浅草や東京タワーといった東京の名所を通るため、
東京観光をあわせてできるのもうれしいです。

一社目の王子神社は十社のうち最北の離れたところにあります。
今回はここから時計回りに十社結願をめざします。

*****************************************************
東京十社とは「元准勅祭社」にあった十社の総称で、
①王子神社②白山神社③根津神社④神田神社⑤亀戸天神社
⑥富岡八幡宮⑦芝大神宮⑧品川神社⑨赤坂氷川神社⑩日枝神社
の各社になります。
いずれも都内ではエース級の規模を誇る有力社です。

准勅祭社とは1868年に東京鎮護を願って定められた十二社で、
明治天皇からの幣帛もあったほど重要視されていました。
(十二社は東京十社に六所神社・鷲宮神社の二社を加える)
ただ当時の社格でいうと十二社中に式内社はなく、
また官国幣社もないということになります。
(その後1882年に日枝神社が官幣社に指定)
「准」とつくのは、勅祭社はそれはそれで制定しており、
それに併せて指定された経緯があるようです。
ただ准勅祭社の制度は早くも1870年には廃止になってしまいました。

その後1975年に昭和天皇の即位50年を記念して十社巡礼が企画され、
今では観光的な意味合いで広く知られるにいたっています。
*****************************************************

王子神社の御朱印

御朱印。元准勅祭社のしるしがあります。

王子神社の鳥居

明神鳥居と社号標。

王子神社の建物その他

御由緒書き。御祭神は伊邪那岐命、伊邪那美命、天照大御神、速玉之男命、事解之男命。

王子神社の本殿

参道。

王子神社の本殿

拝殿。王子権現とも呼ばれるように、権現造の社殿です。

王子神社の本殿

拝殿からは大きな向拝が伸びています。向拝柱は白く塗られ、足元には金色の装飾がなされているのが印象的です。

王子神社の狛犬

狛犬。

王子神社の本殿

境内には神社所有の御神輿が飾られていました。非常に豪華な造りです。

王子神社の建物その他

東京十社めぐりの案内板がありました。このあと残る9社にも参拝めざします。

もっと読む
惣一郎
2021年05月23日(日)
910投稿

王子神社は、北区王子本町にある神社。旧社格は郷社。准勅祭社。東京十社の1社。旧称は「王子権現」。北区王子の地名は当社に由来する。

創建は鎌倉時代末期の1322年、当地領主・豊島氏が熊野方向を望む石神井川沿いの高台に、紀州熊野三社権現から王子大神を勧請し、「若一王子宮」として祀ったのが始まり。豊島氏に続いて領主となった小田原北条氏も寄進をした。
江戸時代には、徳川家康が社領200石を寄進、徳川家光は社殿を新造し、林羅山に命じ「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせ奉納、五代綱吉、十代家治、十一代家斉も社殿の造営・修繕し保護した。
明治時代に近代社格制度で郷社に列するとともに、準勅祭社に指定された。1945年に米軍の東京大空襲により社殿を焼失、1964年、1982年に社殿を再建。戦後、東京十社の1社となった。

当社は、JR京浜東北線・王子駅の北西方向200mの位置にある。音無親水公園と接していて、飛鳥山公園とつながる、都内でも緑豊かな場所にある。境内は大通りから少し入ったロケーションで緑が多く、敷地は旧郷社格相当でそれなりに大きい。

コロナ禍による緊急事態宣言下であったため、人出が少なそうな都内の神社の一つとして当社にバイクで参拝。参拝時は週末の午後、参拝者や地元風の人がぱらぱらと来ていた。

王子神社の鳥居

大通りから見た<鳥居>と<社号標>。燈籠と社号標が境内から離れているのが変わっている。

王子神社の鳥居

境内入口の<鳥居>。敷地サイズと比べるとかなり大きい。

王子神社の建物その他

鳥居をくぐる。樹木が大事にされていて、緑が豊かな境内。

王子神社の手水

参道右手にある<手水舎>。

王子神社の建物その他

参道左手にある<神輿庫>。現代建築のガラス張りで、神輿をいつでも目で楽しめる。

王子神社の本殿

参道を進む。コロナの緊急事態宣言下でも、<三密>にはならない神社参拝は人気。

王子神社の本殿

社殿全景。緑の杜に、銅板葺の緑の屋根がマッチしている。

王子神社の本殿

拝殿正面。柱や梁、彫刻などの配色がきれい。

王子神社の末社

拝殿向かって左手にある境内社<関神社>。主祭神は小倉百人一首にも出てくる<蝉丸公>、その姉の<逆髪姫>、侍女の<古屋美女>。

王子神社の末社

蝉丸は、髪で悩む姉・逆髪姫のために、侍女の古屋美女に命じて<かつら>を考案したことから、「髪の神様」、「音曲諸芸道の神」として崇敬を集めてきた。1945年に焼失し、1959年に全国各地の「かもじ・かつら・床山・舞踊・演劇・芸能・美容師」の浄財により再建した。

もっと読む
みう
2021年03月28日(日)
676投稿

御祭神は伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天照大御神(あまてらすおおみかみ)、速玉之男命(はやたまのおのみこと)、事解之男命(ことさかのおのみこと)の五柱で、総称して「王子大神」とお呼び申し上げます。紀州(和歌山県)熊野三社権現(本宮・那智・新宮)の御子神さまの呼称で、世界遺産にも登録された熊野古道には多くの王子神が祀られていたといわれます。
 創建は詳らかではありませんが、源義家の奥州征伐の折、当社の社頭にて慰霊祈願を行い、甲冑を納めた故事も伝えられ、古くから聖地として崇められていたと思われます。その後、元亨2年(1322年)、領主豊島氏が紀州熊野三社より王子大神をお迎えして、改めて「若一王子宮」と奉斉し、熊野にならって景観を整えたといわれます。それよりこの地は王子という地名となり、神社下を流れる石神井川もこの付近では特に音無川と呼ばれています。
 戦国時代、当地の領主となった小田原北条氏も当社を篤く崇敬し、朱印状を寄せて社領を安堵しております。
 徳川時代に入ると初代家康公は天正19年(1591年)、朱印地二百石を寄進し、将軍家祈願所と定めました。二百石は当時としては広大な社領で、それより代々将軍の崇敬篤く、「王子権現」の名称で江戸名所の1つとなります。

王子神社の建物その他王子神社の鳥居王子神社の手水

手水舎

王子神社の末社王子神社の本殿

拝殿

王子神社(東京都)

拝殿の中

王子神社の狛犬王子神社の狛犬王子神社の建物その他

社務所

王子神社の本殿

本殿

王子神社の御朱印
もっと読む
投稿をもっと見る(154件)

歴史

王子という地名は元亨二(1322)年に領主豊島氏が熊野より当社を勧請した事に由来します。以来、熊野信仰の拠点として尊崇を集め、戦国時代は小田原北条氏も当社を崇敬し朱印状を寄せて社領を安堵しております。
 徳川時代、初代家康公は天正十九(1591)年に朱印地二百石を寄進、将軍家祈願所と定められて、それより「王子権現」の呼称で江戸名所の一つとなります。三代家光公は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて当社に奉納しております。
 その後も代々将軍の崇敬篤く、特に八代吉宗公は紀州ゆかりの当社を崇敬して元文二(一七三七)年に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて庶民遊楽の地としました。これが現在の花の飛鳥山の基です。
 明治元年には明治天皇より皇都守護「准勅祭社」の東京十社に定められ、現在まで東京の北方守護として鎮護しております。

歴史をもっと見る|
27

王子神社の基本情報

住所東京都北区王子本町1-1-12
行き方

・各線「王子」より徒歩3分
・都電荒川線「王子駅前」より徒歩5分
・都電荒川線「飛鳥山」より徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称王子神社
読み方おうじじんじゃ
通称王子権現
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号03-3907-7808
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://ojijinja.tokyo.jp/
おみくじあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》伊邪那美命,伊邪那岐命,天照大御神,速玉之男命,事解之男命
創建時代不詳|再興 元亨2年(1322年)
本殿権現造
ご由緒

王子という地名は元亨二(1322)年に領主豊島氏が熊野より当社を勧請した事に由来します。以来、熊野信仰の拠点として尊崇を集め、戦国時代は小田原北条氏も当社を崇敬し朱印状を寄せて社領を安堵しております。
 徳川時代、初代家康公は天正十九(1591)年に朱印地二百石を寄進、将軍家祈願所と定められて、それより「王子権現」の呼称で江戸名所の一つとなります。三代家光公は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて当社に奉納しております。
 その後も代々将軍の崇敬篤く、特に八代吉宗公は紀州ゆかりの当社を崇敬して元文二(一七三七)年に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて庶民遊楽の地としました。これが現在の花の飛鳥山の基です。
 明治元年には明治天皇より皇都守護「准勅祭社」の東京十社に定められ、現在まで東京の北方守護として鎮護しております。

体験祈祷お祓い七五三

Wikipediaからの引用

概要
王子神社(おうじじんじゃ)は、東京都北区王子本町にある神社である。旧称王子権現。この一帯の「王子」という地名の由来である。
歴史
歴史[編集] 創建年月日不詳。 康平(1058年 - 1065年)年間に、源義家が奥州征伐のおり、当地で金輪仏頂を修法、凱旋の日に甲冑を奉納した[1]。 文保(1317年 - 1319年)および元弘(1331年 - 1334年)年間に、当地の領主豊島氏が社殿を再興し[1]、熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎、王子神社となる。 明治初期 准勅祭社に指定。 昭和20年(1945年) 戦災で社殿を焼失。 昭和39年(1964年)、昭和57年(1982年)の二回の造営を経て社殿を再建。 ^ a b 新編武蔵風土記稿 王子村.
アクセス
アクセス[編集] JR京浜東北線・東京メトロ南北線王子駅徒歩2分 都電荒川線王子駅前停留場徒歩3分
引用元情報王子神社 (東京都北区)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%8E%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8C%97%E5%8C%BA)&oldid=89417644

この神社の神主様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の神社の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy and Terms of Service apply.

行きたい
投稿する
お問い合わせ
名鉄御朱印めぐりオリジナル御朱印帳発売中