| ご祭神 | 《主》伊邪那美命,伊邪那岐命,天照大御神,速玉之男命,事解之男命 |
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| 創建時代 | 不詳|再興 元亨2年(1322年) |
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| ご由緒 | 王子という地名は元亨二(1322)年に領主豊島氏が熊野より当社を勧請した事に由来します。以来、熊野信仰の拠点として尊崇を集め、戦国時代は小田原北条氏も当社を崇敬し朱印状を寄せて社領を安堵しております。
徳川時代、初代家康公は天正十九(1591)年に朱印地二百石を寄進、将軍家祈願所と定められて、それより「王子権現」の呼称で江戸名所の一つとなります。三代家光公は社殿を新造し、林羅山に命じて「若一王子縁起」絵巻三巻を作らせて当社に奉納しております。
その後も代々将軍の崇敬篤く、特に八代吉宗公は紀州ゆかりの当社を崇敬して元文二(一七三七)年に飛鳥山を寄進、桜を多く植えて庶民遊楽の地としました。これが現在の花の飛鳥山の基です。
明治元年には明治天皇より皇都守護「准勅祭社」の東京十社に定められ、現在まで東京の北方守護として鎮護しております。 |
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| 歴史 | 歴史[編集]
創建年月日不詳。
康平(1058年 - 1065年)年間に、源義家が奥州征伐のおり、当地で金輪仏頂を修法、凱旋の日に甲冑を奉納した[1]。
文保(1317年 - 1319年)および元弘(1331年 - 1334年)年間に、当地の領主豊島氏が社殿を再興し[1]、熊野新宮の浜王子より「若一王子宮」を改めて勧請・奉斎、王子神社となる。
明治初期 准勅祭社に指定。
昭和20年(1945年) 戦災で社殿を焼失。
昭和39年(1964年)、昭和57年(1982年)の二回の造営を経て社殿を再建。
^ a b 新編武蔵風土記稿 王子村.
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引用元情報 | 「王子神社 (東京都北区)」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%8E%8B%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE%20(%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%8C%97%E5%8C%BA)&oldid=89417644 |
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