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御朱印・御朱印帳

御朱印

大國魂神社

300円

真ん中に大國魂神社と書かれ、大國魂神社印、左下に大國魂神社社務所印が押されています。
武蔵国の守り神をお祀りされており、真ん中上部に武蔵総社の文字が書かれています。

コロナウイルスの感染防止のため、現在は書き置きのみの頒布のようです。

授与場所・時間

御朱印・御朱印帳ともに、拝殿に向かって拝殿に向かって左側の社務所でお受けできます。

御朱印の受付時間は9時~17時。

詳しくは公式サイトをご確認ください。

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御朱印について
御朱印
あり

武蔵国の守り神をお祀りされており、上部に武蔵総社の文字が書かれている御朱印です。真ん中に印が押されています。

限定
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あり
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惣一郎
2021年02月07日(日)
796投稿

大國魂神社(おおくにたま...)は、東京都府中市にある神社。武蔵国総社。旧社格は官幣小社。現在は神社本庁の別表神社。東京五社の一社。

創建は社伝によると西暦111年(景行天皇41年)に大國魂大神がこの地に降臨し祀ったのが起源。645年の大化の改新のころ、武蔵国府が当社境内に置かれ、国司が奉幣巡礼・神事執行等の簡便化により国内諸神を配祀し社号を「武蔵国総社」とし、その後六所(6社の神;武州六大明神)を奉祀し社号を「武蔵総社六所宮」としたとのこと。
平安後期の1062年、前九年の役平定の際、源頼義・義家父子が欅の苗千本を寄進。これが現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源。また神前にすももを供えたことから現在でも7月に「すもも祭り」を開催。1182年には、源頼朝が妻政子の安産祈願を行い、4年後社殿を造営。その後も武家の信仰が続き、1590年徳川家康が江戸入城以降、武蔵国総社として社領を寄進するとともに社殿を造営。

当社は、JR中央線・府中駅南側、徒歩7分ほどの非常に行きやすい場所にある。

参拝時は週末の午後で、真冬の2月にも関わらず、大勢の参拝客で賑わっていた。

大國魂神社の鳥居

大鳥居と社標。

大國魂神社の鳥居

境内入ってすぐの参道右側にある<稲荷神社>。

大國魂神社の鳥居

参道左側にある<宮乃咩(みやのめ)神社>。源頼朝の妻政子が安産を祈願した神社。安産の祈念して、絵馬や柄杓を奉納する。

大國魂神社の建物その他

参道左側の<相撲場>。

大國魂神社の建物その他

参道右側の<府中市立ふるさと府中歴史館>。

大國魂神社の鳥居

参道左側の<軍艦多摩戦殉者慰霊碑・忠魂碑>。立派な鳥居や狛犬が置かれているのは珍しい。

大國魂神社の手水

参道右側の<手水舎>。

大國魂神社の芸術

驚いたのは手水舎の彫刻。ただの手水舎なのに何という力の入りよう。素晴らしくきれい。

大國魂神社の山門

隋神門。

大國魂神社の山門

隋神門をくぐると、、、

大國魂神社の建物その他

左手に見えるのが<鐘楼>。

大國魂神社の建物その他

参道左側に<亀石>。

大國魂神社の建物その他

参道右側に<鶴石>。

大國魂神社の本殿

<鶴石>の後ろには<宝物館>。土日祝日のみ開館。

大國魂神社の山門

社殿の手前にある<中雀門>。

大國魂神社の山門

中雀門をくぐると、、、

大國魂神社の本殿

立派でどっしりとした社殿。1667年に徳川4代将軍家綱の命で造営。一間社流造の社殿三棟を横に連結した三間社流造の相殿造。珍しい社殿様式。三棟の社殿は一つの屋根の下にあるが、それぞれ別々の神を祀っている。

拝殿は1885年、1978年に改築、構造は流造・切妻千鳥破風・銅板葺素木造。
そういえば、この拝殿は珍しく、北を向いている。

大國魂神社の建物その他

扁額。字体が独特。江戸中期の書家・勝間龍水による。

大國魂神社の本殿

拝殿左側面。撮影ポイントに社務所があり、御朱印はこちら。

大國魂神社の末社

拝殿の左側面から、社殿の周りを時計回りに進む。まず社殿左側1社目<水神社>。お水取りの社。

大國魂神社の末社

続いて<松尾神社>。江戸後期に武蔵国の醸造家の懇請により京都・松尾大社を勧請。お酒の神。

大國魂神社の建物その他

松尾神社の奉納酒。日本酒の樽とともにビールケース。

大國魂神社の鳥居

境内左奥に位置する<巽神社>。弁財天を祀る。

大國魂神社の自然

境内最奥にある御神木。ちょっと元気がなさそう。

大國魂神社の狛犬

社殿右側に回って<東照宮>。1618年に徳川2代将軍秀忠の命で造営。

大國魂神社の鳥居

真新しい感じの<大鷲神社・住吉神社>。大鷲神社は大阪・大鳥神社の勧請、住吉神社は大阪・住吉大社を勧請、分霊を祀っている。
この後ろが車清祓所と参拝者駐車場。

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例祭・神事

5月5日(国府祭)

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歴史

社の御祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]で武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神で昔この国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。
当社の起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものである。出雲臣天穂日命[いづものおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて武蔵国造[むさしのくにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。
その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、大化の改新(645)ののち、武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内神社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられるようになった。
寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、正室政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)2月に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。
又、天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失したが、寛文7年(1667)将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、慶応年間に檜皮葺(ひわだぶき)が銅葺に改められた。本殿は都文化財に指定されている。
明治元年(1868)准勅祭社に列せられ、同7年(1874)県社に列し、同18年官幣小社に列せられた。
当社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降武蔵国の総社となり、又国内著名の神六社を配祀したので「武蔵総社六所宮」の社号を用い、 明治4年(1871)にもとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。

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大國魂神社の基本情報

住所東京都府中市宮町3-1
行き方

・京王線 府中駅南口から徒歩5分
・JR南武線・武蔵野線 府中本町駅から徒歩5分

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名称大國魂神社
読み方おおくにたまじんじゃ
通称明神・六所さま・六所宮
御朱印あり

武蔵国の守り神をお祀りされており、上部に武蔵総社の文字が書かれている御朱印です。真ん中に印が押されています。

限定御朱印なし
御朱印帳あり
ホームページhttps://www.ookunitamajinja.or.jp
おみくじあり
お守りあり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》大国魂大神,《配》天下春命,瀬織津比咩命,倉稲魂命,国常立尊,須佐之男命,稲田姫命,大己貴命,八意思金命,知知夫彦命,天之御中主神,天照大神,素戔嗚尊,日本武尊,五十猛命,大日貴命,太田命,御霊大神
本殿一間社流造の三社相殿造
札所など

東京五社

ご由緒

社の御祭神は、大國魂大神[おおくにたまのおおかみ]で武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。この大神は素盞鳴尊[すさのおのみこと]の御子神で昔この国土を開拓され、人民に衣食住の道を授け、医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。
当社の起源は、第12代景行天皇41年(西暦111年)5月5日大神の託宣に依って造られたものである。出雲臣天穂日命[いづものおみあめのほひのみこと]の後裔が初めて武蔵国造[むさしのくにのみやつこ]に任ぜられ当社に奉仕してから、代々の国造が奉仕してその祭務を掌られたといわれる。
その後、孝徳天皇(596-654)の御代に至り、大化の改新(645)ののち、武蔵の国府をこの処に置くようになり、当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内神社の奉幣巡拝、又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、六所[ろくしょ](小野大神・小河大神・氷川大神・秩父大神・金佐奈大神・杉山大神)を奉祀して六所宮とも称せられるようになった。
寿永元年(1182)に至り、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、正室政子の安産の祈願が行われた。文治2年(1186)頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営し、また貞永元年(1232)2月に将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として社殿が修造せられた。
又、天正18年(1590)8月、徳川家康が江戸へ入城してからは武蔵国の総社であるために殊に崇敬の誠をつくし、社領五百石を寄進され、社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保3年(1646)10月、類焼により社殿は焼失したが、寛文7年(1667)将軍家綱の命により、久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、屋根は流造りであり、慶応年間に檜皮葺(ひわだぶき)が銅葺に改められた。本殿は都文化財に指定されている。
明治元年(1868)准勅祭社に列せられ、同7年(1874)県社に列し、同18年官幣小社に列せられた。
当社はもともと大國魂神社と称したが、中古以降武蔵国の総社となり、又国内著名の神六社を配祀したので「武蔵総社六所宮」の社号を用い、 明治4年(1871)にもとの社号に復し「大國魂神社」と称するようになった。

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