ぞうじょうじ|浄土宗| 三縁山
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楽しみ方増上寺のお参りの記録一覧(14ページ目)

徳川将軍家の菩提寺増上寺@芝公園。広大な敷地の中に多数の塔頭があり、自然豊かな公園のようです。参道に面した所にはサクラが多いですが、ケヤキやクスノキもかなりあるようです。
アメリカ第18大大統領グラント将軍が明治10年に来日した際に植えた記念樹「グラント松」や第41代ブッシュ大統領が植えた「ブッシュ槙」があります。でも、よく見るとグラント松はヒマラヤスギですね。

東京タワーをバックに増上寺@芝公園。

幹周り1.5〜2mのクスノキ並木

アメリカ第18大大統領グラント将軍が明治10年に来日した際に植えた記念樹「グラント松」、実はマツではなくヒマラヤスギ

グラント松の由来説明板

アメリカ第41代ブッシュ大統領が来日の際に植えた記念樹、ブッシュ槙

ブッシュ槙の由来説明板

2021.06.05.葺城稲荷からの続きです。

東京タワーの裏を歩くのは初めてです。いつも大門駅の方からしかこの辺りには来ないので、新鮮でした。

増上寺境内へ横からイン。するとなんと、徳川将軍家墓所をちょうど公開していました。(これも知らずに来たのでラッキーです!)

まずは安国殿へ。今日こそは御朱印帳を買います!

納経できる上に、記念御朱印もいただけるそうなので、初挑戦。

左利きなのですが、気合いを入れて右手で写経。白抜きのお手本線に倣って一筆一筆心を込めて書けばなんとかなるものですね。

墓所の拝観終了時刻20分前。ギリギリ間に合いました。宝物殿は残り時間的に無理なので、拝観料は500円。

道すがらに見たプリンスホテルの敷地に元々あった六代家宣、七代家継の霊廟が、東京大空襲を経てここにまとめられたのですね。

あぁー!家茂公ー!とここでテンションが急上昇。若くして将軍の座につくものの、生まれながらにお体が弱く、若くして崩御なさった方。慶喜公が表舞台に上がらざるを得なかったのは、この方の夭折によるもの…。この方と慶喜公を想うとき、いつも歴史の歯車、という言葉が浮かんでくるのです。

六代家宣公の御霊廟。

二代目秀忠公御夫婦の御霊廟。御夫婦揃って入られているのですね。仲睦まじくあらせられたのでしょうか。

家継公の御霊廟。
ひとしきり手を合わせてから、家茂公が甘いもの好きだったという話を思い出し、岡野栄泉の最中をお供えしました。(もちろん退去時に持ち帰りました)
岡野栄泉の最中、簡易な袋に包まれたもので封はされていなかったので、買ったそのままの状態でお供えができました。
そうか、このための最中だったのだ、と納得しました。

退去前の一枚。霊廟内には鳩がのんびり歩いていました。12、3分ほど滞在しましたが、家茂公にお供えしている最中、二人組の年配の女性がさら〜っと霊廟内を歩いていきましたが、それ以外は私と夫の二人にしてくださいました。霊廟を出た後、閉門ギリギリに、行き違いに霊廟に向かう人たちが何組かやって来たので、人払いしてくださったのだなあとありがたく思いました。

西向観世音さまのお堂の入口です。

観音様の前に立って手を合わせていたら、風が吹いて、お地蔵さんたちの風車があちこちで回るのでした。

本堂は、こんなんなってますが、屋根の葺き替え工事だそうで、堂内には影響ないようです。

本堂内は撮影禁止。いつ来ても癒されます。

なんだかどんよりですが、暑いくらいだったので曇ってくれて助かりました。結果的に雨にも降られずに散策できましたし、ニワカ雨対策で持った日傘も大活躍したのでした。
沢山歩いて疲れましたが、素敵な神社やお店を見つけて、よい一日になりました。

手のひらサイズの般若心経。蛇腹式で、片面には般若心経、反対側にはその意訳が書いてあります。小さいし軽いし、これならいつでもどこへでも持ち歩けます。表には「般若心経」、裏にこの家紋と山号が刻印されています。今回一番のヒットアイテムです。

憧れの御朱印帳。この表紙、何度見ても惚れ惚れ。

直書きの黒本尊の御朱印。

一筆写経御朱印は書置きで、別途渡されました。

趣味の一つにご当地手ぬぐい集めがあるのですが、これも縁起が良さそうだったことと、増上寺のロゴ入りだったので衝動買い。招き猫ってそもそもあまり顔が可愛くないことが多く、やけに拝金主義臭かったり、逆にファンシー化され過ぎて琴線にひっかからないことが大半なのですが…この招き猫は絶妙に品のある可愛さでした。地の朱色もすてき。ナイスデザインです。使うのが楽しみです。

墓所参拝記念品。御霊廟の絵葉書10枚と、個人的にテンション上がったのは一番後ろに入っていた増上寺境内の古地図。今日歩いて見たプリンスホテルや公園を思い返しつつ…。たまりません〜。

夕食後、さっそく般若心経を小声で読んでいたら、我が家のベランダ(8階)にヤモリくんがやってきてくれました。洗濯機の調子が良くなく、エラー音に呼ばれて洗濯機の様子を見ようとして窓を開けたら居たのでした。初めは真っ暗でしたので、あんな所に黒い傷なんてあったっけ?と思い、照らしてみたら…でした。
夫に聞いたら、時々見かけるけど、玄関通路側ばかりで、ベランダでは初めてだそう。私は初対面だと思います。
なんだか漫画「聖☆おにいさん」のブッダのもとにさまざまな生きものが集まってくるシーンが思い出されました。

港区にある大きなお寺さん。神社ばかり回っていましたが、最近はお寺にも興味が出てきました。
徳川家の墓所があることもあり、伺ってみることにしました。

な、なんだよ〜💦

来ました増上寺!

歓進!意味は知らない!

ホテルニュージャパンの火災でお亡くなりになった方々のご供養で建造されたそうです。


鐘楼

まさかの大改装中…

ちょっと失礼して。

お参り後に本殿をぐるっと一周してたら、灰皿みたいなやつがありました。なんだろう?

本殿真後ろに猫二匹。

大納骨堂

法然の幼少時代の像。会社の上司に似てる。。

千躰子育地蔵菩薩というそうです。子供が元気に育つように地蔵を立てるようです。千体以上あるような気がしました。

徳川家の墓所入口。

まさかの中に入れると!
宝物展示室と合わせて1000円で入れます。

それから、絵葉書がついてきました。

モノクロで10枚もっ!さすが徳川家!

東京タワーの徳川家の墓所、なんとも言えない融合です。

歴代の徳川家のお墓が並んでます。
分かりづらいですが、それぞれに塔が2つ立っていて、その奥に墓がある感じです。
8つあります。

配置図…

墓所前には四菩薩像。


宝物展示室入口にて。展示室内は撮影NGです。ここもかな?だったらすみません!

帰ります。この2歩で降りる段は同じ足ばかりで降りるから途中で足の入れ替えがち〜♪

黒本尊の御朱印。直書きですよ〜。ちょうかっこいいです!

一筆写経納経をして500円でこちらも頂きました。こちらは書置きです。
一筆写経は初心者でも簡単にできるように、南無阿弥陀仏の字が白ヌキになっていて、筆でなぞればできるようになってます。

おまけ。
ちょうど寺を出たところに変な車が通ってました。アートですかね。。

増上寺(ぞうじょうじ)は、港区にある浄土宗の大本山。山号は三縁山、院号は広度院。江戸時代に徳川家の菩提寺として、上野の寛永寺と並んで隆盛を誇った寺院。風水学的には、寛永寺が江戸城の鬼門、増上寺が裏鬼門に配置された。
創建は、9世紀、空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(現・千代田区麹町近辺)に建立した真言宗の光明寺が前身と言われる。室町時代の1393年、浄土宗第八祖・酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)が浄土宗に改宗し、寺号を増上寺と改めた。1470年には勅願所に任ぜられた。
増上寺が徳川家の菩提寺になった経緯は不詳で、通説では1590年に徳川家康が江戸入府の際に、たまたま増上寺の前を通り、源誉存応上人と出会ったのがきっかけとのこと。増上寺は貝塚から日比谷に移っていたが、江戸城拡張に伴い、家康の指示で1622年、江戸城の裏鬼門の現在地・芝に移された。
江戸時代には徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林の筆頭として隆盛を誇るも、明治維新後の神仏分離により規模は縮小、境内のほとんどが芝公園になった。さらに太平洋戦争での米軍空襲により、徳川家霊廟、五重塔など重要遺構を焼失した。戦後は、1958年に完成した東京タワーの建設に当たり、墓地の一部を土地として提供。
当寺は、地下鉄・大門駅、御成門駅、芝公園駅のいずれからでも徒歩5分ほど。東京中心部の数少ない一大緑地帯<芝公園>の構成要素の一部になっている。近隣には港区立芝公園、東京タワー、なぜかプリンスホテル群がある。
参拝時は平日の午後、浜松町・大門のオフィス街の近くということで交通の便が良いこともあり、参拝者は少ないものの途切れることなく訪れていた。

境内から数百m離れた公道上に立つ<大門>。

境内入口に立つ<三解脱門(さんげだつもん)>。三戸楼門、入母屋造、朱漆塗。間口19m、奥行9m、高さ21mの二重建構造。左右には5mの山廊を有する。楼上内部には中央に釈迦三尊像、脇壇に十六羅漢像を安置。国指定重要文化財。
1611年徳川家康の助成で建立。別名<三門>と呼ばれ、三つの煩悩(貪欲、瞋恚、愚痴)の三悪を解脱する悟りの境地を表す。

寺号標。

三解脱門をくぐってショック。メインの<大殿>は、現在絶賛改装中...涙

左手にある<水盤舎>。ひときわ古風な外観が目を引くが、説明ではやはり清揚院殿の霊廟(徳川将軍家の霊廟)から移築。

右手にある<鐘楼堂>。1633年に建立されたが、大戦の米軍空襲で焼失。戦後再建。大梵鐘は1673年に鋳造、高さ3m、重さ15t、東日本最大級で江戸三大名鐘の一つ。

本堂の扁額。

本堂内。本尊阿弥陀如来を祀る。

本堂から境内を望む。

本堂の右脇にある<安国殿>。徳川家康の念持仏「黒本尊阿弥陀如来(秘仏)」を祀る。江戸庶民からも信仰され、現在は年3回御開帳あり。御朱印はこちらの入って右側の授与所にて。

安国殿の扁額。中では簡単な写経ができ、終わると記念に特別御朱印が拝受できる。

安国殿の隣にある<西向聖観世音菩薩>を祀ったお堂。こちらが江戸三十三観音巡りの札所本尊であるため、安国殿の前にこちらで参拝が必要。

西向聖観世音菩薩像。

境内北側を大きく埋め尽くす<千躰子育地蔵菩薩>。当寺の<ひまわり講>が奉納。赤い帽子、赤い前掛け、風車が異なる。

安国殿の裏手にある<徳川将軍家墓所>。徳川歴代将軍のうち、二代秀忠、六代家宣、七代家継、九代家重、十二代家慶、十四代家茂の6人が眠る。
戦前は墓所・本殿・拝殿などを供え、当時の最高技術を駆使した厳粛かつ壮麗な霊廟で<国宝>に指定されていたが、大戦の米軍空襲で大半を焼失、残りも国宝解除。上写真の門は旧国宝の<鋳抜門(いぬきもん)>。

ここからは<大殿>の左手を廻る。こちらは、大殿と繋がっている<光摂殿(こうしょうでん)>。

光摂殿正面の扁額。

光摂殿の隣にある<増上寺会館>。

増上寺会館の道を挟んで左手にある<経蔵>。1605年創建、1681年改造移築、1802年現在地に移築。構造は土蔵造、白壁仕上げ、一重、屋根宝形瓦葺、四方に銅板裳階付。

経蔵の左隣にある<慈雲閣>。

2階部分は開山堂で、開山上人を祀る。

慈雲閣の脇にある出入口<黒門>。

境内の北東にある<熊野(ゆや)三所大権現宮>。増上寺鎮守。

御祭神は、熊野本宮大社・家津御子大神(けつみこのおおかみ)、熊野那智大社・大己貴命(おおなむらのみこと)、熊野速玉神社・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の3体。

東京メトロ御成門駅から徒歩で行きました。
行く時期を間違えましたね。
大殿屋の瓦吹き替えで足場が組まれており、写真を撮るタイミングとしては良くありませんでした。
境内には幾つか見所が。
鐘楼、西向観世観音菩薩、千躰子育地蔵尊、熊野神社など。
朱印は安国殿で受けられます。
一筆写経して頂ける御朱印が500円。
黒本尊の御朱印が300円。
その他にも西向観世観音菩薩(江戸三十三観音札所第二十一番)の御朱印、ご本尊の御朱印も頂けるそうですが、もらいそこねました。
近日中にリベンジで頂きに行こうかと思います。
徳川将軍家墓所には500円で入場出来ます。焼失する前のポストカード(10枚程)を記念でくれますが、正直500円払って入場して見る価値はないかと(汗)

山門

山門

石柱

大殿屋と東京タワー。本来なら天気も良く、ベストショットなはずが、瓦吹き替えの足場があるため何とも残念な写真に。

手水舎

鐘楼


安国殿 ここで御朱印を頂けます。一筆納経もここにて。

大殿の扁額

一筆納経 before

一筆納経 after

安国殿中

西向聖観世音菩薩

西向観世音菩薩 石柱

西向観世音菩薩

千躰子育地蔵尊

徳川将軍家墓所 入場に500円必要です。払うと入場でき、記念に焼失する前の写真のポストカードを頂けます。

門

墓所入口

十二代 家慶公の墓

九代 家重公の墓

七代 家継公の墓

二代 秀忠公、お江の方の墓

六代 家宣公の墓

十四代 家茂公の墓

四菩薩蔵と徳川将軍家墓所入口

熊野神社。ゆやじんじゃ、と読むそうです。

鳥居

手水舎

やたがらすの紋章

熊野神社由緒

社殿

21.01.29。浄土宗大本山。
本堂が屋根瓦葺き替え工場中であった。完成は今年10月末という事でした。但し、参拝はOKでありました。

ご本尊

大門

寺号標

三解脱門(三門)

本堂(大殿)

光摂殿(こうしょうでん)

安国殿



徳川霊廟


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