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いいくらくまのじんじゃ

飯倉熊野神社
東京都 赤羽橋駅

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しし丸
しし丸
2025年11月05日(水) 07時28分36秒
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月参りに伺いました。

今日は午前中に病院の予約があり、早目から家を出ていたので、もう少し帰宅予定時間まで余裕があり、朝日神社さんから大江戸線を家と逆に乗り,もう一箇所、こちら飯倉熊野神社さんへ伺いました。
最近は、飯倉熊野神社さんと麻布氷川神社さん、時々春日神社さんなどの参拝ルートで回ることもありましたが、今日は,飯倉熊野神社さんでお終いです。

今月は24日まで新嘗祭の御朱印と十三夜御朱印を頒布中です(今回は頂いていません。かことうこうに、お書き入れ頂いた御朱印載せています)。
通年の御朱印はお書き入れ頂けますが、この二種は書き置きのみです。
社務所のお休みは毎月異なりますが、NSNで事前に告知されています。

毎月の楽しみ、今月の水みくじは中吉でした。入って右手の水針に浮かべて見ます。
御朱印は入って左奥、手水舎の奥にあります。そこには持ち帰り用の挟む物も置いてありますし、そのまま置いて帰る場合の場所もあります。

オマケに東京タワー🗼の写真を…。
いつもの出て右手向かい側の東京タワーと、道を渡ってすぐの好きな場所からで贅沢ロケーション休憩をしながら薬タイム。

飯倉熊野神社(東京都)

新嘗祭の御朱印です。

飯倉熊野神社(東京都)

十三夜の御朱印です。

飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)

専用にしている飯倉熊野神社さんの御朱印帳。

飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)
飯倉熊野神社(東京都)

オマケ

飯倉熊野神社(東京都)

オマケ。ベンチでひと休憩薬飲んで帰途へ…。

飯倉熊野神社(東京都)

オマケ。スカイツリーより東京タワー派です🗼

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歴史

本社は、御遷座以来幾多の回禄に遭い、由緒沿革など記載の古書及び宝物等は、悉く焼失され創立年代など詳細は不明ですが、当社の伝えに依ると元正天皇御代(680-748)、養老年間(717-724)芝浦海辺の地に鎮座ありと。また文明年間(1469-1487)太田道灌(持資)により再建され、併せて数多の品物を寄進されたとある。御府内備考の丁亥書によれば慶祚阿闇梨が勧請とあり。慶祚は九世紀の人でありますので、如何に旧い由緒を有する御社か分かります。又江戸志、江戸名所図絵には、「養老年中に芝浜に勧請後この所に遷す云々」とあり、凡そ南北朝時代には、現今の地に鎮座せるものと推定されます。諸説更に研究を進めなければなりませんが、その御鎮座は、極めて古い時代であることは間違い御座いません。そもそも当御社は、武家の崇敬殊に厚く仕官の際には当社に詣で牛王神符を拝受されておりました。
明治五年村社(旧社格)に列せられました。昭和二十年五月二十五日、大東亜戦争、米軍B29爆撃により、御社殿(元禄十六年以後建立)、神楽殿(安政二年建立)社務所(大正十二年建立)及び多数の宝物類を悉く焼失。以後昭和二十七年七月まで仮本殿にて奉齋しておりました。その後、二の橋、小野工業所より本殿が寄進(昭和二十七年六月・間口一間・奥行一間半、総欅瓦葺)され、同年八月遷座祭を行いました。昭和三十二年七月飯倉小学校講堂建設の為、隣接境内地を譲渡し、その基金を主に氏子各氏の寄付を仰ぎ、本殿・社務所を造営、昭和三十三年十月遷座。昭和四十年七月、東京都路面拡張に伴い境内地の前面を削られ、その際、玉垣等改築、鳥居・社号標を建立し十月慶奉祝祭を行い、平成二十一年七月より社務所ビルの建築を開始し、平成二十二年五月竣工を向え、現在の境内模様となりました。

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飯倉熊野神社の基本情報

住所

東京都港区麻布台2-2-14

行き方

東京メトロ日比谷線神谷町駅より徒歩7分
都営大江戸線赤羽橋駅より徒歩7分

アクセスを詳しく見る
名称

飯倉熊野神社

読み方

いいくらくまのじんじゃ

通称

おくまんさん・おんくまさん

参拝時間

参拝:24時間

御朱印あり
限定御朱印あり
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳あり
電話番号03-3589-6008
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
おみくじ

あり

絵馬

あり

SNS

巡礼の詳細情報

港七福神

詳細情報

ご祭神《主》伊邪那岐命,伊邪那美命,須佐之男命,塩土老翁神
ご由緒

本社は、御遷座以来幾多の回禄に遭い、由緒沿革など記載の古書及び宝物等は、悉く焼失され創立年代など詳細は不明ですが、当社の伝えに依ると元正天皇御代(680-748)、養老年間(717-724)芝浦海辺の地に鎮座ありと。また文明年間(1469-1487)太田道灌(持資)により再建され、併せて数多の品物を寄進されたとある。御府内備考の丁亥書によれば慶祚阿闇梨が勧請とあり。慶祚は九世紀の人でありますので、如何に旧い由緒を有する御社か分かります。又江戸志、江戸名所図絵には、「養老年中に芝浜に勧請後この所に遷す云々」とあり、凡そ南北朝時代には、現今の地に鎮座せるものと推定されます。諸説更に研究を進めなければなりませんが、その御鎮座は、極めて古い時代であることは間違い御座いません。そもそも当御社は、武家の崇敬殊に厚く仕官の際には当社に詣で牛王神符を拝受されておりました。
明治五年村社(旧社格)に列せられました。昭和二十年五月二十五日、大東亜戦争、米軍B29爆撃により、御社殿(元禄十六年以後建立)、神楽殿(安政二年建立)社務所(大正十二年建立)及び多数の宝物類を悉く焼失。以後昭和二十七年七月まで仮本殿にて奉齋しておりました。その後、二の橋、小野工業所より本殿が寄進(昭和二十七年六月・間口一間・奥行一間半、総欅瓦葺)され、同年八月遷座祭を行いました。昭和三十二年七月飯倉小学校講堂建設の為、隣接境内地を譲渡し、その基金を主に氏子各氏の寄付を仰ぎ、本殿・社務所を造営、昭和三十三年十月遷座。昭和四十年七月、東京都路面拡張に伴い境内地の前面を削られ、その際、玉垣等改築、鳥居・社号標を建立し十月慶奉祝祭を行い、平成二十一年七月より社務所ビルの建築を開始し、平成二十二年五月竣工を向え、現在の境内模様となりました。

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