あなもりいなりじんじゃ
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楽しみ方東京羽田 穴守稲荷神社のお参りの記録一覧
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旧村社です。
二回目の参拝、十一年ぶりです。
知らないうちに、奥之宮が改修され、またその上に築山(稲荷山)が築かれていました。令和二年四月十九日に竣工したとのことです。
築山の頂上には、上社、御嶽神社が鎮座されています。
また境内社は、必勝稲荷、開運稲荷、出世稲荷、繁栄稲荷、福徳稲荷、築山稲荷、幸稲荷、末廣稲荷、航空稲荷、狐塚が鎮座されており、まさに稲荷ワールドです。
「御縁年午歳記念事業・奥之宮改修工事及び境内整備の募金」に奉賛させていただき、記念品として「御縁年午歳記念復刻版御朱印帳」をいただきました。
御朱印は、御本社・奥之宮・稲荷山の三種をいただきました。
感謝です!!拝。


社伝によれば、1804(文化元)年頃、現在の羽田空港敷地内にて羽田猟師町(現羽田2丁目・6丁目付近)の名主、鈴木弥五右衛門が中心となり新田の開発(鈴木新田)を行った際、激しい波のため沿岸の堤防に大穴が開くなどして決壊し、甚大な被害が発生した。
そこで村民らは堤防の上に稲荷大神を勧請し祀ったのが創建とされる。
以降は波の害も落ち着き、豊かな田園となった。
「穴守」の冠号は「風浪が作りし穴の害より田畑を守り給う」という御神徳を称えている。
江戸時代には、この「穴守」という名から転じ「(性病から)守る」に通ずるとされ、遊女達の信仰も集めた。
1886(明治19)年に「穴守稲荷社」から「穴守稲荷神社」へと改称を行っている。
明治~戦前を通じて当社の発展とともに門前町は繁栄を見せ、京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)も付近まで延伸するなどした。
終戦直後の1945(昭和20)年9月21日、GHQは羽田空港を拡張すべく接収、旧社地より48時間以内の強制退去を命じた。
約3,000人の付近住民とともに鎮座地を追われた一旦羽田神社に合祀される。
しかしながら地元崇敬者により現在の境内地700坪が寄進され、仮社殿にて復興した。
その後1965(昭和40)年5月に再建された社殿はじめ、奥之宮や各施設の整備も進められ、現在に至っている。


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