ろくごうじんじゃ
六郷神社東京都 六郷土手駅
24時間参拝加納
社務所
午前9時〜午後3時
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり |
参拝者用駐車場は普段ロープが張られていますが、自分で外して利用可能です。出る時は必ずロープを張って下さい。
まだ参拝した事ない神社シリーズ
気になっていて中々上がる機会がなかった六郷神社様
やはり行ってみると発見があり
神門前の太鼓橋は「梶原景時寄贈」とあり
ここも鎌倉殿のゆかりの地だったんだと思っていたら
社紋が巴紋と葵紋があり徳川家のゆかりもあるんだ
と興味深く散策させて頂きました。
六郷神社を参拝しました。
京急線「六郷土手」と「雑色」の中間(徒歩6〜7分ほど)にあります。
参拝後御朱印を書き入れていただきました。
お書き入れで拝受しました。
開放感のある境内です。
社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられます。
神橋 文治5年(1189)源頼朝もまた奥州征定の時、祖先の吉例にならい、白旗を立てて戦いでの勝利を祈願したので、建久2年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。 現在、社宝となっている雌獅子頭(めじしがしら)と境内に残る浄水石は、このとき頼朝が奉献し、神門前の太鼓橋は、景時が寄進したものといわれております。
天正19年(1591)徳川家康は、神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、慶長5年(1600)には六郷大橋の竣功を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にみえます。当社が八幡宮の巴紋と併せて葵紋を用いているゆえんは、
ここにあります。
江戸時代には、東海道をへだてた西側の宝朱院(御幡山建長寺)が別当寺でしたが、明治維新により廃され、明治5年(1872)東京府郷社に列格し、明治9年より六郷神社と称して今日に至っております。
名称 | 六郷神社 |
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読み方 | ろくごうじんじゃ |
参拝時間 | 24時間参拝加納
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参拝にかかる時間 | 15分 |
参拝料 | なし |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 03-3731-2889 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://rokugo.or.jp/index2.html |
お守り | あり |
ご祭神 | 誉田別尊 |
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創建時代 | 天喜五年(1057) |
ご由緒 | 社伝によれば天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたので、凱旋後、その分霊を勧請したのが、当社の創建と伝えられます。
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体験 | お宮参り絵馬結婚式御朱印お守り |
概要 | 明治六大教育家(めいじろくだいきょういくか)は、1907年(明治40年)に「近世の教育に功績ある故教育家の代表者」として顕彰された6人の教育家を指す呼称。顕彰当時は故六大教育家または帝国六大教育家と称されたが、大正期以降に「明治六大教育家」「明治の六大教育家」という呼称が見られるようになった。 |
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引用元情報 | 「明治六大教育家」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%AD%E5%A4%A7%E6%95%99%E8%82%B2%E5%AE%B6&oldid=96961105 |
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