ろくごうじんじゃ
六郷神社のお参りの記録一覧
小雨の中、六郷神社にお参り致しました。
近くには小学校と幼稚園が有りとても賑やかでした。お写真は隣の幼稚園のお迎え時間と被り、境内にお迎えの保護者と園児がたくさんいたので無しです。
六郷神社を参拝しました。
京急線「六郷土手」と「雑色」の中間(徒歩6〜7分ほど)にあります。
参拝後御朱印を書き入れていただきました。
お書き入れで拝受しました。
開放感のある境内です。
鳥居向かいに大きな駐車場がありました。
拝殿で祈祷中でしたが、社務所で美文字な御朱印がいただけました。
(御朱印第570号)
直書き
駐車場がある側の鳥居。
15号線側の鳥居。
こちらからなら車で入れそうでした。
横浜神社巡り、おまけ
予定より早く参拝を終えたので本日の最終目的地そばの神社を参拝することにしました。到着すると思いのほか立派な神社、今まで見落としていました。しかし駐車場は閉まっているし何か変。何と社務所は午後3時迄、到着は3時を少し過ぎていました。気を取り直して境内散策と参拝のみいたしました。
鳥居
社号標
灯籠
神橋 梶原景時寄進と伝わっています
神門
手水舎
拝殿
扁額
本殿
狛犬
神楽殿
貞享二年(1685)奉納の狛犬、区内最古
源頼朝寄進と伝わっている手水石
由緒書
社号標
鳥居
参道
灯籠
天和三年奉納の手水鉢
境内社鳥居
境内社 稲荷神社
境内社 氷川神社・天祖神社・三社神社
旧六郷橋の親柱
小学校一年生まで西六郷に住んでいたので寄って見ることに。
来たことあるのかなぁ。ウン十年前。。全然覚えてないです。
けっこう広いです。
到着!
柵で囲まれていて渡れませんが神橋があります。
拝殿。境内はかなり広いです。
アップで失礼します!
古い六郷橋の木
源氏の白旗を掲げた大杉は「白旗の杉」と呼ばれ御神木として信仰を集めた。 樹齢1,000年以上の御神木であったが、大正十一年(1922)に枯死してしまったため、現在は根株がこうして保存されている。
…だそうです。古い扁額に囲まれてますね。
御神木の根っこが残っていで、フタされてます。
境内社がありました。でもじんしゃめいが不明でした。
草むらの中に、かわいい狛犬が隠れてました♡
社殿を横から。
!!!
何時までだったんだろう。15時かなぁ。HPでも分かりませんでした。リベンジせねば!
1000年近い歴史を持つ六郷神社@大田区。アスファルトで敷かれた携帯ですが、点在する樹木は古く大きいです。クスノキを中心にケヤキやマツなど、神社裏手には保護樹林があり入れませんが、御神木はきっとこの中でしょう。
六郷神社の立派な神門
樹皮が変色した古木、ケヤキかと思ったが樹勢が違う、何でしょう?
クスノキの巨木
裏手の保護樹林
六郷橋の説明版
六郷神社の由来説明板
初詣でお参りしました。京急六郷土手駅から旧東海道沿いに8分位歩いた所にありました。直書きの御朱印いただきました。
八方にらみのお守り 表
八方にらみのお守り 裏
多摩川の清流に南面する古い八幡宮であり、六郷一円の総鎮守としてひろく崇敬されています。
社紀によれば、源頼義・義家の父子が、天喜五年(1057)この地の大杉に源氏の白幡をかかげて軍勢をつのり、岩清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いにふるい、前九年の役に勝利をおさめたので、その分霊を勧請したのが、当社の創建とされています。
文治五年(1189)源頼朝もまた奥州征定のみぎり、祖先の吉例にならって戦勝を祈り、建久二年(1191)梶原景時に命じて社殿を造営しました。今なお境内に残る大きな手水石には、このとき頼朝が奉献したものであり、神門前の太鼓橋は景時の寄進と伝えられます。
天正十九年(1591)十一月、徳川家康は十八石の朱印地を寄進し、慶長五年(1600)六郷大橋の竣功に際しては、神威をたたえてまつり、当社の神輿をもって渡初式を挙げました。また鷹狩りの途次にもしばしば参詣したと史書にみえます。当社が巴紋とともに葵紋を用いている所以です。
六郷神社(ろくごう~)は、東京都大田区にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は誉田別命。
社伝によると、平安時代後期の1057年、源頼義・義家父子が当地で源氏の白旗を立て軍勢を募り、石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ士気が大いに高まり前九年の役で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請して八幡宮を創建したとされる。1189年、源頼朝もまた源義経・奥州藤原氏の征討にあたり、祖先の吉例に倣って白旗を立て戦勝祈願をした。2年後に梶原景時に命じて社殿を造営し、現在社宝となっている雌獅子頭と浄水石を奉納し、景時は太鼓橋を寄進した。
徳川家康の江戸入府にあたり、当社近傍を流れる六郷川への架橋を命じ、当社に竣工を祈願して願文を奉り、当社の神輿によって渡初式を行ったと伝わる。爾来徳川家の縁が深く、朱印地18石を下賜されたほか、神紋として八幡宮の巴紋と併せて三つ葉葵紋の使用が許されている。当時は「六郷八幡宮」と称されていた。なお、江戸時代中期までは他の八幡社と同様、八幡三神(誉田別命、神功皇后、比売大神)を祀っていたが、例祭の曳舟祭で一座の神輿が東京湾に流され、もう一座は荒神で祟りを受けたので土中に埋められ、結果として現在では祭神が誉田別命1体となっているとのこと。明治時代の近代社格制度の下で郷社に列し、社名を「六郷神社」と改称した。
上記の縁起には1057年以前の記載はないが、当社はずっと以前から存在していたようで、平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 稗田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「薭田神社」、「鵜ノ木八幡神社」がある。)
当社は、京急本線・六郷土手駅の北東500mほどの平らな住宅街にある。立派な神門からはじまる境内はとても広々としていて、社殿も大きく威風堂々としており、外観はワンランク上の旧県社格のイメージ。式内社「薭田神社」の論社の中ではもっとも立派な感じがする。
今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、子連れのママチャリが境内を通過するなど地元に根付いている感じがするが、純粋な参拝者は見掛けなかった。
境内入口全景。かなり大きくて立派。旧県社クラス以上と言っても違和感はない。<鳥居>の右側に<社号標>がある。
鳥居の手前には、源頼朝の命で1191年に当社を造営した梶原景時が自ら寄進したという<太鼓橋>がある。
切妻造の大きな<神門>をくぐる。
神門をくぐると、すぐ右手にある大きな<手水舎>。
参道の右側には、大きな<社務所>。御朱印はこちら。
<拝殿>遠景。拝殿までのアプローチが長く、心が引き締まるのが分かる。
<拝殿>全景。大きくどっしりとして重厚感がある。総檜造りで、江戸時代中期1719年に造営されたものを、1987年に建て替えたとのこと。
<拝殿>正面。新しいが落ち着いた雰囲気。
<社殿>全景。拝殿後ろの<本殿>は、1719年造営時の物が残されている。
社殿の左手にある<神楽殿>。
鳥居の後ろ左側には、3つの境内社を祀っている。左から順に<三柱神社>、<天祖神社>、<氷川神社>。
鳥居の後ろ右側にある<稲荷神社>。
境内社の近くには<六郷橋の親柱>が保存されている。最初は1600年に徳川家康が架設したが洪水や台風で何度も流されている。保存されているのは1900年代初頭の最後の木製橋梁のもの。
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