御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方

ろくごうじんじゃ

六郷神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
東京都 六郷土手駅

ぷかぞう
ぷかぞう
2021年10月10日(日) 01時45分51秒
510投稿

小学校一年生まで西六郷に住んでいたので寄って見ることに。
来たことあるのかなぁ。ウン十年前。。全然覚えてないです。
けっこう広いです。

六郷神社の鳥居

到着!

六郷神社のその他建物

柵で囲まれていて渡れませんが神橋があります。

六郷神社の本殿・本堂

拝殿。境内はかなり広いです。

六郷神社(東京都)

アップで失礼します!

六郷神社のその他建物

古い六郷橋の木

六郷神社のその他建物

源氏の白旗を掲げた大杉は「白旗の杉」と呼ばれ御神木として信仰を集めた。 樹齢1,000年以上の御神木であったが、大正十一年(1922)に枯死してしまったため、現在は根株がこうして保存されている。

…だそうです。古い扁額に囲まれてますね。
御神木の根っこが残っていで、フタされてます。

六郷神社の鳥居

境内社がありました。でもじんしゃめいが不明でした。

六郷神社(東京都)

草むらの中に、かわいい狛犬が隠れてました♡

六郷神社の本殿・本堂

社殿を横から。

六郷神社のその他建物

!!!
何時までだったんだろう。15時かなぁ。HPでも分かりませんでした。リベンジせねば!

もっと読む
惣一郎
惣一郎
2021年08月15日(日) 11時43分35秒
1269投稿

六郷神社(ろくごう~)は、東京都大田区にある神社。式内論社で、旧社格は郷社。祭神は誉田別命。

社伝によると、平安時代後期の1057年、源頼義・義家父子が当地で源氏の白旗を立て軍勢を募り、石清水八幡宮に武運長久を祈願したところ士気が大いに高まり前九年の役で勝利したため、凱旋後に石清水八幡宮の分霊を勧請して八幡宮を創建したとされる。1189年、源頼朝もまた源義経・奥州藤原氏の征討にあたり、祖先の吉例に倣って白旗を立て戦勝祈願をした。2年後に梶原景時に命じて社殿を造営し、現在社宝となっている雌獅子頭と浄水石を奉納し、景時は太鼓橋を寄進した。
徳川家康の江戸入府にあたり、当社近傍を流れる六郷川への架橋を命じ、当社に竣工を祈願して願文を奉り、当社の神輿によって渡初式を行ったと伝わる。爾来徳川家の縁が深く、朱印地18石を下賜されたほか、神紋として八幡宮の巴紋と併せて三つ葉葵紋の使用が許されている。当時は「六郷八幡宮」と称されていた。なお、江戸時代中期までは他の八幡社と同様、八幡三神(誉田別命、神功皇后、比売大神)を祀っていたが、例祭の曳舟祭で一座の神輿が東京湾に流され、もう一座は荒神で祟りを受けたので土中に埋められ、結果として現在では祭神が誉田別命1体となっているとのこと。明治時代の近代社格制度の下で郷社に列し、社名を「六郷神社」と改称した。

上記の縁起には1057年以前の記載はないが、当社はずっと以前から存在していたようで、平安時代927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「武蔵国 荏原郡 稗田神社 小」の論社の1社となっている。(他の論社としては、港区の「御田八幡神社」、大田区の「薭田神社」、「鵜ノ木八幡神社」がある。)

当社は、京急本線・六郷土手駅の北東500mほどの平らな住宅街にある。立派な神門からはじまる境内はとても広々としていて、社殿も大きく威風堂々としており、外観はワンランク上の旧県社格のイメージ。式内社「薭田神社」の論社の中ではもっとも立派な感じがする。

今回は、武蔵国の式内論社として参拝することに。参拝時は平日の昼ごろで、子連れのママチャリが境内を通過するなど地元に根付いている感じがするが、純粋な参拝者は見掛けなかった。

六郷神社の鳥居

境内入口全景。かなり大きくて立派。旧県社クラス以上と言っても違和感はない。<鳥居>の右側に<社号標>がある。

六郷神社の鳥居

鳥居の手前には、源頼朝の命で1191年に当社を造営した梶原景時が自ら寄進したという<太鼓橋>がある。

六郷神社の山門・神門

切妻造の大きな<神門>をくぐる。

六郷神社の手水舎

神門をくぐると、すぐ右手にある大きな<手水舎>。

六郷神社のその他建物

参道の右側には、大きな<社務所>。御朱印はこちら。

六郷神社の本殿・本堂

<拝殿>遠景。拝殿までのアプローチが長く、心が引き締まるのが分かる。

六郷神社の本殿・本堂

<拝殿>全景。大きくどっしりとして重厚感がある。総檜造りで、江戸時代中期1719年に造営されたものを、1987年に建て替えたとのこと。

六郷神社の本殿・本堂

<拝殿>正面。新しいが落ち着いた雰囲気。

六郷神社の本殿・本堂

<社殿>全景。拝殿後ろの<本殿>は、1719年造営時の物が残されている。

六郷神社のその他建物

社殿の左手にある<神楽殿>。

六郷神社の鳥居
六郷神社の末社・摂社

鳥居の後ろ左側には、3つの境内社を祀っている。左から順に<三柱神社>、<天祖神社>、<氷川神社>。

六郷神社の末社・摂社

鳥居の後ろ右側にある<稲荷神社>。

六郷神社のその他建物

境内社の近くには<六郷橋の親柱>が保存されている。最初は1600年に徳川家康が架設したが洪水や台風で何度も流されている。保存されているのは1900年代初頭の最後の木製橋梁のもの。

もっと読む
ヒナメリ
ヒナメリ
2025年09月09日(火) 21時18分40秒
473投稿

第一京浜を歩いていると、左手に大きな鳥居が目に入る。六郷神社の鳥居である。ここからさらに道を進めば、ほどなくして広々とした多摩川に行き当たる。このあたりでは「六郷川」と呼ばれることもあるという。もっとも、それは多摩川全体を指す呼称ではなく、むしろ河口に近い下流域を表す地域的な呼び名として用いられてきたものらしい。川の名一つとっても、土地の暮らしや歴史に寄り添った呼び分けが存在しているのだと感じられる。

新春の恒例行事である箱根駅伝は、大手町の新聞社前をスタート地点として号砲が鳴る。選手たちの姿を追うようにこちらも進み、道すがら点在する神社仏閣に立ち寄っては一礼を捧げてきた。そしてようやく辿り着いたのが、この六郷の地を総鎮守として守護してきた六郷神社である。これまでにも何度か訪れたことはあるが、やはり正月の境内は特別だ。普段とは比べものにならぬほど参拝客で賑わい、境内を満たす人の熱気と冬の冷たい空気が入り混じり、不思議な高揚感をもたらしてくれる。

この先には多摩川が横たわっている。数時間前に通り過ぎた箱根駅伝ランナーのみならず、鉄道や自動車であれば、一瞬のうちに橋を渡り切ってしまう距離である。しかし、徒歩ゆっくりとで川面を眺めつつ歩いていると、流れの悠久さに気を取られ、気づけば神奈川県側へと足を踏み入れている。現代の我々にとっては当たり前の光景だが、六郷神社が守ってきた長い歴史を思えば、この「難なく川を越えられる」ということ自体が、実はごく最近になってようやく可能となった出来事に過ぎない。かつては渡し船に身を任せ、天候や流れに翻弄されながら川を越えていた時代があったのだ。

六郷神社で旅の無事と安全を祈り終えた今、かつての人々に思いを馳せつつ、いざ多摩川を渡る。川風に吹かれながら、その向こうに広がる神奈川の地へと歩みを進めることができるのは、歴史の積み重ねがもたらした恩恵であることを改めて胸に刻む。

六郷神社(東京都)

第一京浜には面していない方の鳥居

もっと読む
行きたい
行った
お問い合わせ

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ