ろくごうじんじゃ
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楽しみ方六郷神社のお参りの記録一覧(3ページ目)

神社HPによれば、社伝によると源頼義が石清水八幡宮を勧請して平安末期の前九年の役(1051年~1062)からの凱旋後に創祀されたとのことです。
延喜式内社であるとする説があるようですが、延喜式は、延喜五年(905年)に勅命により編纂開始⇒延長五年(927年)に完成⇒康保四年(967年)に施行、ということですので、それ以降の創祀という社伝があるにもかかわらず延喜式内社であるとするのはなぜなのかわかりません。
神社HPからはうかがえませんでした。
鳥居のところにある松の木は青々としていました。
境内はとても良く整備されておりきれいでした。
感謝です!!拝。












六郷神社の鳥居は、第一京浜、すなわち国道15号線に面して堂々と構えています。国道15号線と呼ぶよりも、むしろ「京浜国道」とか「旧東海道」といった名称の方が耳に馴染む方も多いでしょう。あるいは、地元の日常に溶け込んだ言い方で「大きな通り沿いの鳥居」と呼ぶのがふさわしいのかもしれません。その存在感は強く、車窓からでもひと目で神社の所在を把握できるほどです。
この国道15号線は、正月の風物詩として全国に知られる「東京箱根間往復大学駅伝競走」、いわゆる「箱根駅伝」の舞台のひとつでもあります。私自身、港区と品川区の区境あたりにかかる新八ツ山橋付近で選手たちの力走を観戦した後、その熱気を胸に抱えつつ南下し、六郷神社に足を運びました。沿道の人々が声援を送る姿や、疾走するランナーの息づかいは、まさにこの道路が現代においても「人の流れをつなぐ道」であることを実感させてくれます。その延長線上に鎮座する六郷神社は、過去から現在に至るまで、地域の人々の信仰や暮らしとともに生き続けてきたことを思わせます。
公式には「六郷神社」という社号で東京都神社庁に登録されています。しかし、実際に長年この地に暮らしてきた人々は、きっと「六郷様」あるいは「鎮守様」といった親しみを込めた呼び方をしてきたのでしょう。古来より地域を守護してきた存在に対しては、かしこまった社名よりも、生活に根差した呼称の方がしっくり来るものです。そのため、外から訪れる者が「六郷神社」とそのまま呼ぶと、どこかよそよそしく、外部の人間であることを自ら強調してしまうような感覚も否めません。
とはいえ、私にとってはこの社を「六郷神社」と呼ぶほかにないのです。歴史的な背景や由緒を調べる時も、参拝の記録を綴る時も、その名称が基盤となります。けれども、参道を歩き、本殿の前に立ち、静かに手を合わせるそのひとときには、呼び名の堅苦しさは消え去り、ただ「ここに守られている」という安心感だけが心に残ります。よそ者としての距離感と、信仰の場に身を置く安らぎ。その両方を同時に味わわせてくれるのが、この六郷神社なのだと感じました。


東京都大田区東六郷に鎮座する六郷神社。京急本線六郷土手駅から徒歩でおよそ10分ほどの道のりです。第一京浜沿いにそびえる大きな鳥居が目印となり、そこから境内へと導かれます。その堂々たる姿は、古来より往来する人々の目を惹き、地域の象徴として存在感を放ってきたことを物語っているようです。
創建は平安時代後期と伝えられています。源頼義・義家父子が前九年の役に勝利したのち、勝利を神恩として感謝し、分霊を勧請したことが始まりとされています。御祭神は誉陀和気命(ほんだわけのみこと)。この地の「六郷の総鎮守」として、長きにわたり地域を守り続けてきました。
第一京浜国道、すなわち旧東海道に面する大鳥居をくぐると、まっすぐに伸びる参道が続きます。車の往来が激しい街道から一歩足を踏み入れると、空気の質が変わったかのように感じられ、歩を進めるごとに俗世の喧噪が遠ざかり、神域へと近づいていく感覚が鮮やかに訪れます。参道を歩む時間そのものが、現世から聖域へと心を切り替えるための大切な儀式であると気づかされます。
やがて辿り着く本殿は、多摩川の方角を向いています。これは、この地を流れる大河を守護する意味を込めてのことでしょう。水害や氾濫に悩まされてきた沿岸の人々にとって、多摩川を鎮める守護神の存在は何よりの拠り所であったに違いありません。
六郷神社は、地域の暮らしと切り離せない存在です。「六郷の総鎮守」という呼び名の通り、古代から現代に至るまで、地域の人々は折に触れてこの社を訪れ、祈り、感謝し、また新しい一歩を踏み出してきました。鳥居を仰ぎ見て参道を歩いたとき、歴史と信仰の積み重ねが確かにここに息づいているのだと、しみじみ感じさせられます。


お正月で賑わってましたが落ち着いた雰囲気ありました
去年の大河に思いを馳せながら参拝させていただきました


神楽殿

源頼朝の手水石、封鎖中

封鎖手水石のお向かいの使用中手水石

横道参道の御由緒

正面門前の神橋

横道参道入口
1057年、前九年の役に馳せ参じる源頼義・義家父子が、この地にあった大杉に源氏の白旗を上げて軍勢を募り、石清水八幡に武運長久を祈ったといわれています。
見事勝利をおさめたので、この地に八幡様を勧請し、こちらの神社が創建されました。
それから約100年後の1591年、源頼朝も奥州征伐の際、祖先に習ってここで白旗を建てて勝利を祈願しました。
今も境内に残る雌獅子頭と浄水岩は頼朝が、神門前のお太鼓橋は梶原景時が寄進したものです。
大田区・品川区・渋谷区・港区など、都内各所に同じような源頼義・義家父子、そして頼朝が辿った足跡のある神社が多数あります。
例えば洗足池にある八幡神社や、旗の台にある旗岡八幡神社、兜町にある兜神社、などなど。
また頼朝の家臣だった梶原景時は、大田区馬込にあった馬込城の城主だったともいわれています。
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