うえのとうしょうぐう
上野東照宮東京都 京成上野駅
9:00~17:30(10~2月は16:30まで)
御朱印 | 力強い文字の御朱印には、ぼたん苑やダリヤ展の時期になるとお花の印が入ります。他抜(たぬき)の御朱印は毎月5のつく日には紫色の印になります。 | ||
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限定 | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | なし |
寛永寺根本中堂から上野動物園を右手に見ながら歩いて上野東照宮へ。1627年藤堂高虎により創建の神社。御朱印は書き置きの御朱印が二種類有りました。
寛永寺五重塔
手水舎
銅灯籠
銅灯籠全48基 国指定重要文化財
小松宮親王像
他抜 たぬきの御朱印です
1616年(元和2年)2月4日、天海僧正と藤堂高虎は危篤の徳川家康公の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内に多くの伽藍が建立されました。1627年(寛永4年)その秘仏として創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
~公式ホームページより抜粋~
たまたま上野公園散策中に見つけ、急遽訪れることにしました。
ぼたん苑で冬ぼたん開苑中でした。
狛犬(阿)
狛犬(吽)
大鈴
金色殿(社殿)
御朱印(書き置き)
東京都台東区にある上野恩賜公園内に鎮座する。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために「上野東照宮」と称し、別名「三処権現」とも呼ばれる。
元和2年(1616)、危篤状態の家康は「自分の魂が末永く鎮まる所を作って欲しい」と藤堂高虎と天海に遺言を残した。
そして、寛永4年(1627)に藤堂高虎は上野の自身の敷地内に創建した。
現在の社殿は慶安4年(1651)に徳川家光が改築したものであり、上野戦争や関東大震災、さらに第二次世界大戦でも焼失を免れている。それ故に強運の神様として、また家康を祭神としていることから、出世、勝利、健康長寿の神様として信仰されている。
元和二年二月見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ三人処に末永く鎮魂まるところを造って欲しいと遺言された。そこで高虎の家敷地であるこの上野の山に寛永四年(1627)に本宮を造営した。その後将軍家光はこの建物に満足出来ず、慶安四年現在の社殿を造営替そし、江戸の象徴とした。
名称 | 上野東照宮 |
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読み方 | うえのとうしょうぐう |
通称 | 上野権現様 |
参拝時間 | 9:00~17:30(10~2月は16:30まで) |
参拝料 | 境内無料/社殿:中学生以上500円、小学生200円 |
御朱印 | あり 力強い文字の御朱印には、ぼたん苑やダリヤ展の時期になるとお花の印が入ります。他抜(たぬき)の御朱印は毎月5のつく日には紫色の印になります。 |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 03-3822-3455 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.uenotoshogu.com/ |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
SNS |
全国東照宮連合会 第19番 |
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ご祭神 | 《主》徳川家康公、徳川吉宗公、徳川慶喜公 |
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創建時代 | 1627年(寛永四年) |
本殿 | 権現造 |
文化財 | 社殿、唐門、透塀、銅灯籠、大石鳥居(国指定重要文化財) |
ご由緒 | 元和二年二月見舞いのため駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ三人処に末永く鎮魂まるところを造って欲しいと遺言された。そこで高虎の家敷地であるこの上野の山に寛永四年(1627)に本宮を造営した。その後将軍家光はこの建物に満足出来ず、慶安四年現在の社殿を造営替そし、江戸の象徴とした。 |
体験 | 祈祷御朱印お守り重要文化財花の名所 |
概要 | 上野東照宮(うえのとうしょうぐう)は、東京都台東区上野恩賜公園内にある神社。旧社格は府社。その豪華さや由来、また近隣の芝東照宮が自らを「日光東照宮・久能山東照宮・上野東照宮に並ぶ四大東照宮の一つ」としていることから三大(もしくは四大)東照宮の一つに数えられることが多い(ただし自称してはいない)。正式名称は東照宮であるが、他の東照宮との区別のために鎮座地名をつけて上野東照宮と呼ばれ、別名「三処権現」とも呼ばれる。 徳川家康(東照大権現)・徳川吉宗・徳川慶喜を祀る(なお、御朱印には創建当初の御祭神「東照神君、天海僧正、藤堂高虎」の文字が見受けられる)。 |
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歴史 | 歴史[編集] 寛永4年(1627年)、藤堂高虎が上野の高虎の敷地内に創建した。社伝によれば、元和2年(1616年)、危篤の家康から自分の魂が末永く鎮まる所を作ってほしいと高虎と天海に遺言されたという。『江戸図屏風』はこの頃と見られる現在とは異なる形状の社殿が描かれている。 現在の社殿は慶安4年(1651年)に家康の孫である徳川家光が改築したもので、上野戦争や関東大震災や第二次世界大戦でも奇跡的に焼失を免れている。上野戦争では旧幕府軍の本陣が上野東照宮境内に置かれたにもかかわらず焼き討ちや打ち壊しに遭うこと無く、関東大震災では鳥居すら倒れず、東京大空襲では焼夷弾を社殿脇に被るものの不発弾で...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] JR東日本線(山手線・高崎線・常磐線・東北新幹線他):上野駅 公園口より徒歩5分 京成本線:京成上野駅 池之端口より徒歩5分 地下鉄銀座線・地下鉄日比谷線:上野駅 不忍口より徒歩10分 |
引用元情報 | 「上野東照宮」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%8A%E9%87%8E%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE&oldid=101551658 |
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