曹洞宗久宝山龍谷山
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萬昌院功運寺について
「放浪記」の作家・林芙美子、「忠臣蔵」の吉良上野介などの墓所
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個人で愉しむ以外に画像等SNSに投稿は控えて欲しいとの意向なので山門前の梅だけにします🙏
お堂が立派。黒の色調で迫力満点のカッコ良さ👍
庭の手入れも行き届いていて境内の居心地も良い🙆←運営してる幼稚園が休み🎌だった事が大きいかも…😆
御朱印を拝受して🖌️、吉良公のお墓もお参りしました。


地下鉄東西線「落合駅」下車徒歩8分。曹洞宗寺院。ご本尊は釈迦如来です。
元々「萬昌院」と「功運寺」は、それぞれ別の寺院で昭和23年に合併しました。
萬昌院は、1574年今川義元の三男である今川長得を開基として創建しました。
江戸時代初期には姻戚関係に極めて近かったということで、吉良家の菩提寺として創建されました。
功運寺は、1598年永井尚政を開基として創建しました。
徳川秀忠のもとで老中を勤めた人物でもあります。
ここには著名人の墓が眠っており、なんといっても吉良上野介義央の墓があります。
また、外科医として、松の廊下事件では治療を施した栗崎道有の墓が眠っています。
12月14日は義士祭で赤穂浪士の参拝が多かった中で、その赤穂事件で「敵」となってしまった吉良上野介への参拝です。
その吉良上野介は、幕府の要人で善政を尽くしたそうで、今でも参拝は絶えないそうです。
敷地が幼稚園にあたるので、受付をして参拝です。境内は許可なきも撮影禁止ということでしたが、パンフレットをいただきました。
ちなみに園長が作務をしていましたが、御朱印をいただくことができました。

山門です。開いていましたが、入る際には受付で記入の上で入ります。

いただいたパンフレットです。

墓地内の著名人の墓など、詳しい内容が書かれています。

次は、宝泉寺の隣にある功運寺。こちらも曹洞宗です。
通りから山門に向かって進むと、右側で何かうごめくモノが…
見ると、馬【ポニーかな?】がいました。
このお寺は幼稚園も併設されているので、教育の一環で飼育されているのかと思います。
赤穂浪士に出る「吉良家」の菩提寺のようです。
【赤穂浪士を祀る泉岳寺も曹洞宗でしたね…】
本堂に進むと、こういう街中・住宅街の中なのに大きな本堂にびっくりしました。

こざっぱりした山門です。

右側にいた仔馬【ポニー?】

このお寺の由緒
赤穂浪士に出てくる「吉良家」の菩提寺のようです。

山門に掲げられています。

本堂です。
街中のお寺なのに、結構な大きさです。

梵鐘を映したのですが、逆光でゴメンなさい

境内・文化財
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萬昌院功運寺は、今川氏真の第4子長得が開基となり天正2年に仏照円鑑禅師が開山した久宝山万昌院と、永井信濃守尚政が開基となり慶長3年に黙室芳誾禅師が開山した龍谷山功運寺とが、昭和23年に合併、仏照円鑑禅師と黙室芳誾禅師とを開山とするといいます。
旗本白柄組頭領・水野十郎左衛門、浮世絵師・歌川豊国、南蛮外科医の栗崎道有、、直心影流の祖・長沼国郷、長沼活然斉綱郷、「忠臣蔵」の吉良義央、「放浪記」を書いた作家の林芙美子などの墓もある。
写真












| 名称 | 萬昌院功運寺 |
|---|---|
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 03-3387-6321 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
| ご本尊 | 釈迦三尊仏 |
|---|---|
| 山号 | 久宝山龍谷山 |
| 宗旨・宗派 | 曹洞宗 |
| ご由緒 | 萬昌院功運寺は、今川氏真の第4子長得が開基となり天正2年に仏照円鑑禅師が開山した久宝山万昌院と、永井信濃守尚政が開基となり慶長3年に黙室芳誾禅師が開山した龍谷山功運寺とが、昭和23年に合併、仏照円鑑禅師と黙室芳誾禅師とを開山とするといいます。
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| 体験 | 有名人のお墓 |
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