きりはたじ|高野山真言宗|得度山(とくどざん)
切幡寺のお参りの記録一覧
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
10番 切幡寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
10番 切幡寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
10番 切幡寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
10番 切幡寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
10番 切幡寺。
お遍路(逆打ち) 四国八十八巡礼。
10番 切幡寺。
憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 10番札所のお寺です。
こちらの切幡寺は 今までのお寺と違って やや山奥のイメージです。
国道・県道から外れ 山道を5分ほど走った所に山門があり その奥に駐車場がありました。
山号は得度山
院号は灌頂院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は千手観世音菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障(さわ)りとぞなる
でした。
こちらは駐車場に車を停めてからがなかなか大変です。
杖無橋を越え しばらく歩くと階段が始まります。
参拝が終わって帰られる方が皆 「がんばってください」 とおっしゃるのです。
すぐに気づきます。本堂までの段数 333段とありました。
ちょっと想像がつかないのですが 本堂に着くまでに休憩が必要でした。
100段上がっていない所に経木場があり 休憩場所になります。
この先 階段が急こう配になります。
女厄除け坂と男厄除け坂が待ち構えています。
ようやく上り終わると境内で 奥に本堂があります。
拝殿土間と本堂と奥殿の三重構造になっています。
本堂には大塔の本尊であった大日如来が奉られ、奥殿には秘仏千手観音菩薩が奉られています。
本堂横には 機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像があります。
本堂左手奥には 大塔の概要の書かれた大きな看板がありました。
階段を上ると 少し開けた場所に出て そちらに大塔がありました。
さらに奥に進むと奥の院があるのですが スズメバチが巣を作っているらしく 通行止めになっていました。
大塔は高さ24メートル 明治時代に大阪から約10年かけて移築されたものです。
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うために徳川家康のすすめで住吉大社の神宮寺に建てたという二重の塔です。
一層目と二層目がともに方形の塔は切幡寺大塔以外に現存していないというとても貴重なもので 国の重要文化財に指定されています。
中に入ることはできませんが 彫刻が素晴らしいので外観だけでも見る価値はあります。
由緒については
切幡山の中腹 標高155メートルに境内がある。
国指定重要文化財である大塔からの眺望はすばらしく 眼下には吉野川がゆったりと流れ 前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。
古く この山麓に機を織る乙女がいた。
ここで修法していた弘法大師は 結願の7日目 綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。
乙女は 織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。
大師は この厚意にたいへん感動し 「何か望みはないか」と尋ねた。
乙女は 「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり 母は身ごもっていたが 男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと 清水の観音様に祈願し やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい 「亡き父母に代わり 観音様をつくってお祀りし わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ さっそく千手観音像を彫造し 乙女を得度させて灌頂を授けた。
乙女はたちまちのうちに即身成仏し 身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。
大師は このことを時の嵯峨天皇に伝え 天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。
得度山 灌頂院 切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。
麓は 巡礼用具店などがならぶ門前町となっている。
「女人即身成仏の寺」として知られ 七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高い。
とありました。
山門(仁王門)
金剛力士 阿
金剛力士 吽
杖無橋
ここから階段が始まります
まだ100段も上っていないのですが 建物が見えてきました
経木場
その裏手
けっこう急こう配です
女厄除け坂
男厄除け坂
本堂
本堂
天井からつるされた数珠 引っ張って ご真言を唱えました
鐘楼
大師堂
大師堂
はたきり観音
虚空蔵菩薩
弁財天
大塔の概要
不動堂
大塔由緒書
境内からさらに登った所に大塔があります この先に奥の院があるのですが通行止めになっていました
由緒書
八大龍王堂の石
八大龍王堂
石碑
車で10分ほどの所に きっとお遍路さんが大勢来られると思うお食事処があります
ぜひぜひお立ち寄りください とても親切なお姉さまがいらっしゃいます
【得度山(とくどざん)灌頂院(かんじょういん)切幡寺(きりはたじ)】
本尊:千手観世音菩薩
宗派:高野山真言宗
開基:弘法大師
この地で修行中の弘法大師(774-835)が僧衣を繕うため、機織(はたお)りの娘に布切れを所望したところ、織りかけの布を惜しげもなく差し出した。心打たれた大師が娘の願いを聞いて千手観音像を彫り、娘を得度(とくど)(仏門に入る)させて灌頂(かんじょう)(仏門に入る際に香水を頭に注ぐ儀式)を授けると、娘は七色の光を発して千手観音菩薩になったという。大師は、このことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに、また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。山号や寺の名前はこうした由縁による。
【10_T.Hamada's view】
本堂
【10_はたきり観音】
機織りの娘が弘法大師の衣服を繕い、その後即身成仏したことから建てられた「はたきり観音」。右手にハサミ、左手に布を持った観音像。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【10_はたきり観音】
大師堂の横にある。
【10_大師堂】
【10_仁王門】
駐車場の手前にある。
【10_仁王阿形像】
【10_仁王吽形像】
【10_手水舎】
山雀(ヤマガラ)の水浴びに遭遇。
【10_不動堂】
【10_大塔】
大塔は、豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため大阪の寺に寄進したものを、明治維新の際の神仏分離令による廃寺後に移築したもの。初重(しょじゅう)(1階)と二重の間が方形という日本唯一の様式である。
【10_本堂へ続く路】
山門から本堂へ続く石段は333段。ここ切幡寺からお遍路の険しさが見られるようになる。
参拝日 令和5年4月22日
四国八十八ヶ所霊場第十番の御朱印と四国霊場奥の院の切幡寺奥の院・八祖大師堂の御朱印を頂きました
本堂
太師堂
鐘楼
大塔
四国霊場八十八ヶ所納経帳のページ
四国八十八ヶ所霊場第十番の御朱印
切幡寺奥の院・八祖大師堂の御朱印
【四国八十八ヶ所札所巡り⑩】
切幡寺(きりはたじ)は、徳島県阿波市市場町切幡字観音にある高野山真言宗の寺院。山号は得度山(とくどざん)、院号は灌頂院(かんじょういん)。本尊は千手観世音菩薩。別称は「はたきり観音」。四国八十八ヶ所10番札所。大塔は、国指定の重要文化財。
寺伝によると、平安時代初期の弘仁年間(810年~824年)に弘法大師による開基。当地で修法していた弘法大師が親思いの善良な乙女と出会い、乙女の仏門に入りたいという望みを受けて千手観音像を彫像し、乙女を得度させて灌頂を授けると、乙女はたちまち即身成仏し身体から七色の光を放つ千手観音菩薩に変身した。大師がこのことを時の嵯峨天皇に伝え、天皇の勅願により堂宇を建立して、自ら彫った千手観音像を南向きに、即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝わる。この由緒から、山号は「得度山」、院号は「灌頂院」とされ、「女人即身成仏の寺」として知られている。
当寺は、JR徳島線・阿波川島駅の北方5.4km、道のり7.0kmの山の南麓にある。9番札所の法輪寺からは道のり4.3km。境内南端の仁王門から森の中の参道を進むと、たっぷり333段の階段、直線距離で300m進んだ山の中腹に本堂などの伽藍がある。この山中にあって大きな本堂には驚くが、さらに高いところに国重文の大塔があり、歴史的遺産の感動とプチ山登りの達成感が同時に味わえる。
今回は、四国八十八ヶ所札所であることから参拝した。参拝時は休日の午前中で、あいにくの天気であったにもかかわらず、ご老人を伴った家族連れなどけっこうな人数の参拝者が訪れていた。
境内の南方300mほどの位置にある<仁王門>。
左側の<吽形仁王像>。筋骨隆々系の勇ましいタイプ。
右側の<阿形仁王像>。
参道をゆるく登りながら進むと、この建物に突き当たる。
建物の中には、各種石像が並ぶ。
建物の右奥に立つ仏像のレリーフ。
ここから一直線の階段を登って行く。150段以上ありそう。
階段は途中で左側に90度折れ曲がる。あと100段ぐらいかな。
階段を登り切ったところの右手にある<水屋>。
水屋の左隣にある<鐘楼>。
階段を登り切ったところの左手にある<納経所>。御朱印はこちら。
階段を登り切ったところの正面にある<本堂>。
<本堂>内部。扁額の文字は、山号の「得度山」かな?達筆過ぎて読めない...(^_^;)
本堂から振り返って境内全景。
本堂に向かって右手、鐘楼の左隣にある<大師堂>。<修行大師像>も見える。
<大師堂>正面。
立派な台の上に立つ<観音像>。
本堂の右手にある<弁財天>(右)と<***菩薩の小社>(左)。小社の表札が読めない...(^_^;)
本堂に向かって左手に、さらに高所への階段があるので登って行く。階段途中にあるのはこちらの<不動堂>。
階段を登り切ったところにある<大塔>。1607年建立、五間二重塔婆、本瓦葺。国指定の重要文化財。
この<大塔>は、徳川家康の勧めにより、豊臣秀頼が父・秀吉の増進菩提のために、大坂・住吉大社神宮寺再興時に東西二基の塔を建立したが、そのうちの西塔を明治初期の神仏判然令による神宮寺廃寺に伴い、当時の住職が買い取ったもの。
大塔から見た景色。屋根の向こうには、南側の吉野川流域平野部が広がっている。
納経所の近くに立つ樹木。梅の木かな?(。´・ω・)?
最後に、納経所から見た境内全景。こちらでは本堂、大師堂だけでなく、国重文の建物と大自然をも楽しめる。(^▽^)/
四国88所巡礼で参拝。10番札所。
本尊は千手観音。
嵯峨天皇の勅願により弘法大師空海が開いたと伝わる。
機織の娘が即身成仏し千手観音となった故事が寺名の由来になっている。
駐車場から本堂までは333段の階段。本堂脇まで行ける車道もあるが、コンパクトカーのトルクでは切り返しが不安になる傾斜だ。途中まで登ってみたが、身の危険を感じたので下の駐車場までバックで降りて来た。
本堂から更に石段を登った先に建つのは切幡寺大塔。重文指定されている。
元々は豊臣秀頼が秀吉の菩提を弔うため1607年に、住吉大社の神宮寺であった新羅寺の西塔として建立したものである。明治の廃仏毀釈で新羅寺が廃寺となったため、1883年に移築された。
本堂
本堂
大師堂
山門
はたきり観音
大塔
四国霊場第十番札所、切幡寺です。山門をくぐり暫し坂道を登ると石段が続きます。333段の石段、少し侮っていました。本堂に着いた時には私の膝は悲鳴を上げており、さらに上にある重文の大塔へ登るのは断念致しました。
切幡寺・山門
切幡寺・杖なし橋
登りはじめの坂です。
切幡寺・参道
ここから三百三十三段の石段
切幡寺・経木場
百段ほど登りました。
切幡寺・本堂
切幡寺・境内から大塔を望む
御朱印
第十番
得度山 切幡寺 灌頂院
『とくどざん きりはたじ かんぢょういん』
おん、ばざら、たらま、きりく
お寺までの道が少々狭い
そして境内までは約300段の石段
私は山登りで平気だけど嫁さんは運動不足…
足がプルプルするらしい😭
もっと鍛えないと〜…😅😅😅
雨が強くなってきました
本日最後のお寺です
途中休憩
始めて初めての雨中の参拝
本堂です
ジャラジャラ回しました
大師堂〜
別角度で
大塔へも寄ってみる
嫁さんにさらに石段追加😁
説明
相変わらず斗栱(ときょう)好き
斗組(ますぐみ)
❓❓❓
右の山は
高越山ですね
ここまでで1番歩いたお寺です
切幡寺
大師堂
ウツギ
山門にも寄らなきゃね‼️
最後にこの写真…😅
いやー、とにかく登りました。笑
山を登るという覚悟なく登ってしまったので、なかなかしんどかったです。十番は山を登ります。階段を333段登ります。
ただ、登ったあとの景色は最高でした!
本堂からさらに登ると、大阪の住吉大社の神宮寺として豊臣秀吉がつくっためちゃくちゃ立派な塔があります。
廃仏毀釈で住吉大社が塔を壊さなければいけなくなったとき、先代の住職が買い取り、移築したそうです。(本当にすごいなぁ。。)
山門から本堂まで20分近く歩きます。いや、山を登ります。
おなじみの山門見えた瞬間シリーズ
この説明めちゃワクワクした。
登ります。
ここから333段の階段を登ります。
終わったと思ったら、まだ100段しか進んでませんでした。
本堂
大師堂。
ワクワクした説明書きに出てきたお姫さま。
なんの塔だろう?って思ってたら、おったまげ。
秀吉がつくった住吉大社の神宮寺の塔が、廃仏毀釈を流れて、徳島まで来ていました。
これがその立派な塔です。
登っただけあって、景色がめっちゃよかったー
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