きりはたじ
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切幡寺ではいただけません
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切幡寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2023年11月10日(金)
参拝:2023年10月吉日
憧れの四国八十八霊場巡り 2回目に出かけました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 10番札所のお寺です。
こちらの切幡寺は 今までのお寺と違って やや山奥のイメージです。
国道・県道から外れ 山道を5分ほど走った所に山門があり その奥に駐車場がありました。
山号は得度山
院号は灌頂院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は千手観世音菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障(さわ)りとぞなる
でした。
こちらは駐車場に車を停めてからがなかなか大変です。
杖無橋を越え しばらく歩くと階段が始まります。
参拝が終わって帰られる方が皆 「がんばってください」 とおっしゃるのです。
すぐに気づきます。本堂までの段数 333段とありました。
ちょっと想像がつかないのですが 本堂に着くまでに休憩が必要でした。
100段上がっていない所に経木場があり 休憩場所になります。
この先 階段が急こう配になります。
女厄除け坂と男厄除け坂が待ち構えています。
ようやく上り終わると境内で 奥に本堂があります。
拝殿土間と本堂と奥殿の三重構造になっています。
本堂には大塔の本尊であった大日如来が奉られ、奥殿には秘仏千手観音菩薩が奉られています。
本堂横には 機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像があります。
本堂左手奥には 大塔の概要の書かれた大きな看板がありました。
階段を上ると 少し開けた場所に出て そちらに大塔がありました。
さらに奥に進むと奥の院があるのですが スズメバチが巣を作っているらしく 通行止めになっていました。
大塔は高さ24メートル 明治時代に大阪から約10年かけて移築されたものです。
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うために徳川家康のすすめで住吉大社の神宮寺に建てたという二重の塔です。
一層目と二層目がともに方形の塔は切幡寺大塔以外に現存していないというとても貴重なもので 国の重要文化財に指定されています。
中に入ることはできませんが 彫刻が素晴らしいので外観だけでも見る価値はあります。
由緒については
切幡山の中腹 標高155メートルに境内がある。
国指定重要文化財である大塔からの眺望はすばらしく 眼下には吉野川がゆったりと流れ 前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。
古く この山麓に機を織る乙女がいた。
ここで修法していた弘法大師は 結願の7日目 綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。
乙女は 織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。
大師は この厚意にたいへん感動し 「何か望みはないか」と尋ねた。
乙女は 「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり 母は身ごもっていたが 男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと 清水の観音様に祈願し やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい 「亡き父母に代わり 観音様をつくってお祀りし わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ さっそく千手観音像を彫造し 乙女を得度させて灌頂を授けた。
乙女はたちまちのうちに即身成仏し 身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。
大師は このことを時の嵯峨天皇に伝え 天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。
得度山 灌頂院 切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。
麓は 巡礼用具店などがならぶ門前町となっている。
「女人即身成仏の寺」として知られ 七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高い。
とありました。
道には詳しくないので 札所の番号順にしました。
四国八十八カ所霊場巡り 10番札所のお寺です。
こちらの切幡寺は 今までのお寺と違って やや山奥のイメージです。
国道・県道から外れ 山道を5分ほど走った所に山門があり その奥に駐車場がありました。
山号は得度山
院号は灌頂院
宗旨宗派は高野山真言宗
ご本尊は千手観世音菩薩
です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:欲心をただ一筋に切幡寺 後の世までの障(さわ)りとぞなる
でした。
こちらは駐車場に車を停めてからがなかなか大変です。
杖無橋を越え しばらく歩くと階段が始まります。
参拝が終わって帰られる方が皆 「がんばってください」 とおっしゃるのです。
すぐに気づきます。本堂までの段数 333段とありました。
ちょっと想像がつかないのですが 本堂に着くまでに休憩が必要でした。
100段上がっていない所に経木場があり 休憩場所になります。
この先 階段が急こう配になります。
女厄除け坂と男厄除け坂が待ち構えています。
ようやく上り終わると境内で 奥に本堂があります。
拝殿土間と本堂と奥殿の三重構造になっています。
本堂には大塔の本尊であった大日如来が奉られ、奥殿には秘仏千手観音菩薩が奉られています。
本堂横には 機織の乙女が即身成仏した伝説の観音像があります。
本堂左手奥には 大塔の概要の書かれた大きな看板がありました。
階段を上ると 少し開けた場所に出て そちらに大塔がありました。
さらに奥に進むと奥の院があるのですが スズメバチが巣を作っているらしく 通行止めになっていました。
大塔は高さ24メートル 明治時代に大阪から約10年かけて移築されたものです。
慶長12年(1607年)に豊臣秀頼が父・秀吉の菩提を弔うために徳川家康のすすめで住吉大社の神宮寺に建てたという二重の塔です。
一層目と二層目がともに方形の塔は切幡寺大塔以外に現存していないというとても貴重なもので 国の重要文化財に指定されています。
中に入ることはできませんが 彫刻が素晴らしいので外観だけでも見る価値はあります。
由緒については
切幡山の中腹 標高155メートルに境内がある。
国指定重要文化財である大塔からの眺望はすばらしく 眼下には吉野川がゆったりと流れ 前方には四国山脈の雄大な山々が連なる。
古く この山麓に機を織る乙女がいた。
ここで修法していた弘法大師は 結願の7日目 綻びた僧衣を繕うために布切れを所望された。
乙女は 織りかけていた布を惜しげもなく切って差し出した。
大師は この厚意にたいへん感動し 「何か望みはないか」と尋ねた。
乙女は 「父は都で薬子の変に関係して島流しとなり 母は身ごもっていたが 男の子が産まれればその子も咎を受ける。どうか女の子が産まれるようにと 清水の観音様に祈願し やがてこの地に来て産まれたのが私です」といい 「亡き父母に代わり 観音様をつくってお祀りし わたしも仏門に入って精進したい」と願いを告白した。
大師はつよく心を打たれ さっそく千手観音像を彫造し 乙女を得度させて灌頂を授けた。
乙女はたちまちのうちに即身成仏し 身体から七色の光を放ち千手観音菩薩に変身した。
大師は このことを時の嵯峨天皇に伝え 天皇の勅願により堂宇を建立して自ら彫った千手観音像を南向きに また即身成仏した千手観音像を北向きに安置して本尊にしたと伝えられる。
得度山 灌頂院 切幡寺それぞれの名称もこうした由縁による。
麓は 巡礼用具店などがならぶ門前町となっている。
「女人即身成仏の寺」として知られ 七色の光を放つ善女に憧れる女性からの人気が高い。
とありました。
山門(仁王門)
金剛力士 阿
金剛力士 吽
杖無橋
ここから階段が始まります
まだ100段も上っていないのですが 建物が見えてきました
経木場
その裏手
けっこう急こう配です
女厄除け坂
男厄除け坂
本堂
本堂
天井からつるされた数珠 引っ張って ご真言を唱えました
鐘楼
大師堂
大師堂
はたきり観音
虚空蔵菩薩
弁財天
大塔の概要
不動堂
大塔由緒書
境内からさらに登った所に大塔があります この先に奥の院があるのですが通行止めになっていました
由緒書
八大龍王堂の石
八大龍王堂
石碑
車で10分ほどの所に きっとお遍路さんが大勢来られると思うお食事処があります
ぜひぜひお立ち寄りください とても親切なお姉さまがいらっしゃいます
すてき
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