ふさいじ
普濟寺公式栃木県 鴻野山駅
対応できる時間
午前9時~午後5時
四季折々の草花に囲まれた、真言宗智山派の心落ちつく寺院です。
本堂備え付けの「福寿無量の鐘」を叩いて、心に平穏を感じてみませんか。御納経(御朱印)も行っております。お近くにお越しの際には、「金枝城」ゆかりの当寺院にお気軽にお立ち寄りください。
墓地の分譲も行っております。墓地や葬儀のことなど、どのようなことでも結構ですので、お気軽にご質問・お問い合わせください。
お寺の花々を撮ってみました🌸ウグイスの声も響いて……季節の移ろいを感じます✨
しだれ桜にレンギョウ。
山門下の木蓮。
目を引く色合いです。
本堂前のユキヤナギ。
石仏の後ろにもお花が……
墓地からの眺め。
春爛漫ですね!
墓地のスイセン。
亡き両親が植えました。
ミツマタが見頃を迎えています。
永代供養塔近くの石仏。
なんとなく微笑まれているでしょうか。
永代供養塔の上にも桜がかかっています。
天蓋のようです。
お釈迦様のお誕生日なので、神社ではなくお寺にお参りしようと思い、御朱印巡りを始めてから初めての栃木県へお参りに行きました。
ご住職様からはお寺のお話を、お母様からはお庭のお話をたくさん聞けました。
とても良くしていただきありがとうございます。
今回は青春18きっぷで福島県へ行く際の途中下車で、もっと時間を取って行けば良かったと思いました。次は喜連川温泉のみで旅行をしたいです。
撮影とホトカミ掲載も快く承諾していただき感謝します。
本堂。手前の枝ぶりとの対比が素敵だと思いました。
御朱印をいただく際、授与ノートに名前を書きますと、お経を読んでくださいます。
御朱印をいただきました。
枝垂れ桜が五分咲きでした。
先代ご住職様の奥様、今のご住職様のお母様が丹精を込めているお寺の植物。
ミズバショウは裏山からの水脈近くにどんどん増えるそうです。
フランス式庭園ではなく、自然にこぼれ増える花がお好きとのお話でした。ターシャの庭のようです。
日光が好きな綺麗な苔もはえています。
撫でてご利益をいただきました。
近隣から預託されている観音様。
観音様はお優しいお顔です。
薬師堂。花まつりの日なのでと、ご開帳していただけました。
薬師如来様。
カタクリが咲いていました。
弘法大師様の像。
秋は紅葉も見応えがありそうです。
ハッピーバースデーお釈迦様✨
周りは田畑です。いちご農家が点在しています。
オオイヌノフグリの周りの葉は彼岸花(曼珠沙華)だそうです。
睡蓮の池。山吹、椿、水芭蕉が綺麗です。
駐車場から薬師堂と墓地を望むと、ソメイヨシノが見頃を迎えていました。
手水舎の手前、花に囲まれた仏像が点在しています。
手水舎の奥にお地蔵様など小さな仏像があります。
山号の碑。坂を登ると手水舎の奥にアスファルト舗装の駐車場がありました。
住所 | 栃木県さくら市金枝898 |
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行き方 | 東北自動車道、矢板ICから車で約20分
温泉付住宅地「フィオーレ喜連川」から車で3分
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名称 | 普濟寺 |
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読み方 | ふさいじ |
参拝時間 | 対応できる時間
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参拝にかかる時間 | 約15分 |
参拝料 | なし |
トイレ | あり |
御朱印 | あり https://hotokami.jp/area/tochigi/Htgty/Htgtytr/Drzpg/43778/63797/ |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳に直書き | あり |
御朱印の郵送対応 | あり 郵便振替用紙を同封いたします。 |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 028-685-3426 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
メールアドレス | tshujo@gmail.com |
ホームページ | https://www.fusaiji.net/ |
SNS |
ご本尊 | 大日如来 |
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宗旨・宗派 | |
創建時代 | 1559年(永禄2年)、境内の薬師堂は1532年(天文元年4月8日) |
開山・開基 | 宥哲 |
ご由緒 | 普濟寺(普済寺)の起源 ― 金枝城の守り、祈願所・菩提所として ― 普濟寺(ふさいじ)は、さくら市(旧 喜連川町)金枝(かなえだ)の主要地方道、烏山~矢板線沿い東にある。三光山清光院と号し、真言宗智山派、本尊大日如来。永禄2年(1559)の創建。開山は、沢観音寺(矢板市)の大和尚宥哲(ゆうてつ)と伝える。 金枝は古く「金井田」と称し、稲穂が実る意味を合わせた「金井田」から、後に「金枝」と転じた。大同2年(807)には民家二戸あり。もとは下野国那須郡酒主郷に属し、普濟寺周辺からは奈良・平安時代のものとみられる遺物が出土している(普濟寺周辺遺跡、山の神遺跡、上金枝遺跡)。 普濟寺の大檀那は、那須氏に属した土豪金枝氏。南北朝時代の正平・元中年間(1346~1392)、那須氏9代当主 那須資藤(すけとう・?~1355、『太平記』に出づ)の4男隆経が、この地に分家し、地名を取って金枝備中守を名乗ったことに端を発する。小字 裏山(通称 お城山)に本丸・二の丸などを有する城跡があり、金枝氏の築城。空堀や土塁、櫓台跡や大手門跡などの遺構が残る(金枝城跡)。南西方向には、要害としての意味も有する江川が流れ、喜連川城(大蔵ヶ崎城)から宇都宮軍に相対する那須氏最前線の平山城であった(天正18年〔1590〕廃城)。 『那須記』には、応永20年(1413)の沢村城合戦に金枝左ェ門義隆の名が見え、天文18年(1549)喜連川五月女坂(早乙女坂)合戦の那須勢の中に金枝近江守義高、永禄10年(1567)烏山・大崖山合戦には上那須衆として須藤金枝近江守泰晴など下那須宿老格の名が散見。天正13年(1585)の薄葉原の戦いには金枝土佐守金吾光任が加わっている。 なお、金枝の指定村社である温泉神社は、天文18年(1549)10月に那須隆惟によって造営された。
正徳4年(1714)3月8日、沢観音寺の宥誉法印が、中興の祖(12世)となって現在地の小字 屋敷通(やしきどおり)に伽藍を移築造営。現存 薬師堂に安置されている薬師如来像および十二神将像はその時期の開眼。台座に宥誉の名が残る。なお、旧地には経文を埋め、宥誉の墓碑(元文2年〔1737〕)を建立。この塚の場所を「三部経塚」という(現在、墓碑は薬師堂隣に移転)。文化7年(1810)2月27日、火災により本堂全焼するも、天保7年(1836)尊海和尚(17世)に至って再建。本尊大日如来を安置。境内池に弁才天を祀る。 学制公布により、明治6年(1873)普濟寺をもって第40番中学区第40番勧善学舎とし、金枝村・鹿子畑村・七合村を学区とした。明治11年(1878)鹿子畑村との共立で、普濟寺を仮校舎のままに勧善学校を称し、鹿子畑小学校、上江川第二尋常小学校、金鹿小学校(平成22年〔2010〕喜連川小学校へ統合)へと受け継がれている。 先代の髙橋秀道(32世)代に至り、昭和53年(1978)11月に庫裡を新築整備、昭和59年(1984)11月に本堂・薬師堂を改修、平成6年(1994)11月12日に戦没者終戦五十回忌法要、平成23年(2011)3月11日に東日本大震災復旧工事を行う。 (『那須郡誌』『金枝沿革誌』『喜連川町誌』『日本歴史地名大系』『日本城郭大系』『栃木県神社誌』『喜連川町史』等参照) |
体験 | 写経・写仏祈祷おみくじお祓い結婚式仏像傾聴御朱印お守り祭り伝説法話 |
概要 | 普済寺(または普濟寺、読みは「ふさいじ」)は、仏教の寺院。または、その寺院に由来する地名である。「普済」とは、「普く(=幅広く)済う(=救う)」という意味である。 |
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引用元情報 | 「普済寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%99%AE%E6%B8%88%E5%AF%BA&oldid=101560037 |
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