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楽しみ方古峯神社のお参りの記録一覧
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ちょっと訳ありでしばらく寺社活止めてました😓 ネタ自体がないので投稿もできず。 そんなこんなしてるうちに今年ももう神無月。
親から鹿沼山中にある「前日光つつじの湯」という日帰り温泉と、ちょうど紅葉シーズンなので古峰神社に行かないかと誘われまして・・・
古峰は過去2回行ってるし、いくら神仏に祈っても暮し向きが良くならないので寺社熱や信仰心もスッカリ冷めてたので正直神社はあまり気が乗らなかったのですがw 温泉メインで行ってみることに。
つつじの湯は当たりでした☆ 入浴料は600円とリーズナブルで露天風呂付き、それと前日光は古峰神社以外はロクに観光地がないためかわりと空いてたw
自分的にはこれだけで満足でこのまま帰りたかったのですがw 親が古峰初参拝のためどうしてもということで渋々さらに山奥に向かう・・・😞
着いてみたところ・・・こ、これは!?(;゚Д゚)
ごらんの通り紅葉シーズン真っ盛り!
やっぱ神道というのはアミニズム、まず先に立つのは自然への憧憬や畏怖ですね。確かに古峰ヶ原には神が宿ってる!
山から山へ飛びかう天狗を幻視し・・・残念ながらそんなスピ系能力はありませんがw ・・・少し信仰心を取り戻せた気がします♪


日光の二荒山神社を満喫したのちに本日のメインディッシュの古峯神社へ⛩️
御神水目当てで日光二荒山神社参拝した後に、予定外で本宮神社や別宮に行って、更にはいろは坂を通って中禅寺湖と中宮祠を参拝してたらあっという間に午前は終わって時刻はすでに13時。
とりあえず目的の神社は全て回れたし、御朱印帳のページも念入りに調整したので、満を持していよいよ古峯神社を参拝🙏
こちらの神社の御朱印は数種類から選んでお書き入れしてもらえると事前学習していたので、期待に胸を膨らませつつ参拝。
日光も涼しかったですが、こちらは車外気温23℃と更に涼しい気温なのですが、水辺に近く湿度も高かったので、涼しいのは涼しいのですが、何だかやけにむわーっとしてました💦
社殿があって社務所や授与所があってっていうこれまでの神社と同じような境内を想像してましたが、
こちらは社殿自体が参籠所となっていたのには驚きましたΣ('◉⌓◉’)
泊まれるのは知ってましたが、てっきり社殿の麓なり別の建物が宿坊となってるのかと思ってたら、まさか社殿にそのまま参宿できるとは💦
まぁ今回は日帰りなのでお泊まりはしませんが。
そして肝心の御朱印は、絵柄は完全に書き手さんにお任せで、どんな絵柄になるかは完全にその時の神職さん次第という運ゲーのようになってました💦💦
それでも出来上がりはとても素敵に天狗👺が描かれて、大変満足です👍
参拝後は宇都宮へ向かって、前から食べたかった芭莉龍の餃子をいただきました😋
これがめちゃくちゃ美味しくて、寝不足の胃もたれ気味でなければもうちょっと食べたかったぁ😵💫💦
ここ最近のニュースで宇都宮の豪雨が取り沙汰されて今日も降られるかと心配しましたが、買い物と食事を終えて後は駐車場に向かうだけという時だったので、足元はずぶ濡れになりましたが、用心して持っていた傘のおかげで荷物も服もそれほど濡れずに済みました😊
それにしても宇都宮の豪雨は凄いですね💦
まるでバケツをひっくり返したような土砂降りで、坂が多いせいか排水能力を超えてあちこちで冠水🌊
深いところではタイヤのホイールに迫るくらいに冠水してる所もありましたが、何はともあれ無事に目的の神社仏閣を巡ることができて、観光買い物も楽しめた素敵な1日となりました✨





栃木県鹿沼市草久に鎮座する古峯神社、2024.3に参拝致しました、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は日本武尊、社格等は無格社、創建年は不明、例祭は5月27日。天狗が祭神の使いとされ、「天狗の社」としても知られる、神仏習合の時代には日光修験の道場であり、火伏や豊作・村内安全の神として庶民の崇敬を集めるなど、古峯信仰(ふるみねしんこう)の中心となった。創建は「今を去る1300余年の昔」という『下野神社沿革史』(明治35年=1902年)に載せる社伝によれば、藤原隼人という人物が京都より当地に移って邸内に日本武尊を祀ったのが神社の創建とされており、この隼人が石原を家名として祠官石原家の祖先になったという、隼人は日本武尊に仕えた家臣であったともいう伝承もある、日本武尊が東征の折に着用した服の片袖を神体にしていたというが、明治期にはすでに失われ、口承のみになっている、日光山開山の祖である勝道上人は、古峯ヶ原深山巴の宿で3年間の修行ののちに天応2年(782年)に男体山に登ったとされる、これにより「日光発祥の地」とも呼ばれるといい、山岳信仰の霊地であった、この由緒に基づき、神仏が習合していた時代には、日光全山26院80坊の僧侶(日光修験)は古峯ヶ原で修業をするならわしであり、「華供峯」は日光入峯の重要な修行であった[8]。『下野神社沿革史』によれば、日光へ赴く修行僧が石原家に投宿して雪中の案内を行い、以後恒例となった、日光にあった金剛童子の像を日本武尊とともに祀り、金剛峯権現(こんごうみねごんげん)と呼んだという、明治初年の神仏分離に伴って仏具は撤去され(金剛童子像は日光に還仏したという、祖先石原隼人が祀った日本武尊のみを祭神として「古峯神社」と号したという、1966年(昭和41年)に古峯神社と日光山興雲律院の共催により、華供峯が「巴祭」として復興されている。
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