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りんのうじ日光山

輪王寺のお参りの記録一覧
栃木県 東武日光駅

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惣一郎
惣一郎
2021年09月27日(月)1269投稿

輪王寺(りんのうじ)は、栃木県日光市にある天台宗の寺院。山号は日光山。本尊は阿弥陀如来、千手観音、馬頭観音。江戸時代までは東照宮、二荒山神社と合わせて「日光山」、「日光三所権現」と総称され神仏習合の信仰が行われてきたが、明治元年の神仏分離令後は「二社一寺」と称される。当寺境内は日光東照宮、日光二荒山神社の境内とともに「日光山内」として国の史跡に指定され、「日光の社寺」としてユネスコの世界遺産に登録されている。

寺伝によると、創建は奈良時代の766年、下野国の僧・勝道上人が大谷川のほとりに千手観音を安置する一寺、「四本龍寺(しほんりゅうじ)」を建てたのが始まり。勝道上人は翌767年、隣接地に男体山の神を祀る二荒山神社を建立、782年に男体山の登頂に成功、784年に中禅寺湖畔に中禅寺を建立した。このころから山岳信仰の聖地として繁栄していった。平安時代には真言宗宗祖・空海が来山、天台宗の高僧・円仁(慈覚大師)は来山の上、三仏堂、常行堂、法華堂を建立したとされる。なお、嵯峨天皇から「満願寺」という寺号を下賜された。鎌倉時代には、鎌倉幕府や関東の有力豪族の支援を受け隆盛し、「日光三所権現」の信仰が定着した。戦国時代には、下野国領主である宇都宮氏の家臣・壬生氏が謀略により一時傘下に収めるも、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐の際、北条氏側に加担し寺領を没収された。江戸時代に入ると、天台宗の高僧・展開が貫主となり、徳川家康の霊を祭る東照宮が創建されてからは大いに復興・繁栄した。1655年に後水尾上皇から「輪王寺」の寺号が下賜され、歴代住持を法親王(親王宣下を受けた皇族男子で出家した者)が務めた。明治時代に入り、「輪王寺」の寺号没収や、神仏分離令による三仏堂の取り壊しを迫られたが、木戸孝光の尽力や栃木県の努力により、寺号、寺院の存続が図られた。

当寺は、日光山内から日光二荒山神社、日光東照宮の部分を除いた、広大な範囲に伽藍などが分布している。メインは本堂(三仏堂)を中心にした(狭義の)輪王寺周辺エリアと、日光二荒山神社の鳥居近くにある大猷院霊廟を中心にしたエリアの2つがある。輪王寺周辺には本堂など17棟の国指定の重要文化財があり、大猷院霊廟周辺には、大猷院霊廟本殿が国宝、唐門など20棟の国指定の重要文化財がある。

今回は、国の史跡、世界遺産であることから参拝することに。参拝時は祝日の午前中で、観光客は日光二荒山神社、日光東照宮ほどではないが、そこそこ来ていた。

※輪王寺の御朱印は、堂宇ごとに設定されていて、通常領布のものだけでも11種類ある。期間限定領布のものも、大猷院を中心に多数。

輪王寺(栃木県)

参道を南から北上し、右側にある黒門をくぐると輪王寺境内。しばらく進むと、左手に<本堂(三仏堂)>が現れる。

輪王寺(栃木県)

<本堂(三仏堂)>は、江戸時代前期の1645年に徳川家光の寄進により建立。国指定の重要文化財。
日光三山の本地仏として三体の本尊が祀られている。
① 千手観音 (男体山)=新宮権現      =大己貴命(おおなむちのみこと)
② 阿弥陀如来(女峰山)=滝尾(たきのお)権現=田心姫命(たごりひめのみこと)
③ 馬頭観音 (太郎山)=本宮権現      =味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)

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