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楽しみ方日光東照宮のお参りの記録一覧
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お盆休みを利用して日光山内の二社一寺を巡りました。 日光二荒山神社、輪王寺そして日光東照宮は平成11年(1999年)にユネスコ世界文化遺産の「日光の社寺」として登録されていて、日光にはいつかは訪れたいと想いつつ、今回念願叶っての初来訪です。 「特急リバティけごん」にて東武日光駅を下車、そこから路線バスで先ずは日光東照宮へと向かいました。 言わずと知れた徳川初代将軍・徳川家康(とくがわ いえやす)~東照大権現を御祭神に祀り、全国数ある東照宮の中の総本宮とされています。 元和2年(1616年)駿府城で死去した家康は、その遺命によって直ちに駿河国の久能山(現在の静岡市・久能山東照宮)に埋葬されます。 日光山に改葬されるのは一周忌を経てからで二代将軍・徳川秀忠(とくがわ ひでただ)によって東照社が造営され、その後寛永13年(1636年)、三代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)が「寛永の大造替」と呼ばれる大改修を行って現在に見られる壮麗な社殿が完成しました。 始発の特急にて来たのですが流石は日本で屈指の観光地、石鳥居を過ぎるとすでにチケット購入に長蛇の列が…。 しかし、日暮御門とも称される絢爛豪華な陽明門や「見ざる・言わざる・聞かざる」で有名な三猿、平和の象徴として家康の墓所を静かに守る眠り猫など、数多くの細緻な木彫像はどれも美しく一見の価値ありでした。
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生まれて初めての日光東照宮!
午後から行ったのですが、全然時間足りませんでした。
また必ずやお参りしたいと思います。
こんなにも立派なお墓をつくって、
いま、観光としての産業に貢献して、
世界遺産として、未来への資産にもなっていると思うと、あらためて江戸・東京をつくった家康さんへの尊敬の念が増しました。
人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。
不自由を常と思えば不足なし。こころに望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。
堪忍は無事長久の基、いかりは敵と思え。
勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば害その身にいたる。
おのれを責めて人をせむるな。
及ばざるは過ぎたるよりまされり。

(2024年8月の参拝です。)
日光東照宮で書置きの御朱印を頂きました。
もともと書置きみたいで前回は御朱印帳を頂いて揮毫してもらいました。
4年前はピンポイントしか写真を載せてなかったので再度投稿していきます。
石鳥居をくぐって右に五重塔
五重塔は慶安3年に若狭国小浜藩主酒井忠勝公によって奉納されました。
文化12年火災にあいましたが、その後文政元年に同藩主酒井忠進公によって再建されました。
神厩舎はご神馬をつなぐ厩舎です。昔から猿が馬を守るとされているところから、
長押上には猿の彫刻が8面あります。
「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿の彫刻が有名です。
三神庫は三つの神庫からなり、
武者行列で使用される装束や馬具が収められています。
上神庫の屋根下の狩野探幽下絵の「想像の象」です。
御水舎です。
水盤は元和4年九州佐賀藩主鍋島勝茂公によって奉納されました。
陽明門は日光東照宮のシンボルと言えるもので国宝です。
いつまで見ていても見飽きないところから「日暮の門」ともよばれ、
故事逸話や子供の遊び、聖人賢人など500以上の彫刻がほどこされています。
てか、インバウンドで人が多い。それでも極彩色できらびやかな門で徳川家康・江戸幕府の影響力を感じますね。
拝殿・唐門は国宝です。
ご祭神は徳川家康公です。
家康は死後久能山に神葬されました。
御遺言により、一年後の元和3年に久能山から日光に移されおまつりされました。
その後、宮号を賜り、東照宮と呼ばれるようになりました。
現在のおもな社殿群は、三代将軍家光公によって、寛永13年に造替されたものです。
唐門は全体が胡粉で白く塗られ、細かい彫刻が施されています。
神輿舎は徳川家康・豊臣秀吉・源頼朝の三基の神輿が祀られています。
有名な眠り猫は
国宝で左甚五郎の作と言われています。
牡丹の花に囲まれ日の光を浴び、うたたねをしている猫を描いています。
眠り猫の後ろは遊んでいる雀です。
ここから先が奥宮になります。
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