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清水八幡宮について
佐野に伝わる「木曽義高生存伝説」にて、義高が館を構えたといわれる「御所ノ入」という場所。
義高と妻の墓といわれる五輪塔が立つ。
栃木県のおすすめ2選🎍
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前々回の怪我の回復を待ちつつ、地元足利・佐野の寺社情報収集と基本情報登録をしておりました🔍️✏️
とりあえず足利に関しては現時点で自分の既知の寺社は全て登録し終えたので、次は佐野に着手☝️
以前何度か取り上げた、佐野に伝わる木曾義高生存説で、義高が居館を構えたと伝わる「御所ノ入」と呼ばれる土地があり、ここには義高夫妻の墓所と云われる五輪塔があるのですが、寺社がないのでホトカミで取り上げるのはちょっと苦しいかな😔💫と思ってたんですが・・・
調査を進めるうちになんと石祠ながら神社があるのが判明💡 これなら堂々と投稿できる😆👍w 怪我もほぼ完治して久しぶりにフィールドワークもしたくなったので行ってみることにしました🚙💨
御所ノ入の谷地の一番奥、ご子孫と思われる家が数戸ある裏に清水八幡宮と五輪塔はありました。このお宅の方々が「木曾ノ直伝」なんだろうか・・・😲
ご覧のように小さな石祠にも関わらず玉垣で囲まれてて、地域で大切にされてきたのが偲ばれます・・・やはり義高公は佐野に落ち延びていた⁉️😳
意外なことに五輪塔が3つあった。一つは義高公、もう一つは妻となった佐野家の姫・・・ではもう一つは❓️
たぶん息子か娘のものだと思いますが・・・私はこれは義高公の身代わりとなって死んだ海野幸氏や宇野平八、あるいは源頼朝の娘で義高公の前妻の大姫のものであって欲しいと思います。
政略結婚ながら義高公と深く愛し合い、父頼朝を欺いて義高を逃がすも、義高が処刑されたことに衝撃を受け心を病み、後鳥羽天皇への入内などのちの縁談も拒み通し二十歳で早世してしまった悲劇のヒロイン😭
そんな大姫のことを偲んで義高公がもう一つ小さな五輪塔を建て、事情を知る佐野家の姫も拒んだり厭うこともなかった・・・などと考えるととても美しいではありませんか💖
北条政子も、大姫が病床に伏し日を追って憔悴していくのは義高を討ったためだと憤ったと云われておりますし
(ただ命じた頼朝ではなく、直接討った藤内光澄を晒し首にしたのはかなり筋違いだと思うが😓www)
後年、北条政子が密かに御所ノ入を訪れたというのも、伝承じゃなく本当にあったのかもしれませんよ🌟

御所ノ入の谷地の入口にある同じ名前の蕎麦屋さん🍜
なんとヘリポート付きの高級蕎麦屋⁉️🚁
しかしメニューを見ると・・・「せいろ 700円」あら❓️わりと標準的やん👌😋

谷地の一番奥に農家が数軒あり、その裏にあります
やはりこれらの家々はご子孫だろうか・・・💧
写真











清水八幡宮の情報
| 住所 | 栃木県佐野市山形町1114 |
|---|---|
| 行き方 |
栃木県のおすすめ2選🎍
清水八幡宮の基本情報
| 名称 | 清水八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | しみずはちまんぐう |
| 通称 | 御所様の墓 |
| ホームページ | https://www.bando-bushi.com/post/iwasaki_yoshitaka |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》清水冠者義高 《摂末社》祭神不明一社 《諸尊》五輪塔三基(伝義高と妻の墓) |
|---|---|
| ご神体 | 石祠 |
| 創建時代 | 少なくとも承久二年(1220年)以降 |
| 創始者 | 不詳 |
| ご由緒 | 佐野の地には、木曽義仲の遺児 木曽義高(清水冠者義高)は、武蔵入間河原で源頼朝には討たれておらず、佐野基綱を頼り落ち延びたという伝説が存在する。
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| ご利益 | |
| 体験 |
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