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下野國一社八幡宮ではいただけません
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しもつけのくにいっしゃはちまんぐう

下野國一社八幡宮
栃木県 野州山辺駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
あり
パーキング
駐車場
あり

普段は境内にも数台駐車場可だが、東に民家を1~2軒挟んで専用駐車場もあり。

下野國一社八幡宮について

「源姓足利氏発祥之地」。境内に日本三大縁切り稲荷神社の「門田稲荷神社」があり、裏手には「八幡山古墳群」があります。

栃木県のおすすめ3選🌸

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くし
2024年02月12日(月)
1450投稿

さすがに境内社だけ拝んで本殿拝まずに帰るのはマズいだろうと思い、一社八幡宮の方もちゃんと拝みましたw

実は一社八幡宮の方も昨日、建国記念日で何かお祭りやってたらしいんですが、近いとはいえさすがに2日連続で行くのはしんどかったのでスルーw まぁそっちの祭りも神事だけっぽかったので(^^;

実は門田稲荷の御朱印以外で、もう一つ拝受しても良いかな?と考えてたのが、境内社の八坂神社の御札。
今ちょうどウチの神棚に素戔嗚尊が鎮座してないのと、ここの八坂神社の御札は他よりちょっとリーズナブル価格だったので( *´艸)

ところが・・・
まず、八坂神社自体が今日は門田稲荷の氏子さんの詰所になってて拝めず orz
さらに授与所に行ったら・・・( -д-)チッ! 御札が一律1000円に値上げしてやがる(・ε・` )
まぁ同じ1000円払うなら、夏越のときに地域の子供達が御神輿かついで売りにきてくれる島田八坂神社の御札に払った方がいいので、今回は辞退(^^;

下野國一社八幡宮(栃木県)

境内からも行けますが、やはりなんとなく鳥居通りたいので一度表に出て入り直すw

下野國一社八幡宮(栃木県)

手水舎
あ・・・ヤベ!門田拝む前にお清めしてないわ(;°∇°)

下野國一社八幡宮(栃木県)

人がいない時を狙って撮りましたが、休みなのでそこそこ参拝者はいました

下野國一社八幡宮(栃木県)
下野國一社八幡宮(栃木県)

拝殿

下野國一社八幡宮(栃木県)

御神体

下野國一社八幡宮(栃木県)

今日は授与品を持ち帰らないので、代わりに本殿でも見てみることにしました

下野國一社八幡宮(栃木県)

右上に合祀社があったのに気付く
そういえばここ拝んだことなかったかも(゜゜;)

下野國一社八幡宮(栃木県)

なるほど、こういう神々もいたのか☆

下野國一社八幡宮(栃木県)

本殿裏もちゃんと階段付いてたのね

下野國一社八幡宮(栃木県)

本殿裏の彫刻
これ神功皇后の三韓征伐じゃないかな?(゜゜)
左が住吉三神で、真ん中が神功皇后と武内宿禰

下野國一社八幡宮(栃木県)

左側に一つだけ単独の石祠
資料によると、川込神社・三峯神社・道祖神社のどれか

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歴史

社伝によると、天喜四年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、安倍頼時父子を討伐(前九年の役)するため当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都府)の男山八幡宮を勧請したという。
康平年間に凱旋した義家は神の恵みに感謝し、公自ら兵器を奉納した。文明八年(1476)八月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和七年(1621)十一月、江戸幕府より二十石の朱印社領を許されているが、この時の設計図や費用明細書などが現存している。
当社は八幡太郎源義家・義国父子の手厚い信仰により源姓足利氏代々の氏神として保護されてきた。明治四年に社格が制定され、同五年郷社、同三十五年には県社に列せられた。
当社は古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称した。(頒布のリーフレットより)

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下野國一社八幡宮の基本情報

住所栃木県足利市八幡町387-4
行き方

・北関東自動車道 足利ICから20分
・北関東自動車道 太田桐生ICから15分
・東北自動車道 佐野藤岡ICから40分
・東武伊勢崎線 野州山辺駅から徒歩6分
・東武足利市駅からタクシーで5分、徒歩17分
・JR足利駅からタクシーで8分
・山辺・中央循環線 八幡十字路バス停から徒歩2分

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名称下野國一社八幡宮
読み方しもつけのくにいっしゃはちまんぐう
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
絵馬あり

詳細情報

ご祭神《主》誉田別命、大帯姫命、姫大神
《境内社》八坂神社、稲荷神社、道祖神社、川込神社、日枝神社、天満宮、若宮八幡宮、山神社、三峯神社
創建時代天喜四年(1056)
創始者源義家
ご由緒

社伝によると、天喜四年(1056)八幡太郎の名で有名な源義家が、陸奥の豪族、安倍頼時父子を討伐(前九年の役)するため当社付近の大将陣に宿営し、戦勝を祈願して現在地に小祠を創建し、山城の国(現京都府)の男山八幡宮を勧請したという。
康平年間に凱旋した義家は神の恵みに感謝し、公自ら兵器を奉納した。文明八年(1476)八月、長尾景長は境内社木伐採の禁制を出し保護を加え、その後の元和七年(1621)十一月、江戸幕府より二十石の朱印社領を許されているが、この時の設計図や費用明細書などが現存している。
当社は八幡太郎源義家・義国父子の手厚い信仰により源姓足利氏代々の氏神として保護されてきた。明治四年に社格が制定され、同五年郷社、同三十五年には県社に列せられた。
当社は古くは足利荘八幡宮と呼ばれ、下野国内第一の八幡宮として、下野国一社八幡宮、一国一社八幡宮とも称した。(頒布のリーフレットより)

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