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岩舟山高勝寺ではいただけません
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いわふねざんこうしょうじ|天台宗岩舟山

岩舟山高勝寺
栃木県 岩舟駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
パーキング
駐車場
あり

あり、車で直接上がる場合は山上の仁王門前。
登拝する場合は登山口前の十字路の南に駐車場。
登山道ほぼ中間の右側にも駐車場あり。

その他の巡礼の情報

佐野新四国八十八ヶ所霊場 第十九番

岩舟山高勝寺について

日本三大地蔵尊の一寺。
岩舟山は死者の霊が集う山と伝わり日本三大霊山とも云われる。
数々のヒーローが戦った特撮の聖地でもある。

栃木県のおすすめ3選🌸

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おすすめの投稿

🌷日向ぼっこ☀️🐇
2023年11月17日(金)
744投稿

🌼高勝寺(こうしょうじ)に参拝させて頂きました🙏🌸当寺院は、栃木県栃木市にある天台宗の寺院で山号は岩船山です。🌺宝亀8年(775年)に弘誓坊明源によって開基された。弘誓坊明源は大山寺の僧で、地蔵菩薩の霊夢を見て岩船山に訪れ、生身地蔵と謁見することが出来たため開基した伝えられ、岩船山は死者の魂や霊魂が集まる場所だと伝えられています。🍁江戸時代になると歴代将軍によって庇護され、3代将軍徳川家光の側室宝樹院は高勝寺に帰依していたという。4代将軍徳川家綱は「岩舟地蔵の申し子」と言われていました。☘️8代将軍徳川吉宗によって享保年間に諸堂の大改修が行われており、寛延4年(1751年)には三重塔が建立され、岩船地蔵の普及に努め「関東の高野山」「日本三大地蔵尊」「日本三大子授け地蔵尊」と称され「日本三大霊山」「日本三大地蔵」などに名を連ねるまでになり、岩船節と呼ばれる念仏が関東一円に流行し昭和16年くらいまで続いたと云われています。🌼1960年代くらいまでは春秋の彼岸になると関東一円の人が高勝寺へ向かい両毛線岩舟駅の利用者が激増し岩船山高勝寺の参道まで屋台が埋め尽くすように並び、多くの人で賑わっていました。

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「カフェ アンジェ・フレーゼ」🍰
カフェ☕️自然溢れる中でゆったり流れる時間をお過ごし、いちごの里で採れる野菜や果物を中心に、栃木県産にこだわって作ったお料理やスイーツをご提供して、一番人気の天使のパンケーキ、パスタや本格窯焼きピッツァなども人気です🌷🌷

👣所在地 : 栃木県栃木市岩舟町静3

岩舟山高勝寺(栃木県)

  天使のいちごパフェ
  「カフェ アンジェ・フレーゼ」🍰

岩舟山高勝寺の御朱印

  御朱印 高勝寺

岩舟山高勝寺(栃木県)

  本 堂 高勝寺

岩舟山高勝寺(栃木県)

  高勝寺 山門 県指定文化財
(建造物、1987年(昭和62年)4月17日)

岩舟山高勝寺(栃木県)

  高勝寺 三重塔 県指定文化財
  (建造物、1973年(昭和48年)1月12日)

岩舟山高勝寺(栃木県)

   鐘 楼 高勝寺 県指定文化財
   (建造物、1996年(平成8年)8月20日)

岩舟山高勝寺(栃木県)

  大仏 市指定文化財 
   (工芸品、昭和47年4月1日)

岩舟山高勝寺(栃木県)

  西院河原 高勝寺

岩舟山高勝寺(栃木県)

   護摩堂 高勝寺

岩舟山高勝寺(栃木県)

   地蔵結縁の地 高勝寺

岩舟山高勝寺(栃木県)

  高勝寺 参道

岩舟山高勝寺(栃木県)

   高勝寺境内

岩舟山高勝寺(栃木県)

   岩船山(いわふねさん、いわふねやま)は、北関東の栃木県栃木市(旧・岩舟町)にある、標高172.7メートルの山。足尾山地の最南端に位置する

岩舟山高勝寺(栃木県)

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 いちごの里で採れる野菜や果物を中心に栃木県産に
こだわって作ったお料理や スイーツをご提供しています

岩舟山高勝寺(栃木県)

  マルゲリータ
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断捨離
2020年03月30日(月)
1291投稿

随分たくさんのお寺をお参りさせて頂きましたが、初めての出来事がありました。
西の河原で白い石を積んだ時、「おーい」と近くで囁かれ、一緒にいた主人が私を呼んだと思ったのです。が、主人は近くに居ず、階段上のはるか遠くの御堂をお参りしていたのです。
誰に呼ばれたのか、、

岩舟山は死者の集まるところ、霊魂の集まる霊山と後で知りました。

岩舟山高勝寺の山門

山門

岩舟山高勝寺の建物その他

西の河原

白い石を死者の為に

岩舟山高勝寺の地蔵

お地蔵様に積みます。

岩舟山高勝寺の建物その他
岩舟山高勝寺の景色

今日はみぞれの荒天
いつもなら岩舟の町が見えるそうです。

岩舟山高勝寺の塔

三重塔

岩舟山高勝寺の建物その他

孫太郎

岩舟山高勝寺の建物その他

孫太郎
中には烏天狗がいらっしゃいました。

岩舟山高勝寺の本殿

本堂

岩舟山高勝寺の本殿
岩舟山高勝寺の像

おびんずるさま

治したい所を撫でます。手関節の病気で痛かったのですが、撫でた後、いつの間にか痛みは無くなりました。

岩舟山高勝寺の庭園

血の池

岩舟山高勝寺の建物その他

鐘楼

岩舟山高勝寺の像
岩舟山高勝寺の像
岩舟山高勝寺の庭園

塔婆を上げ、死者の霊を慰めます。

岩舟山高勝寺の御朱印
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歴史

宝亀元年(770年)伯耆国大山に弘誓坊明願という名僧が住んでいた。
日頃、生きている地蔵菩薩を拝みたいと願っていたが、ある日、夢の中に尊いお仏様の声を聞いた。
「下野国岩船山に登るべし、必ず生身の地蔵尊を拝すべし。」明願は、限りなき法悦に浸りながら、下野の国への旅に出た。
長旅の後、ようやく岩船に着いたが、すでに日も西におち、戸毎一夜の宿を求めて歩いていたが、見知らぬ僧を泊めてくれる家はなかった。途方に暮れた明願であったが、最後に山腹の草庵をみつけ、さいわい止宿が許された。庵主は伊賀坊といい、月々の十八日、二十四日に山に登れば、生身の地蔵尊を拝むことが出来ると教えてくれた。その話を聞いた明願の喜びは限りないものであった。
そんなある夜、村人が来て「伊賀坊おわすや、明日田を耕すから牛の鼻縄をとってくれ給え。」また村人が来て「明日の屋根吹き替えに手を貸し給え。」また別の村人が来たりて「明日の井戸掘りに手を貸し給え。」という願い一つ一つを快く承知した。
明願は不審に思い夜が明けて、伊賀坊が出かけた後村を廻った。昨日約束をしたどの家にもいて、どの家でも懸命に働いていた。やがて夜になりあれほど働き続けた伊賀坊であったが、明日は生身の地蔵尊を拝まんと云う。
次の朝、二人は未だ夜も明けきらぬ山路をよじ登った。山頂に立った時、折からの旭が美しく頂きの岩を染め、小鳥の声もさわやかに響いた。
明願は恭しく岩上に端座し、一心に願った。やがて眼前の船形の大岩の上に金色漠然たる光を放った地蔵尊が現れた。念願叶い明願はしばらく拝むことができた。二人は連れだって草庵に帰り、所願成就した明願は帰国した。
翌年、再び岩船を訪れた明願は、さっそく草庵を訪ねたが草庵の跡もなく、村人も草庵のあったことや伊賀坊がいたことも知らない。ただ山腹に地蔵尊があるのみである。不思議なこともあるものと地蔵尊をのぞき込んだ明願は、その時、その顔が伊賀坊そっくりであることに気づき、はじめて伊賀坊こそが地蔵尊であった事を悟った。明願はその地蔵尊を本尊として堂を建て、この地に留まって象生済度につくされた。
地蔵出現の地こそ奥の院船形の岩である。
宝亀2年(771年)弘誓坊明願により開山。
山全体が船の形をしているところより「岩船山」と云われており、本堂のある方が船の先の方、賽の河原のある方が後方で、その中間に仁王門がある。 本尊は地蔵尊、「生身の地蔵」といい死者を暖かく懐に抱いてくれると同時に、子授け、子育て、安産の地蔵尊である。岩船山は、死者の霊の集まる処、霊魂の故郷ともいわれている
徳川三代将軍家光の側室「お楽の方」は岩船地蔵を信仰。
江戸城に入る時、岩船から地蔵様をむかえて場内に祀り、子孫繁栄と武運長久を祈った。その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱候と云われている。(寺院HPより)

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名称岩舟山高勝寺
読み方いわふねざんこうしょうじ
通称岩舟地蔵尊
御朱印あり

限定御朱印なし
電話番号0282552014
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.iwafunesan.com/

詳細情報

ご本尊《本尊》生身の地蔵菩薩(秘仏)
《諸尊》開祖弘誓坊明願像・お尋ね地蔵尊・大仏地蔵尊
《鎮守社》孫太郎尊(岩舟神社)
《堂宇》三重の塔・西院(賽)の河原堂・護摩堂
山号岩舟山
宗旨・宗派天台宗
創建時代宝亀2年(771年)
開山・開基弘誓坊明願
文化財

高勝寺三重塔 (栃木県指定重要文化財)
高勝寺山門 (栃木県指定重要文化財)
高勝寺鐘楼 (栃木県指定重要文化財)
西院の河原堂 (栃木市指定重要文化財)
大仏 (栃木市指定重要文化財)
燈籠 (栃木市指定重要文化財)

ご由緒

宝亀元年(770年)伯耆国大山に弘誓坊明願という名僧が住んでいた。
日頃、生きている地蔵菩薩を拝みたいと願っていたが、ある日、夢の中に尊いお仏様の声を聞いた。
「下野国岩船山に登るべし、必ず生身の地蔵尊を拝すべし。」明願は、限りなき法悦に浸りながら、下野の国への旅に出た。
長旅の後、ようやく岩船に着いたが、すでに日も西におち、戸毎一夜の宿を求めて歩いていたが、見知らぬ僧を泊めてくれる家はなかった。途方に暮れた明願であったが、最後に山腹の草庵をみつけ、さいわい止宿が許された。庵主は伊賀坊といい、月々の十八日、二十四日に山に登れば、生身の地蔵尊を拝むことが出来ると教えてくれた。その話を聞いた明願の喜びは限りないものであった。
そんなある夜、村人が来て「伊賀坊おわすや、明日田を耕すから牛の鼻縄をとってくれ給え。」また村人が来て「明日の屋根吹き替えに手を貸し給え。」また別の村人が来たりて「明日の井戸掘りに手を貸し給え。」という願い一つ一つを快く承知した。
明願は不審に思い夜が明けて、伊賀坊が出かけた後村を廻った。昨日約束をしたどの家にもいて、どの家でも懸命に働いていた。やがて夜になりあれほど働き続けた伊賀坊であったが、明日は生身の地蔵尊を拝まんと云う。
次の朝、二人は未だ夜も明けきらぬ山路をよじ登った。山頂に立った時、折からの旭が美しく頂きの岩を染め、小鳥の声もさわやかに響いた。
明願は恭しく岩上に端座し、一心に願った。やがて眼前の船形の大岩の上に金色漠然たる光を放った地蔵尊が現れた。念願叶い明願はしばらく拝むことができた。二人は連れだって草庵に帰り、所願成就した明願は帰国した。
翌年、再び岩船を訪れた明願は、さっそく草庵を訪ねたが草庵の跡もなく、村人も草庵のあったことや伊賀坊がいたことも知らない。ただ山腹に地蔵尊があるのみである。不思議なこともあるものと地蔵尊をのぞき込んだ明願は、その時、その顔が伊賀坊そっくりであることに気づき、はじめて伊賀坊こそが地蔵尊であった事を悟った。明願はその地蔵尊を本尊として堂を建て、この地に留まって象生済度につくされた。
地蔵出現の地こそ奥の院船形の岩である。
宝亀2年(771年)弘誓坊明願により開山。
山全体が船の形をしているところより「岩船山」と云われており、本堂のある方が船の先の方、賽の河原のある方が後方で、その中間に仁王門がある。 本尊は地蔵尊、「生身の地蔵」といい死者を暖かく懐に抱いてくれると同時に、子授け、子育て、安産の地蔵尊である。岩船山は、死者の霊の集まる処、霊魂の故郷ともいわれている
徳川三代将軍家光の側室「お楽の方」は岩船地蔵を信仰。
江戸城に入る時、岩船から地蔵様をむかえて場内に祀り、子孫繁栄と武運長久を祈った。その御利益を得て生まれたのが四代将軍家綱候と云われている。(寺院HPより)

体験祈祷仏像御朱印お守り重要文化財アニメなどサブカル伝説

Wikipediaからの引用

概要
高勝寺(こうしょうじ)は、栃木県栃木市にある天台宗の寺院である。山号は岩船山。
歴史
歴史[編集] 宝亀8年(775年)に弘誓坊明源によって開基された。弘誓坊明源は大山寺の僧で、地蔵菩薩の霊夢を見て岩船山に訪れ、生身地蔵と謁見することが出来たため開基した伝えられている。岩船山は死者の魂や霊魂が集まる場所だと伝えられている。 江戸時代になると歴代将軍によって庇護され、3代将軍徳川家光の側室宝樹院は高勝寺に帰依していたという。4代将軍徳川家綱は「岩舟地蔵の申し子」と言われていた。 8代将軍徳川吉宗によって享保年間に諸堂の大改修が行われており、寛延4年(1751年)には三重塔が建立された。また、岩船地蔵の普及に努め「関東の高野山」「日本三大地蔵尊」「日本三大子授け地蔵尊」と称さ...Wikipediaで続きを読む
引用元情報高勝寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%AB%98%E5%8B%9D%E5%AF%BA&oldid=89116633

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