たなかじんじゃ
田中神社静岡県 磐田駅
参拝/24時間
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | 境内 |
府八幡宮摂社
遠江国磐田郡の式内社です。田中神社という社名の式内社は全国でも時々あり、御祭神は様々です。こちらは豊穣の神様で知られる宇迦之御魂命さまなので、田んぼに関連した場所にあったのかもしれません。
《鳥居》
住宅街の中にあります。
《遊具》
こう暑いと子供達も外に出られませんね・・・
《公民館》
普段は無人のようです。
《拝殿》🙏
こじんまりとしています。
《御朱印について》
兼務されている府八幡宮でいただけます。御朱印があることを知らなかったので、先にいただいてから参拝する形となりました。
《参拝作法》
普通に二礼二拍手一礼なのですが、「礼」の部分を「最敬礼」と表現しています。一瞬警察官の敬礼がよぎりました(`_´)ゞ
《由緒書き》
👁チェックポイント‼️
ここに書かれている「御殿の田中の地」というのが、徳川家康公の御殿の地だったという説があったようです。やはり神社の鎮座地というのは立地がいいことが多いですから、徳川家も狙っていたんでしょうか。
《御神木》
社殿右奥にあります。
《老人憩の家》
老人ホーム・・・というわけではなさそう。児童館に対した施設でしょうか。
《公衆電話》
ほんとに街中では見なくなりましたねぇ・・・
社伝によると敏達天皇四年(575)の創祀。式内社・田中神社に比定される古社。
元は現社地の東南2Kmほど(西の島あたり)の田中の森、あるいは手長森と呼ばれた地にあり、手長大明神とも称されていた。
いつの頃か(一説に享保二十年)、水害により現社地に遷座。あるいは慶長年間、家康の御殿近くであったため遷されたとも。
当地は府八幡宮の社領であったため、八幡宮の末社(あるいは摂社)となっていたようだ。
明治六年村社に列し、明石神社を合祀した。
祭神は宇迦之御魂命。「田中」の社号から稲の神だと考えられたのだろうが、手長明神とも呼ばれたため、手長命(足名椎神)とする資料もあるらしい。
【遠江國 式内社巡り】
田中神社は、静岡県磐田市中泉にある神社。式内社で、旧社格は村社。祭神は宇介之御霊命(うかのみたま)、手長男命(たながお)。
社伝によると、創祀は古墳時代後期の敏達天皇4年(575年)。平安時代の927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「遠江國 磐田郡 田中神社 小」に比定されている。元は府八幡宮の摂社で旧社地は現在地の東南1km余のところにあった。旧社地周辺は水害が多く、江戸時代中期の1735年に現在地に遷座した。
当社は、JR東海道本線・磐田駅の西方500mほどの平地、住宅街の真ん中にある。北側100mほどの場所に、昔の東海道が通っている。社殿は旧村社サイズで大きくはないが、それに比べると境内はかなり広々としている。基本は草木がほとんどなく、古巨木だけが点在し、社務所、児童遊具があるほかは、がらんとした広場になっている。
今回は、遠江國の式内社ということで参拝することに。参拝時は休日の午前中で、自分以外には参拝者はいなかった。
※御朱印は、府八幡宮(磐田市中泉)で拝受できる。
境内南端入口の<鳥居>。社号標は見当たらないが、鳥居の扁額には<田中神社>とある。
鳥居をくぐったところから、広々とした境内を見渡す。
参道の右手には、社務所のような建物が数棟建っている。
<社殿>遠景。
拝殿の右奥には、数本の巨木が見える。
<拝殿>全景。うす青緑の屋根とうす桃色など暖色を主体とした躯体のコントラストが印象的。
<拝殿>正面。扁額は掛かっていない。
<拝殿>内部。きれいにされている。
<社殿>全景。拝殿後ろの本殿はブロック塀の瑞垣で囲われている。
最後に社殿全景。広々とした村の鎮守。(^▽^)/
拝殿前から右方向を望む。敷地が広いので、横に広がった古巨木もある。
社殿の右側にある古巨木。個性的な風貌。(^_^;)
社殿右側から<社殿>全景。
瑞垣内の本殿後方の樹木も巨大化している。
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