おくにじんじゃ
小國神社静岡県 遠州森駅
参拝/24時間
社務所/9:00〜16:30
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楽しみ方御朱印 (1種類)
小國神社でいただける御朱印は1種類です。
小國神社の御朱印
右から「奉拝」、真ん中に「小國神社」、左側に年号日付が墨書きされています。
「奉拝」の左側に「遠江國一宮」印、「小國神社」の墨書きの下に神社印が押されています。

遠江国一宮小國神社参拝⛩️ 東海道関西巡拝
遠江国一宮事任八幡宮から約40分で小國神社に到着🚙
御祭神 大己貴命
さすが一宮平日ですが、駐車場もいっぱいで参拝者も沢山いました。
参道の空気感はとても良く、社殿もいい雰囲気でした✨
一の鳥居横にはことまち横丁があり、お土産や甘味処があり賑わってました。
境内には大宝槌が飾られていて、縁起物にも木槌があり大きなサイズの木槌は6000円だそうですが、あったら貴重らしいのですが残念ありませんでした😅
参道 戸隠神社奧宮参道や鹿嶋神宮奧宮参道と同じようないい空気感の参道
一の鳥居
手水舎
勅使参道
鉾執社
八王子社と宗像社
事待池
全国一宮等合殿社
御神木大杉の根株
二の鳥居
家康公の立ち上がり石🪨
拝殿
大宝槌
舞殿
金銀石
ことまち横丁
ありがとうございます🙏
書き置き御朱印
大きな木槌があったら即買いと言う情報でしたが、なく小さいサイズのみでしたが小判型のお守りと一緒にいただいてきました。
4月18日に近い土、日曜(氏子入り奉告祭/十二段神楽奉奏)
例祭・神事をもっと見る|創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではありませんが、延宝8年(1680)の社記によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。
それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。 延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。
元亀3年(1572)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。天平3年(1575)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。
明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に復興され現在に至っております。
平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。
歴史をもっと見る|| 住所 | 静岡県周智郡森町一宮3956-1 |
|---|---|
| 行き方 | JR「掛川駅」にて「天竜浜名湖鉄道」へお乗換え→ 「遠江一宮駅」下車 (約30分) 天竜浜名湖鉄道「遠江一宮駅」より送迎マイクロバス(日曜日及び指定日運行)にて約10分 |
| 名称 | 小國神社 |
|---|---|
| 読み方 | おくにじんじゃ |
| 通称 | 一宮様 |
| 参拝時間 | 参拝/24時間
|
| 参拝にかかる時間 | 約20分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | 鳥居付近 |
| 御朱印 | あり 真ん中に小國神社の文字が書かれ、右上に遠江國一之宮、真ん中に小國神社の印が入っています。
|
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0538-89-7302 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.okunijinja.or.jp |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| 日本全国の一宮まとめ |
|---|
| ご祭神 | 大己貴命 |
|---|---|
| ご神体 | 本宮山 |
| 創建時代 | 神代 |
| 創始者 | 不詳 |
| 本殿 | 大社造 |
| ご由緒 | 創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではありませんが、延宝8年(1680)の社記によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。 それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。 延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。 元亀3年(1572)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。天平3年(1575)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。 明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に復興され現在に至っております。 平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。 |
| 体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭り人形供養武将・サムライ札所・七福神巡り一の宮伝説 |
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