おくにじんじゃ
小國神社静岡県 遠州森駅
参拝/24時間
社務所/9:00〜16:30
御朱印 (1種類)
小國神社でいただける御朱印は1種類です。
小國神社の御朱印
右から「奉拝」、真ん中に「小國神社」、左側に年号日付が墨書きされています。
「奉拝」の左側に「遠江國一宮」印、「小國神社」の墨書きの下に神社印が押されています。
御朱印 | 真ん中に小國神社の文字が書かれ、右上に遠江國一之宮、真ん中に小國神社の印が入っています。 御朱印帳には御祭神である大黒様ゆかりの小槌がモチーフに。 | ||
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限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 鳥居付近ほか |
2回目の参拝です。(令和初参拝)御祭神は、大己貴命(おおなむちのみこと)です。近年では、「願い事が意のままに叶う神社」事任神社(ことのままのかみやしろ)としても広く知られ、縁結び、厄除け、心願成就、交通安全の御神徳が高い神様としても崇敬されております。皆様お久しぶりです。約一ヶ月ぶりの投稿となります。本日は快晴で暑かったです。神域は人が思ったより少なく落ち着いて参拝できました。マイクロバスの運転手さん親切対応ありがとうございました。
拝殿
拝殿
大宝槌(おおたからづち)
二の鳥居(にのとりい)
家康公の立あがり石
御神木(大杉)
御神木(大杉)
御神木(ひょうの木)
御神木(ひょうの木)
御神木(ひょうの木)
御神木(ひょうの木)
全国一宮等合殿社(ぜんこくいちのみやとうごうでんしゃ)
全国一宮等合殿社(ぜんこくいちのみやとうごうでんしゃ)
八王子社(はちおうじしゃ)
八王子社(はちおうじしゃ)
宗像社(むなかたしゃ)
宗像社(むなかたしゃ)
鉾執社
鉾執社
手水舎
一の鳥居(いちのとりい)
創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではありませんが、延宝8年(1680)の社記によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。
それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。 延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。
元亀3年(1572)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。天平3年(1575)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。
明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に復興され現在に至っております。
平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。
住所 | 静岡県周智郡森町一宮3956-1 |
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行き方 | JR「掛川駅」にて「天竜浜名湖鉄道」へお乗換え→ 「遠江一宮駅」下車 (約30分) 天竜浜名湖鉄道「遠江一宮駅」より送迎マイクロバス(日曜日及び指定日運行)にて約10分 |
名称 | 小國神社 |
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読み方 | おくにじんじゃ |
通称 | 一宮様 |
参拝時間 | 参拝/24時間
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参拝にかかる時間 | 約20分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 鳥居付近 |
御朱印 | あり 真ん中に小國神社の文字が書かれ、右上に遠江國一之宮、真ん中に小國神社の印が入っています。
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限定御朱印 | あり |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0538-89-7302 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.okunijinja.or.jp |
おみくじ | あり |
お守り | あり |
絵馬 | あり |
日本全国の一宮まとめ |
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ご祭神 | 大己貴命 |
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ご神体 | 本宮山 |
創建時代 | 神代 |
創始者 | 不詳 |
本殿 | 大社造 |
ご由緒 | 創祀は神代と伝えられ上代の事で詳らかではありませんが、延宝8年(1680)の社記によると、人皇第29代欽明天皇の御代16年(555)2月18日に本宮峯(本宮山)に御神霊が鎮斎せられました。後に、都より勅使が差遺せられ、山麓約6kmの現在地に社殿を造営し、正一位の神階を授けられました。 それ以来、年々奉幣に預り勅使が下向され、文武天皇大宝元年(701)春18日に勅使奉幣の際、特に十二段の舞楽を奉奏されました。 延喜7年(907)の延喜式では式内社に列せられ、中世には武将をはじめ朝野の崇敬が極めて篤く近世に至りました。 元亀3年(1572)の戦では、徳川家は御神霊を別所に遷し、願文と三条小鍛治宗近作の太刀を奉り戦勝を祈願した後、社殿を全て焼失しました。天平3年(1575)に勝利を得た徳川公は、御本殿の造営、拝殿・楼門を再建され、更に社領五百九十石の朱印を奉り、以降代々の徳川将軍家より、社殿の改造・修復料を寄進されました。 明治6年6月13日に国幣小社に列せられ、明治15年3月に再度の火災により御本殿以下建造物などことごとく失いましたが、明治19年に復興され現在に至っております。 平成17年には御鎮座一四五〇年祭が斎行され、「遠江國一宮さま」として崇敬され親しまれております。 |
体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り重要文化財祭り人形供養武将・サムライ一の宮伝説 |
概要 | 小國神社(おくにじんじゃ、小国神社)は、静岡県周智郡森町一宮にある神社。式内社、遠江国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。神紋は「右三つ巴」。 本宮山の南側の山麓に鎮座する。境内は秋には紅葉の名所として有名である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 創建時期は不明だが、社伝によれば、欽明天皇16年(555年?)2月18日、現在地より6kmほど離れた本宮山に神霊が示現したので、勅命によりそこに社殿が造営されたのに始まる。なお、このときに正一位の神階が授けられたと社伝にはあるが、国史での当社の初見である『続日本後紀』承和7年(840年)6月14日条では「遠江国周智郡の無位の小国天神(中略)に従五位下を授け奉る」と記されている。六国史終了時の神階は従四位上である。 『延喜式神名帳』では小社に列している。皇族や武将の信仰が篤く、遠江国一宮として崇敬を受けた。当社を一宮として記載する史料の最初は、1235年の「当国鎮守小国一宮」...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「小国神社」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%B0%8F%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=98521473 |
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