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楽しみ方五社神社 諏訪神社のお参りの記録一覧(3ページ目)

遠州三河 茅の輪くぐり 其の七
「五社神社諏訪神社」
晴天の下に朱色の御社殿が映えます。
梅雨時なのに運が良いなと、、と思っていたら、
その日に梅雨明けとなりました。
茅の輪は7月3日頃迄設置してあるそうです。




三河~駿河 東照宮めぐり⑧『五社神社・諏訪神社』迫力ある大型の狛犬さんが印象的!鮮やかで美しい社殿に参拝。御朱印も扁額も二社並列です。
徳川家から崇敬されてきた二つの神社が昭和37年(1962年)に合祀され『五社神社・諏訪神社』となりました。昭和57年(1982年)竣工の現社殿には両社の御祭神が奉られています。子守り・子育ての神様として信仰が厚く、七五三の時期にはたくさんの家族連れが訪れるそうです。切石を積み上げた石垣や手水鉢は、家光公の時代のものが今でも残っています。
『五社神社』は、曳馬城(後の浜松城)主の久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後に徳川家康公が浜松城主となり、天正7年(1579年)4月7日の秀忠公誕生に当り、産土神として現在地に社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座された。家康公は、その後も子供たちの初宮祈祷や自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったといわれています。『諏訪神社』は、寛永11年(1634年)三代将軍家光公によって現在の位置に遷され、改めて社殿の造営がなされた五社神社と共に寛永18年(1641年)竣工~両社殿は「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われ戦前まで国宝建造物に指定されていたが、昭和20年(1945年)戦災により共に消失した。

御祭神
○五社神社~太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神
相殿~応神天皇、徳川家康公、菅原道真公、舎人親王
○諏訪神社~建御名方命、八坂刀売命、事代主命
相殿~徳川家康

大きくて迫力の狛犬

御朱印
二社が並んで書かれています

扁額

拝殿
美しい社殿彫刻が施されています

手水舎
手水鉢は、寛永15年に浜松城主・高力摂津守が寄進✨
後ろに見える切石は、「石になりたや浜松石に五社のお前の切石に〜♪」とうたわれたもの


稲荷社


おまけ
静岡は道の駅もSAも徳川三昧



浜松市の中心街。浜松城公園の近く。ご朱印あります。

鳥居けい

手水舎

鳥居

境内

手水舎

五寶閣

石段

手水舎

境内 桜

拝殿

狛犬

光海霊神の碑

駐車場

稲荷社

【遠江國 古社巡り】
五社神社・諏訪神社(ごしゃ~・すわ~)は、静岡県浜松市中区利町にある神社。隣接して鎮座していた五社神社と諏訪神社が昭和戦後の1960年に宗教法人格を一つとしたもの。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。五社神社の祭神は、太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神、諏訪神社の祭神は建御名方命、八坂刀売命、事代主命。
五社神社は、戦国時代初期の曳馬城(のちの浜松城)主・久野越中守が城内に創建したことに始まる。のちに徳川家康が浜松城主となり、1579年に三男長松(のちの2代将軍・徳川秀忠)が誕生すると当社を産土神とし、現在地に社殿を建立して1580年に遷座、社領15石を寄進した。1610年に徳川秀忠から100石が寄進され、1634年に徳川家光上洛の際に東照宮を勧請して朱印地は300石とされた。明治時代に入り、県社に列格した。
諏訪神社は、平安時代初期の791年に坂上田村麻呂が東征の折に敷智郡上中島村(現・浜松市天神町)に奉斎したことに始まる。戦国時代の1556年に神託により浜松に遷され、五社神社同様、徳川家の崇敬を受けた。1634年の家光上洛の際に、五社神社同様、東照宮を勧請し社領を加増され、朱印地は300石とされた。1641年に家光の命により、現在地の五社神社社殿の隣に社殿が造営され遷座した。これら社殿は昭和戦前には国宝に指定されていたが、1945年6月の米軍による浜松空襲により、五社神社の社殿とともに焼失した。両社合併後、1982年に現社殿が再建されている。
当社は、JR東海道本線・浜松駅の西北西1km弱の市街地中心部、ごく緩やかな傾斜地にある。昭和後期に再建された大社だけあって、市街地中心地にあるにしては広い敷地を目一杯活用して、巨大な社殿と、大きな社務所、大きな参集殿(結婚式場)、駐車場と、無駄なスペースがない。現代の若者にも分かりやすい大神社だが、千年の歴史のある古社と考えると少し寂しい(無論、米軍空襲で焼失しているので致し方ないことだが)。
今回は、静岡県の旧県社、別表神社であることから参拝することに。参拝時は平日の夕方で、天気も小雨が降ったり止んだりで良くなかったが、さすが地元に根付いた大社らしく、自分以外にも何人も参拝に訪れていた。

境内南端入口全景。浜松駅の北西の街中にある。

入口の<鳥居>と<社号標>。

鳥居をくぐり、左に駐車場、右に社務所がある場所から社殿を望む。

参道右側の<手水舎>。

参道左側の建物。結婚式場みたい。

階段を登ったところから<社殿>遠景。社殿を中心に左右に翼殿が広がる。

<拝殿>全景。2層になっているが2階建てかな。1982年の再建。

拝殿前左側の大きな<狛犬>。青銅製かな。

拝殿前右側の<狛犬>。マッチョ系。(o^―^o)

<拝殿>正面。神紋も2つ重なっている。

<拝殿>内部。とても豪華。

<社殿>を斜めから。

右翼殿の右側から裏手に廻ってみる。

拝殿に比べるとサイズ的には控え目な<本殿>。極彩色が綺麗。

本殿の右側にある大きな建物。神輿庫かなにかかな。

<社殿・翼殿>全景。

階段を上がってすぐ左側にある<五宝稲荷社>。

<五宝稲荷社>全景。意外にも境内社はこちらのみみたい。

最後に<拝殿>全景。

入口鳥居をくぐってすぐ右側にある<社務所>。御朱印はこちら。(^▽^)/

街の中のお稲荷さん 其の六
「五宝稲荷社」
五社諏訪神社に在る境内社です。
其の五では浜松城に在るお稲荷さんをお詣りし
ましたが、こちらはかつて古の浜松城内に鎮座
していたお稲荷さんです。
前身の曳馬城から浜松城へと一帯が変遷・発展
するなかで、五宝稲荷社も五社神社と共に現在
の地に遷座されました。
文字通り街の中の「五社さま」は、徳川家二代
将軍秀忠公誕生の際に産土神とされ、子守りや
子育ての神様としても市民の信仰があります。
幸い今現在はコロナも落ち着いていますので、
七五三の御詣りにこれからの時季、大変賑わう
ことと思います。
また10月から書き置きのみですが、五宝稲荷社
の御朱印が拝受できるようになっています。





浜松城の天守閣からの眺めで発見。これは参拝しなくては!静岡の神社は彫刻が素晴らしいですね。😍😍見事です。徳川秀忠公誕生に当り、産土神として崇敬されていたそうです。日頃は大阪で秀吉公ゆかりの地ばかりを目にしますが、こちらは本当に家康公の存在の凄さに感動です。どこを見渡しても葵の御紋が。😅


周りの塀の切石が見事です。

手水鉢は、浜松城主 高力摂津守寄進

大狛犬 本当にビッグサイズ

めっちゃ鳩胸⁉️じゃなくて腕の筋肉マッスル⁉️強そう、😆

七五三の季節になりましたね。


拝殿 彫刻「瑞鳳」

五宝稲荷社

元々はそれぞれ別に祀られていたのが戦災の
影響で一つの社殿に祀られても社名は並記さ
れているのが珍しく感じます。
地元では「五社神社」の方で通っている気が
しますが、特に七五三のお詣りと云えば…の
印象が強く、私の娘二人ともその際は此方で
お詣りさせて頂きました。
最近、ある動画サイトで五社神社諏訪神社が
紹介されていて、その中で古事記に記された
「相撲」の由来とも云われる、「国譲り神話」
で力比べで争ったタケミカズチ(五社神社)と
タケミナカタ(諏訪神社)が同じ場所、同じ
社殿に祀られているというが非常に不思議で
ある、というのを知って今回久しぶりに参拝
させて頂きました。
神様の世界にも「ノーサイド」の精神がある
のでしょうかね。








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