ごしゃじんじゃ すわじんじゃ
五社神社 諏訪神社のお参りの記録一覧
浜松城の近くに移動しまして、五社神社/諏訪神社へ。境内は広く浜松を代表する神社です。社殿はどこか長崎の鎮西大社諏訪神社を思わせます。狛犬も大きく、こちらは神田明神を想起させます。
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元々は隣り合う別々のお社でしたが、戦前は二社共に国宝に指定される程、壮麗な造りだったそうです。
そしてこれもまた二社共に、寛永11年の三代家光公上洛の際に、東照宮を勧請されています。
(故に現在、五社神社 諏訪神社は東照宮として、
全国東照宮連合会に加盟されています)
特に五社神社は浜松城の前身である曳馬城の城内に創建され、その後に浜松城主となった徳川家康公は、二代秀忠公誕生の際に産土神とされました。
両社は先の大戦の戦火により失われた後に現在の場所に合祀され、社殿も昭和57年に再建されました。
家康公との所縁から子守り子育ての神として、特に安産祈願や初宮詣・七五三詣の折りには市民から崇敬を集めています。
三河~駿河 東照宮めぐり⑧『五社神社・諏訪神社』迫力ある大型の狛犬さんが印象的!鮮やかで美しい社殿に参拝。御朱印も扁額も二社並列です。
徳川家から崇敬されてきた二つの神社が昭和37年(1962年)に合祀され『五社神社・諏訪神社』となりました。昭和57年(1982年)竣工の現社殿には両社の御祭神が奉られています。子守り・子育ての神様として信仰が厚く、七五三の時期にはたくさんの家族連れが訪れるそうです。切石を積み上げた石垣や手水鉢は、家光公の時代のものが今でも残っています。
『五社神社』は、曳馬城(後の浜松城)主の久野越中守が城内に創建した事に始まると伝えられる。後に徳川家康公が浜松城主となり、天正7年(1579年)4月7日の秀忠公誕生に当り、産土神として現在地に社殿を造営し天正8年(西暦1580年)遷座された。家康公は、その後も子供たちの初宮祈祷や自身の厄除けの祈祷を五社神社で行ったといわれています。『諏訪神社』は、寛永11年(1634年)三代将軍家光公によって現在の位置に遷され、改めて社殿の造営がなされた五社神社と共に寛永18年(1641年)竣工~両社殿は「お江戸見たくば五社諏訪ごろじ お江戸まさりの五社や諏訪」と謡われ戦前まで国宝建造物に指定されていたが、昭和20年(1945年)戦災により共に消失した。
御祭神
○五社神社~太玉命、武雷命、斎主命、天児屋根命、姫大神
相殿~応神天皇、徳川家康公、菅原道真公、舎人親王
○諏訪神社~建御名方命、八坂刀売命、事代主命
相殿~徳川家康
大きくて迫力の狛犬
御朱印
二社が並んで書かれています
扁額
拝殿
美しい社殿彫刻が施されています
手水舎
手水鉢は、寛永15年に浜松城主・高力摂津守が寄進✨
後ろに見える切石は、「石になりたや浜松石に五社のお前の切石に〜♪」とうたわれたもの
稲荷社
おまけ
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