御朱印・神社お寺の検索サイト

楽しみ方
【サポーター特典】幸せと健康を毎月ご祈願
100年後に神社お寺を残せる未来へ

しゃないん|真言宗豊山派勝軍山

舎那院
滋賀県 長浜駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳にお書き入れ
あり
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
なし

なし

その他の巡礼の情報

長浜六瓢箪霊場

おすすめの投稿

naochinclub
naochinclub
2025年11月29日(土) 20時59分26秒
227投稿

びわ湖百八霊場の巡礼の途中に立ち寄りました。

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

落ち葉を集めて、ハート形に。

舎那院(滋賀県)

御朱印は書き置きが準備されています。

舎那院(滋賀県)
もっと読む
くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月26日(月) 21時10分27秒
2966投稿

長濱八幡宮をお参りしたところ 境内にお隣のお寺に通じる道を示す看板がありましたのでお参りしました。
神社の隣にお寺となると どうしても神宮寺や廃仏毀釈や神仏分離令という言葉が思い浮かびます。
調べたところ こちらの舎那院さんは 平安時代より長濱八幡宮境内にあった別当寺である新放生寺の子院でした。
この日は運悪くなのか 御朱印は拝受できませんでした。

山号は勝軍山 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は愛染明王 創建年は伝・弘仁5年(814年) 開基は伝・空海、及雅(開山)です。

由緒については
平安時代初期の弘仁5年(814年) 空海を開基として創建したと伝わる古刹。
寺号は新放生寺といい 山号の勝軍山は学頭別当職に就いた源義家による中興の時代(11世紀後半)に後三条天皇より賜ったものである。
16世紀後半の度重なる兵火を受けて堂宇を焼失したが 豊臣秀吉によって再興された。
新放生寺は平安時代より長浜八幡宮の学習院であり別当寺を務ていたが 明治時代初期の神仏分離令により子院の一つである舎那院以外は廃された。
舎那院には廃された寺院の仏像等が集められ 現在に至っている。
とありました。

舎那院(滋賀県)

道案内

舎那院(滋賀県)

山門

舎那院(滋賀県)

大師堂

舎那院(滋賀県)

観音堂

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

庫裏かな

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

本堂

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

扁額 木組みと彫刻がきれい

舎那院(滋賀県)
舎那院(滋賀県)

護摩堂

舎那院(滋賀県)
もっと読む
投稿をもっと見る|
39

歴史

舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。

歴史をもっと見る|
6

舎那院の基本情報

住所

滋賀県長浜市宮前町13-45

行き方

近江鉄道・湖国バス さざなみタウン前 停留所 徒歩4分
JR北陸本線 長浜駅 東口 徒歩15分

アクセスを詳しく見る
名称

舎那院

読み方

しゃないん

参拝料

無料

トイレあり
御朱印あり
限定御朱印なし
御朱印帳に直書きあり
御朱印の郵送対応なし
御朱印帳なし
電話番号0749-62-3298
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
メールアドレスshanain@jinmusic.org
ホームページhttp://jinmusic.org/shanain.html
SNS

詳細情報

ご本尊愛染明王・阿弥陀如来
山号

勝軍山

院号

舎那院

宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代

814年(弘仁5年)

開山・開基

弘法大師

本堂

七間四面総欅造り

文化財

護摩堂(不動堂)(滋賀県指定文化財)本尊木造愛染明王座像(重要文化財)、本尊木造阿弥陀如来座像(重要文化財)、木造薬師如来座像(長浜市指定文化財)、素文磬(滋賀県指定文化財)、金銅透彫幡(長浜市指定文化財)、絹本著色三月経曼荼羅図(重要文化財)、絹本著色不動明王像(青不動)(滋賀県指定文化財)、絹本著色十六羅漢像(長浜市指定文化財)、絹本著色愛染明王像(長浜市指定文化財)

ご由緒

舎那院は弘仁五年(814年)弘法大師の開基と伝えられ、源義家が前九年の役(1051年)において、陸奥国阿倍宗任・貞任征討祈願により凱旋の功ありとして、延久元年(1069年)後三条天皇より勝軍山の勅号を賜わり、勅願の神宮寺として勝軍山新放生寺八幡宮を御建立、社坊三百あまりを数え、天文五年(1536年)には後奈良院より三千石を賜わる。しかし、元亀・天正の兵火にかかり、天正十九年(1591年)秀吉が再興をはかり、七十坊となったが慶長・寛永には三十余坊、天和年間には二十一坊と次第に衰え、明治維新の廃仏毀釈(神佛分離)令により、学頭寺の舎那院(当時遮那院)を除く当時残存の六坊は廃寺となり、本尊愛染明王・阿弥陀如来を始め、一山の佛像・宝物等は舎那院に移された。その後荒廃の一途を辿っていたが、檀信徒一般有縁の浄財により、昭和十七年(1942年)現状の舎那院に整備されたものである。

体験御朱印花の名所札所・七福神巡り
「みんなでつくる御朱印・神社お寺の検索サイト」という性質上、掲載されている情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。
神社寺院のホームページが無料でかんたんに作れる!

この寺院の僧侶様へ

公式アカウント(無料)にご登録いただくと、

ご自身の寺院の情報を編集することができます。

無料登録して、参拝者が必要な情報を直接伝えてみませんか?

詳しくはこちら

ホトカミのデータについて

ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。

ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
行きたい
行った
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ