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長浜八幡宮ではいただけません
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ながはまはちまんぐう

長浜八幡宮
滋賀県 長浜駅

御朱印について
御朱印
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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年08月26日(月)
2013投稿

少し久しぶりの滋賀県に訪れました。
西国三十三霊場巡りももうすぐ吉願。この日は竹生島に渡る予定で来ました。
その前に こちら長浜八幡宮さんにお参りです。境内に車を停めさせていただけました。
萬燈祭の準備で 参道に燈籠の飾りつけをされていました。この暑い中 ご苦労さまです。
参拝者は多くなく 静かにお参りさせていただけました。
ちょうど車のお祓いをされている方がいらっしゃいました。
いやぁ境内が広い。末社が6つもあります。
能舞台もあるのですが 何やら不思議な壁のようなもので隠されています。
ご神水があったので ご利益を・・・と思ったのですが ちょっと思っていたのと違いました。
境内をぐるっと回ってから御朱印を拝受しました。
観光神社というわけではなさそうなので これだけ立派な神社がしっかり維持できている長浜の氏子の皆さんは素敵です。
主祭神は誉田別命(応神天皇)・足仲彦尊(仲哀天皇)・息長足姫命(神功皇后)です。
由緒については
平安時代後期(1069年)に 源義家からの発願をうけた後三条天皇の勅により 石清水八幡宮を勧請して創建したと伝わる。
戦国時代には兵火を受けて衰退したが 長浜城城主となった羽柴秀吉により復興された。
平安時代より境内には別当寺である新放生寺が存在していたが 明治初期の神仏分離令により廃され 唯一残された子院の舎那院に仏像や資料等が全て移された。
とありました。

長浜八幡宮(滋賀県)

一の鳥居

長浜八幡宮(滋賀県)

石柱 大きい

長浜八幡宮(滋賀県)

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

参道

長浜八幡宮(滋賀県)

太鼓橋?

長浜八幡宮(滋賀県)

二の鳥居

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

石柱

長浜八幡宮(滋賀県)

手水

長浜八幡宮(滋賀県)

由緒

長浜八幡宮(滋賀県)

拝殿

長浜八幡宮(滋賀県)

能舞台なんですけど

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

幣殿

長浜八幡宮(滋賀県)

高良神社

長浜八幡宮(滋賀県)

閼伽井屋

長浜八幡宮(滋賀県)

井戸の蓋

長浜八幡宮(滋賀県)

社務所

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

ご神水

長浜八幡宮(滋賀県)

天満宮

長浜八幡宮(滋賀県)

地主神社

長浜八幡宮(滋賀県)

熊野神社

長浜八幡宮(滋賀県)

金刀比羅宮・河濯神社の鳥居

長浜八幡宮(滋賀県)

金刀比羅宮・河濯神社

長浜八幡宮(滋賀県)

末広稲荷大神の鳥居

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

末広稲荷大神

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

都久夫須麻神社の鳥居

長浜八幡宮(滋賀県)
長浜八幡宮(滋賀県)

長浜八幡宮放生池

長浜八幡宮(滋賀県)

都久夫須麻神社

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歴史

当宮は延久元年源義家が後三条天皇の勅願を報じて京都の石清水八幡宮から御分霊を迎えて奉祀したもので往昔は坂田八幡宮或は坂田別宮八幡宮又は勝軍山新放生寺八幡宮とも称された。
この宮が鎮座されてからこの地を八幡の庄と称へ庄内十一郷の産土神として崇敬深く皇室を始め武将の崇敬更に厚く特に後奈良天皇は天文五年天下乱麻の世を嘆かせ給い天下泰平祈願のため、御論旨を賜う。又足利六代将軍義教は三層塔を建立し太刀神馬を奉納湖北の浅井氏も社領太刀神馬を寄進している。当時は社頭三千石、一山七十三坊があり堂塔伽藍は壮観を極めた。八月十五日の放生会には坂田・東浅井二郎の士族が出仕して神輿の供奉をつとめたが、元亀・天正の頃しばしば兵火に罹り殆んど焼失した。
天正二年羽柴秀吉が長浜城主となるやこの大社の荒廃を惜しみ社殿の修理をなし社領百七十石を奉納する等再興に努めた。以後徐々に壮観を復し妙覚院舎那院を始め二十余坊が神社の周囲に在って神事を掌っていたが、明治維新の神仏分離により仏像什宝等は今の舎那院に移し以来本社は神官による奉仕となった。

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長浜八幡宮の基本情報

住所滋賀県長浜市宮前町13-55
行き方

JR北陸本線「長浜駅」より徒歩10分

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名称長浜八幡宮
読み方ながはまはちまんぐう
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0749-62-0481
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://www.biwa.ne.jp/~hatimang/
絵馬あり
SNS

巡礼の詳細情報

神仏霊場巡拝の道

詳細情報

ご祭神《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后
創建時代延久元年
ご由緒

当宮は延久元年源義家が後三条天皇の勅願を報じて京都の石清水八幡宮から御分霊を迎えて奉祀したもので往昔は坂田八幡宮或は坂田別宮八幡宮又は勝軍山新放生寺八幡宮とも称された。
この宮が鎮座されてからこの地を八幡の庄と称へ庄内十一郷の産土神として崇敬深く皇室を始め武将の崇敬更に厚く特に後奈良天皇は天文五年天下乱麻の世を嘆かせ給い天下泰平祈願のため、御論旨を賜う。又足利六代将軍義教は三層塔を建立し太刀神馬を奉納湖北の浅井氏も社領太刀神馬を寄進している。当時は社頭三千石、一山七十三坊があり堂塔伽藍は壮観を極めた。八月十五日の放生会には坂田・東浅井二郎の士族が出仕して神輿の供奉をつとめたが、元亀・天正の頃しばしば兵火に罹り殆んど焼失した。
天正二年羽柴秀吉が長浜城主となるやこの大社の荒廃を惜しみ社殿の修理をなし社領百七十石を奉納する等再興に努めた。以後徐々に壮観を復し妙覚院舎那院を始め二十余坊が神社の周囲に在って神事を掌っていたが、明治維新の神仏分離により仏像什宝等は今の舎那院に移し以来本社は神官による奉仕となった。

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