ながはまはちまんぐう
長浜八幡宮
滋賀県 長浜駅
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 無料駐車場あり |
当宮は延久元年(1069)、源義家公が後三条天皇の勅願を受け、京都の石清水八幡宮より御分霊を迎えて鎮座された。それよりこの地は八幡の庄と称えられ庄内十一郷の産土の神として深く崇敬される事となる。当時のその社頭は三千石、一山七十三坊と伝えられ、本宮の石清水八幡宮を凌ぐぐらいであったという。
~当宮パンフレットより抜粋~
かなり時間をかけてゆっくりとお参りさせて頂きました🙏
4/13~4/16は『長浜曳山まつり』が開催されたみたいで、業者の方が解体作業をされていました。
御朱印も曳山まつりの特別御朱印がありましたが、通常御朱印(直書き)を頂きました。
社号標①
社号標②と太鼓橋
芭蕉の句
どこにでもありますね😃
花手水がキレイでした🏵️
拝殿
本殿
高良神社(摂社)
ぼけ封じ石
歯固石納所
放生池
8/15に蛇の舞(雨乞い行事)が行われる
都久夫須麻神社(末社)
天満宮(末社)
地主神社(末社)
熊野神社(末社)
金刀比羅宮 河濯神社(末社)
縁の松
黒松と赤松が互いを支え合うように成長した神木
能舞台
御朱印(直書き)
当宮は延久元年源義家が後三条天皇の勅願を報じて京都の石清水八幡宮から御分霊を迎えて奉祀したもので往昔は坂田八幡宮或は坂田別宮八幡宮又は勝軍山新放生寺八幡宮とも称された。
この宮が鎮座されてからこの地を八幡の庄と称へ庄内十一郷の産土神として崇敬深く皇室を始め武将の崇敬更に厚く特に後奈良天皇は天文五年天下乱麻の世を嘆かせ給い天下泰平祈願のため、御論旨を賜う。又足利六代将軍義教は三層塔を建立し太刀神馬を奉納湖北の浅井氏も社領太刀神馬を寄進している。当時は社頭三千石、一山七十三坊があり堂塔伽藍は壮観を極めた。八月十五日の放生会には坂田・東浅井二郎の士族が出仕して神輿の供奉をつとめたが、元亀・天正の頃しばしば兵火に罹り殆んど焼失した。
天正二年羽柴秀吉が長浜城主となるやこの大社の荒廃を惜しみ社殿の修理をなし社領百七十石を奉納する等再興に努めた。以後徐々に壮観を復し妙覚院舎那院を始め二十余坊が神社の周囲に在って神事を掌っていたが、明治維新の神仏分離により仏像什宝等は今の舎那院に移し以来本社は神官による奉仕となった。
名称 | 長浜八幡宮 |
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読み方 | ながはまはちまんぐう |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 0749-62-0481 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://www.biwa.ne.jp/~hatimang/ |
絵馬 | あり |
SNS |
ご祭神 | 《主》応神天皇,仲哀天皇,神功皇后 |
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創建時代 | 延久元年 |
ご由緒 | 当宮は延久元年源義家が後三条天皇の勅願を報じて京都の石清水八幡宮から御分霊を迎えて奉祀したもので往昔は坂田八幡宮或は坂田別宮八幡宮又は勝軍山新放生寺八幡宮とも称された。
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体験 | 祭り武将・サムライ |
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